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第92話 ドビュッシー/亜麻色の髪の乙女

~大河view~


「九音さんの様子がおかしい?」


「はい。ここ最近悩んでいるというか、落ち込んでいるようで……」


 昼休み。俺と花音は生徒会室でこんな会話をしていた。

 最近はいつものように一年A組の教室で昼食をとった後、泉美のからかいから逃れるように俺たち二人は生徒会室に避難している。

 あのダル絡みモードの泉美と共存し続けていると、あっという間に俺と花音の関係が学年中に知れ渡ってしまいそうで嫌なのだ。花音との交際関係を隠すことはしないとは決めたものの、大っぴらにする理由も無いし、望んでもいない。

 浦野君に視線でヘルプを求めるも、彼は泉美には強く出られないようで逆に困った表情を返される始末だ。使えねえ……。

 こうなってはもう逃げるしかない。そして逃亡先はいつも通り生徒会室に落ち着くのだった。あと泉美はそのうち泣かす。


 こうして二人きりになった昼休みの残りの時間、俺達は各々で好きなように時間を潰している。

 技術士試験も終えた俺は専ら絵を描いていて、花音はマンガやラノベを読んでいたり、今日のようにその日出た宿題をしていたりする。

 宿題を即刻消化しにかかるなんて真面目だなと思うが、そういえば彼女は主席入学の秀才だった。かつての宣言通り今は主席の座からは降りているものの、今も学年十数位ぐらいにはいるらしい。さすがだ。


 そんなわけで適度にリラックスしながら会話を楽しむのがこの時間なのだが、その会話の中で冒頭の話題である。


「昨日会った時は悩んでるようには見えなかったけど」


 昨日は普通に生徒会活動があった。そのときの九音さんの様子はいつも通りに見えたが。


「本人は態度には出さないようにしているみたいですから、あれに気づくのは私か両親ぐらいしかいないと思います」


「つまり、悩みを隠そうとしている?」


「……っぽいんですよね」


「何か心当たりは?」


「何かあったかと言えばありましたね。昔通っていた絵画教室の先生が入院されたとか」


「普通に大変じゃん。大丈夫なの?」


「手術は必要らしいんですけど予後は明るいと聞いています。なのでずっと悩むほどのことではないと思うんですけど……」


「うーん……」


 正直、情報が少なすぎて俺が助言できることはほとんどなさそうに思う。


「腹を割って話してもらうしかないんじゃない?」


「そうしたいのは山々なんですが……」


 彼女らしくない煮え切らない台詞がこぼれてきた。


「もしかして、まだ微妙な感じなの?」


「その……普段なら大丈夫なのですが、今回ばかりは地雷を踏むリスクを感じてるので……」


「地雷?」


「九音って絵画教室の先生のこと、すごく尊敬しているので」


「ふむ」


 例え予後が明るくても、九音さんにとっては安心材料たり得ないかもしれない……という意味だろうか。とくにかくデリケートな話題だということは理解した。

 そこへ踏み込んでいく優しさか、敢えてそっとしておく優しさか。どちらも状況次第で悪手にもなり得る。そして彼女はそれを恐れている。


「やっぱり踏み込んでいったほうがいいんでしょうか……」


「怖い?」


「…………怖いです」


 答えに間はあったが、本心を言ってくれた。

 そりゃあ、怖いよな……。

 何の脈絡も無く踏み込んだ話をするのは難しい。しかも少し前までギクシャクしていたので尚更だろう。


「とりあえず様子を見てからのほうがいいんじゃないか?」


「でも、無責任じゃないですか?」


「家族だとかえって話しづらいことなんてよくあるだろ」


「まあ、そうでけど……」


 毎日顔を合わせる同居人なのだ。下手に地雷踏んで家に居づらくなるなんてことになりかねない。


「でも打てる手があれば打っておく方がいいよな……」


「何かできることがあるんですか?」


「うーん……」


 こういうのは家族以外で当事者じゃなくて気を許せる相手が適任だろう。

 そうすると、俺が思い浮かべる役者は一人しかいない。


「ちょっとこの話は持ち帰らせて」


「わかりました。期待してます」


「期待しすぎないで」


「先輩って無責任なふりして責任感ありますもんね」


「…………」


 俺は照れ隠しに目の前のクロッキー帳へ意識を逸らした。

 クロッキー帳には描きかけのラフスケッチがあり、鉛筆で線を一本一本足していく作業を再開させる。


「何描いてるんですか?」


 花音がこちらの手元を覗き込んでくる。


「まあいつものだよ」


 いつものとはつまりシオンである。

 三次元における理想の女性が花音なら、シオンは二次元における俺の理想の女の子。

 俺の目指す美しさと可憐さを眼前の紙上で磨くように、己の感性を信じて筆先で造形してく。


 スッ……スッ……と、鉛筆が紙を擦る音だけが小さく鳴っている。

 花音はそれをじっと見ていた。無言だが、そこはかとなく楽しそうで、とても心地良い時間だ。


「髪形、いつもと違うんですね」


「ああ、ちょっと趣向を変えてみたくて」


 髪を描いていたところでコメントがきた。

 指摘の通り、今回は編み込みをしたヘアスタイルにしてみている。女の子は髪形が多彩で、クリエイター側からしてみればとてもいじり甲斐があって良い。

 しかしまあ、編み込みはやっぱり作画カロリーが高いな。シオンにとってはイレギュラーなヘアスタイルだし、複雑な形状だから、今描いている造形が果たして正しいのか悩んでしまう。

