第89話 エルガー/愛の挨拶
~大河view~
「お邪魔するよ」
放課後。ある程度の時間をおいてから、俺は茶道部室へと訪れた。
初めて入ったが、結構ちゃんとした茶室だな。
「ご足労ありがとうございます。先輩」
「あれ? もう一人の……倉吉さんだったっけ? いないけど?」
「えっと、サーヤちゃんはもう帰りました。すみません、用事があったのは私だけだったので……」
「ああうん、気にしないで。他の茶道部員は?」
「あの、今日は活動日じゃないので、他の部員は来ないです。これでも私、副部長なので……」
鍵を使える権限はあるってことなのかな?
と思って聞いたみたらそういうことらしい。それにしても一年生で副部長なのか。
そこから茶道部についての話をしてくれた。この部活では裏千家の流派を教えているとか、なんとか。
話が長引きそうだったので軌道を戻すか。
「それで、用件は茶道のことだったの?」
「あの、その……先輩にひとつ訊きたいことがあって……」
「うん」
「先輩は……誰かとお付き合いされていたり、しますか……?」
「……いるよ。彼女」
「そう、ですか……」
琴浦さんの表情に影が落ちる。やはり俺の回答は彼女の望まないものだったようだ。
「お相手は、やっぱり飯山さんですか?」
「そうだよ」
「……ですか」
気まずい。目の前の少女は素直な性格なのだろう。落胆した様子を隠しきれていない。泉美の見立て通りだったようだ。
「先輩と飯山さん、お似合いですものね。そうなんじゃないかって思ってました」
「そう見えたのなら嬉しいな」
「さ……参考までに、彼女のどんなところに惹かれたのとか、お訊きしても……」
「価値観の一致だな」
「そうですか…………」
そのまま彼女は黙りこくってしまった。言葉選びに悩んでいるらしい。
思慮深い子だ。性格も外見も、たぶん男ウケするだろう。そんな子から見初められるのは光栄なことなのだろうが、あいにく俺の恋愛観はそんな単純なものではないし、操はすでに立てている。
だからもう、これ以上付き合う義理はない。長引くと花音が心配するだろうし。
「用件はそれだけ?」
「はい……あ、いえ。ひとつだけ、いいですか?」
「どうぞ」
「私も脚の筋肉、触ってみたいです」
「はあ……。まあいいよ。はい」
変なお願いだなと思いつつ、減るもんでもないし脚を差し出し力を込める。
恐る恐るといった感じで彼女の手が伸び、触れた。
「わぁ……男の人の筋肉ってすごい……」
「まあ、一応鍛えてはいるからね」
「飯山さんはこれを揉み放題なんですね……」
「いや……それを許可した事実は無いんだが……」
まあ花音から乞われれば許可するが。というか既に泉美が触りまくってるので今更である。泉美は気まぐれにマッサージしてくれるのだ。
「……ありがとうございます。満足しました」
「じゃあ、そろそろお暇するよ」
「あっ……さ、最後にお茶でもいかがですか? 一杯点てますよ」
「いいや、遠慮しておくよ。気持ちだけ受け取っておくね」
「そ、そうですか……。すみません、お時間頂いてありがとうございました」
「うん。じゃあ失礼するね」
「はい、さようなら……」
退室の際、彼女の目元に光ったものを俺は見なかったことにした。
~琴浦美智香view~
茶道部室から一直線に自宅へと戻っても、気持ちは全く落ち着かなかった。
やり場のない心を慰めるかのように、ふらふらと家の近所の河川敷をあてもなく歩いている。
「失恋、しちゃったな……」
中学の頃から、私は男の子に言い寄られることが多かった。十三歳から急に女性らしく成長した体のせいだろうか。異性からの視線に苦手意識があった。
最上級生の勝山先輩からも声を掛けられたことがあった。女子からの人気が高い人らしいけど、威圧感のある口調と大きい体格がどうしても怖くて、私は逃げてしまった。
その一部始終をどう切り取ったのか、私が勝山先輩をたぶらかしたという噂が立った。
本当は逆なのに、どうしてこんな後ろ指をさされるのだろう。
幸い、勝山先輩の彼女である高橋茜さん本人が噂を否定してくれたおかげで、すぐに鎮静化した。そのうえ高橋さんは私に謝罪してくれた。勝山先輩の浮気性には高橋さんも辟易しているらしいけど、それでも別れるつもりは無いらしい。言葉の節々には彼への信頼感が滲んでいた。きっと二人には二人の物語があるのだろう。
それはそれとして、私にとって勝山先輩に対して負の感情が残ったのは言うまでもない。勝山先輩を表立って悪しように言えない雰囲気の学校内で、この感情を抱えることはストレスになった。
その勝山先輩を、秋谷先輩が全校生徒の前でやっつけてくれた。それも、赤子の手をひねるように。
