第88話 今年もよろしく
〜大河view〜
新年最初の登校日。我が校は学期が変わるわけでもないので、初日から普通授業で始まり、今は昼休み。俺はいつも通り弁当片手に一年A組の教室へとやってきた。
「よ。あけましておめでとう」
「あけましておめでとうございます」
浦野君は今年も天空神さながらに爽やかな挨拶を返してくる。
「今年もよろしくお願いします。先輩」
「よろしくな」
花音は「あけまして〜」のくだりを省いた。既に元旦に済ませた挨拶なので当然である。今年もよろしくも、学校でもよろしくという意味だろう。
すでに机がくっつけられて食卓になっている席に座り、弁当を広げる。さあ腹ごしらえだ。
「そういえば先輩、ストラバってやってますか?」
「ん? 学校でその名前を聞くのは新鮮だな。もちろんやってるけど」
浦野君の問いに肯定する。
ストラバとは、フィットネス系SNSのことだ。このジャンルでは世界最大手のアプリである。主にサイクリストやマラソンランナー、スイマーが利用している。
例えば俺がライドして、サイクルコンピュータやスマートウォッチ等で記録した走行ログをアップロードすると、それがストラバで繋がっている仲間とシェアされる。走ったコースの軌跡や距離、速度や心拍数など各種パラメータデータが公開されるので、走行証明に使われることもあるし、写真やコメントを追加してSNSらしく日記のようにも使える。他人の走行ログを見ると、自分のモチベーションアップにもなる。
「俺、今年からストラバ始めたんですよ。先輩のアカウント教えてくれますか?」
「マジ? しかも今年からって、始めたてか」
「お年玉と初売りセールでスマートウォッチ買ったので、ようやく始められるようになったんです」
「俺も浦野君のランの記録見てみたいや。アカウント教えて」
アカウントのIDを教えてもらい、ユーザー検索から彼のアカウントをフォローする。
「すっげ……。今年に入ってもう六十五キロ走ってるのかよ……」
『SUSA』という彼のアカウントの記録を覗き見ると、一月二日に五キロ、三日と四日にそれぞれ二十五キロ、そして今朝十キロランニングした記録がアップロードされていた。
俺らの会話に聞き耳を立てていたらしい教室内の生徒が「六十五キロだってよ……」「さすが浦野君……」「普通に凄い」と小声で慄かれている。やはりこのクラスにおける浦野君の注目度は高い。
「ストラバ始めたのは二日か? 元日も走ったの?」
「はい。でも元日は忙しかったので五キロだけです。その翌日に祖父母の家に行っていたときにスマートウォッチを買ったので、記録開始はその日からですね」
一月二日のアクティビティは宇都宮での記録だった。彼の祖父母の家はそっちにあるのか。
「……てことはもう今年に入って七十キロか。よくそんな走るな……」
「ほら、箱根駅伝観てると外走りたくなるじゃないですか」
そうか? あ、いや、自転車に置き換えるとわかる気がする。海外のロードレース中継観てると、確かに走りたくなるときはある。
浦野君は箱根駅伝を走るのが目標らしい。そんな彼が刺激されるのは当然だった。
「そう言う先輩も人のこと言えませんよね。今年もう二百五十キロ走ってるじゃないですか」
教室内が再びざわざわし出した。浦野君と会話をしていると、たまにこうなる。
「自転車でな。これぐらい普通だよ。俺のストラバのフォロワーにはもう四百キロ以上走ってる人いるし」
「先輩のご友人どうなってるんですか……」
「浦野君や。ストラバを始めると、世の中ジンガイだらけだってのが見えてくるんだよ……」
「えええ……」
いつ働いてるのかわからないほど四六時中走ってる人が普通にいる。平日にグループライドしてる人とか、毎日朝四時にローラー漕いでる人とか、片道五十キロ自転車通勤してる人とか……。
「でもやっぱ君のトレーニング量は伊達じゃないな。脚、ちょっと力入れてみせて」
「こうですか?」
座りながらも膝を伸ばして力んだ状態の彼の大腿を、ジーパン越しに触ってみる。
うーん、うん。大腿四頭筋もハムストリングスもよく仕上がってるわ。ボディービル大会なら、脚に内燃機関入れてんのかいとか言われそう。
「あ、あたしも触るー。うわ、かった! すご〜」
泉美が本人の了承も得ずに浦野君の脚にお触りし、一人で盛り上がっている。
気になる異性からの突然のボディータッチに浦野君は一瞬フリーズした様子だったが、どうにか気を持ち直したようでポーカーフェイスをキメている。彼も苦労人だ。そして我が妹は小悪魔だ。
「泉美。勝手に触るのは悪いよ」