 そもそもこれは物理的に可能な形になっているのか? 手癖に頼りすぎて深く考えずに描いていたけど、一度疑問に思うと疑心暗鬼になってしまう。いや、そんなこと言い出したらアホ毛とかどうなんだって話になるけど、それはそれ、これはこれだ。


「手が止まってますけど、どうかしましたか?」


 しまった。フリーズしてたらしい。


「あ……ちょっとまあ、作画が詰まって……」


 いや、待てよ? 目の前に解決策があるじゃないか。


「あのさ、またモデルをお願いしてもいい?」


「いいですよ。どんなポーズですか?」


 二つ返事である。信頼されすぎてて怖い。


「今回はポーズじゃなくて髪を弄らせてほしいんだけど、いい?」


「髪……ですか? あ、それで止まってたんですか」


 彼女は俺の手元の絵を見て得心いったようにつぶやく。


「手癖で描いた髪形に違和感があったから検証したくてさ」


「やりたいことはわかりましたけど、先輩ってヘアアレンジできるんですか?」


「一応、泉美が小さかった頃は俺が結ったりしたことがあるんだぞ」


 今の泉美はボブカットだが、あいつの小学校時代は背中に届くほどのロングヘアだった。ねだられていろいろやらされたので、ツインテや三つ編み等はひと通り習得済みだ。


「先輩と泉美の意外な一面が……」


「そんなわけだから安心して任せてくれ。……っと、ごめん。櫛とヘアゴムある?」


「ありますよ」


 そう言って部屋の片隅にある引き出しから一式取り出してきた。そんなとこに常備してたのね。

 彼女から櫛とヘアゴムを受け取って、近くの座席に着席を促す。

 ちょこんとお行儀よく椅子に座った彼女の背後に回り、声をかける。


「じゃあ、触ってもいい?」


「いつでもどうぞ」


 目の前にあるのは花音の小さな頭と、自然に下したままの絹糸のような黒髪。

 その羽衣のカーテンにそっと指を通してみる。

 すると何の抵抗も無く髪がかき分けられ、軽くさらっとした心地よい感触が手に伝わってきた。

 櫛を通して髪の流れを整えてみるが、果たして櫛を入れる意味があったのかと思うほどよくまとまった髪だ。驚くほどスルスルと櫛が通る。


「ずいぶんと入念に梳くんですね」


「あ、ごめん。なんか髪を梳くのが楽しくて無駄にやっちゃった」


「私も気持ちいいからいいですけど、次に進まないと休み時間終わっちゃいますよ?」


「気持ちいい?」


「はい。少しくすぐったいけど優しい手つきで、なんか恋人っぽいかもって」


「ぽいじゃなくて俺達恋人同士だろ」


「そうでしたね♪」


 マジレスしたらかなり嬉しそうに返された。機嫌が良いようで、机を鍵盤に見立ててエアピアノをし始めた。


「何の曲?」


「んー、当ててみてください」


「指の動きだけじゃわかんないよ」


「でしたら……」


 鼻歌が加わった。あ、聞き覚えはある。あるけんだけど……なんだっけこの素朴で繊細な優しい曲は。

 曲名だけド忘れして出てこない。


「ヒントはドビュッシーのピアノのための前奏曲第八曲です」


「いや、それヒントになってないよね? 正解言ってるようなもんだし、もっと覚えやすい通称があったはずだよね?」


「正解は『亜麻色の髪の乙女』です」


「あー、それだそれ」


 髪繋がりだったか。


 正解がわかったところで俺も鼻歌に加わる。

 ハミングでアンサンブルしつつ、俺は彼女の髪を傷めないように注意を払いながら編み込んでいく。

 ああ、この時間がなんだかすごく……恋人っぽい。いや恋人同士なんだけどさ。


 毛づくろいというコミュニケーションは、猿や猫だってやっているぐらい生き物として純粋な愛情表現だ。猿や猫に愛があるかは知らないけど。

 猫はともかく、俺はこうして彼女の髪に触れることで、より一層目の前の女の子を愛おしく感じている感情に気がつく。

 俺達はきっとこれから、このピアノ曲のように穏やかなテンポで好きという気持ちを育んでいくのかなと、そう思った。


 ちなみに、完成した髪形は花音のお気に召したようで、昼休みが終わってもそのまま教室へと戻って行った。それ見たらまた泉美にからかわれるぞ。とりあえず俺は泉美への報復でも考えておくか……。

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