誰もが驚いていた。そして格好良かった。
あのZフィットというゲームは開放中に私も体験したけど、思いっきり漕いでようやく百ワットを出せる程度だった。決勝トーナメントの男子生徒達の数値を見て、女の私とは比べ物にならないなと思っていた最中に、あの秋谷先輩の圧勝劇である。何百ワットというパワーをどうやって出しているのか。想像すらできなかった。
妹である秋谷さんがいるからなのか、秋谷先輩は私のクラスによく出入りしていた。
近くで見ると、本当にあの勝山先輩を倒したのか疑わしいほどの細身で、声も小さくて威圧感が無く、私にとっては好感を持てた。
気がつけば彼のことをずっと目で追っていた。
……初恋だった。
しかし、距離はなかなか縮まらなかった。
自転車が得意ということ以外に彼の趣味がわからず会話のきっかけも無く、お昼に教室へ来ても秋谷さんのグループにずっといて隙がない。
勇気を出して何度か先輩の教室を覗いてみたけど、毎回不在で会えなかった。
手をこまねいているうちに、飯山さんといい感じらしいという噂がクリスマス前に流れ始めた。
結局、そのまま先を越される形になってしまった。
飯山花音さん……私とはあまり交流のない子だ。
成績上位者としてよく名前を見かけるのと、他のクラスに双子の妹がいることぐらいは知っている。あ、あと生徒会役員だったっけ。
他のことはあまりよく知らない。コミュ障とか陰キャとかではなさそうなのに、放課後になるとすぐにどこかへ消えてしまう飯山さんは、基本的にミステリアスキャラとみられている。
彼女に有って私に足りなかったものってなんだろう。知りたいような、知りたくないような……。
プロポーションなら勝ってると思うんだけど。先輩は価値観の一致って言ってたけど、漠然としていてよくわからない。
河川敷を歩いているうちに、遠くから楽器の音が聞こえてきた。
「ヴァイオリン……?」
この河川敷では楽器の練習をしている人は珍しくない。いつもは気にも留めないのだけど、その不思議な魅力を纏わせる音色に惹かれるように足が向く。
近づくたび、音がはっきりと、そして一段と美しく聞こえる。
一歩、また一歩と足を進めると人影が見えてきた。
その音の中心には女の子と男の人がいた。
「え……?」
秋谷先輩と飯山さんだった。
付き合っていることが判明している今、組み合わせに意外性はない。ないけれど……。
(飯山さん、ヴァイオリン弾けるんだ……)
しかも、たぶんすごく上手い。素人じゃないってことぐらい私にもわかる。
こんな特技を隠していたなんて。他に知ってる人は誰がいるんだろう。
二人は言葉も交わすことなく、飯山さんが一方的に演奏を続けて、先輩はじっと耳を傾けている。
二人きりの恋人ってもっとイチャイチャするものかと思っていたけど、この二人はそういう感じではないらしい。恋人の空間というより、純粋に音楽を楽しんでいるようにしか見えない。気付かれないように背後に回り込んでいるので、二人の表情はわからないから推測にすぎないけれど……。
でもその後ろ姿はあまりにも自然で、そして画になっていた。これこそが私達の世界なのだと主張しているようだ。
(それにしても優しい曲……)
どこかで聴いたことがあるはずだけど、曲名は思い出せない。というか曲名知らないかもしれない。
名前もわからないその曲を、私は一歩引いた場所からずっと聴いていた。
**
「なんて曲だったんだろう」
自宅に戻ってからも、そのメロディーが頭から離れなかった。
曲名ってどうやって調べればいいんだろう。
検索エンジンに『ラーラララララララー』と入れても、当然のようにわかりっこない。
いろいろやっていたら、音声検索というものを使って鼻歌をインプットすれば検索できるということがわかった。IT技術の進歩はすごい。
さっそく鼻歌で検索してみる。
「あった」
トップにサジェストされた検索結果を確認する。
ああ、そっか……。
あれはやっぱり逢瀬だったんだ。
「見せつけられちゃったな……」
探し求めていたその曲名は『愛の挨拶』というクラシック曲だった。
作曲者のエルガーが、婚約記念に恋人へ贈った曲だという。
そんな曲を二人で共有し合うなんて、もうイチャイチャだよ。
「ほんと、お似合いですね……」
先輩の前でこれを言ったときは本心じゃなったのに、今は……。
ああ、認めたくないなぁ……。
認めたら、今度こそ本当に失恋だよ……。
涙と共に夜は更けていく。BGMは動画アプリから流れ続ける『愛の挨拶』だった。
【筆者注】
私事ですが、今日が誕生日でした。感想や☆を頂けたら飛んで喜びます。