「あ、ごめんね浦野君。でもほら、花音も触ってみなよ。すごい硬くて立派だよこれ」
「じゃあちょっとだけ……わ、ほんとカチカチだ……」
「めっちゃすごいよね……ほら、兄貴のより硬くておっきいよ」
「そんなことないよ。身長差を考えれば先輩のだって負けてないぐらい大きいし、黒くて立派だよ」
……ねえ君たち。主語を省いて喋ってるのはわざとなの? なぜとは言わんが、俺も浦野君もいたたまれなくて死にそうなんだけど? 周りからすごい異質な視線感じるんだけど。
「ふーん。花音も見たり触ったりしてるんだ」
「そりゃ当然―――」
「脚の筋肉の話だよな!! 脚の話は終わり!! それ以上はダメ!!」
「え? はい、わかりました」
どんどんダメな方向へ向かって行きそうだったので強制終了させる。
よくわかってないらしい花音は素直に従い、泉美の方はニヤついている。お前は確信犯か。どうしてくれるんだよこの教室の空気。あとで覚えてろよ。
その後は気を取り直して普通に弁当を食べて、いつも通り談笑して過ごした。ストラバという話題があったので、浦野君とは特に話が盛り上がった。
いつもより早い時間にお開きになったので、俺は席を立って、一人で生徒会室へ戻ろうと教室を出た直後のことだった。
「秋谷ちゃんのおにーさん、ちょっといいですか?」
不意にかけられた声に振り向くと、二人の女子生徒がこちらを見ていた。
「呼び止めてごめんなさい。私、倉吉沙綾って言います。こっちは琴浦美智香」
さっぱりした感じの倉吉さんと、その彼女に紹介された琴浦さんは落ち着かない様子のままぺこりと会釈をしてきた。
「ああうん。俺に用事?」
「えっと、放課後少しだけ時間をくれますか?」
「まあいいけど、この教室に来ればいい?」
「あー、えっと……みっちゃん、それでいい?」
「えっ、あ、その……落ち着いて話せる場所がいいので……さ、茶道部の部室に来てくれますか……?」
「いいけど、そこってどこだっけ」
妙に落ち着かないままの琴浦さんから茶道部部室をヒアリングし、とりあえず場所は理解した。
「では放課後、よろしくお願いします」
倉吉さんと琴浦さんは教室に戻って行った。と同時に、俺のスマホがメッセージの通知を告げた。スマホを確認してみる。
『(花音)あのお二人となんの話をされていたのですか?』
そこはかとなく圧を感じる文面だ。彼女ムーブかな。かわいい。
『(大河)用件は聞きそびれたけど放課後呼び出された。行ってもいい?』
事後報告だけどお伺いを立ててみる。
『(花音)いいですけど、どんな話をしたのかだけ教えてください』
『(大河)了解です』
『(花音)告白されたら断ってくださいね』
『(大河)告白なんてありえないから大丈夫だよ』
彼女ムーブらしい心配をもらってほっこりするが、非モテにはありえない話だ。
『(花音)ありえますよ。琴浦さんの方は先輩に気がありますから』
……え?
『(大河)冗談だよね?』
『(花音)冗談じゃありませんよ。泉美から仕入れた確定情報です』
マジなの? てか泉美情報ってどこまで信用できるの?
そういえば、変な横槍入る前に決着つけてよとか、やっと肩の荷が下りただとか恩着せがましいことをあいつから言われたけど、横槍ってそういう話だったのか?
考えてみれば、先月の後半はいつも泉美の長話に付き合う形で昼休みを目一杯使って食卓を囲み、俺が教室を出てもしばらくは泉美がひっ付いて来ていた。特に気にも留めていなかったが、あいつは俺への他の人の接触をガードしていたのか? いやいやまさか、そんなはずは。しかし現にそれを止めた一発目に今日の出来事……。偶然にしてはちょっと……。
泉美、お前だったのか……。
『(大河)まあ、何にしても俺の答えは決まってるから……』
『(花音)信じてますよ』
『(大河)ちなみに俺達のことは話していいの?』
花音との交際関係を学内で公表するのか、秘密にするのか、何も決めずに今に至っている。昼はとりあえず以前と同じように振る舞ったが、事ここに至り何も決めないわけにはいかなくなった。
『(花音)大々的に言う必要はありませんが、隠すこともないですし個別になら言っちゃっていいんじゃないでしょうか』
『(大河)そうだな。そうしよう』
『(花音)先輩、他の子に靡いちゃダメですよ』
『(大河)君だけ愛してるから心配しないで』
……返信が途絶えた。効きすぎたか?
まあ行くことの承諾は得られたし、茶道部室へは後ろめたさ無しで行けるな。
一体なにを言われるのやら。
【筆者注】
すみません、今度こそストックが尽きました。今後は不定期投稿になります。




