第86話 年賀状
~九音view~
「はい、これ九音宛ての年賀状」
花音の交際宣言という波乱の幕開けをしたお正月も三日目となった昼下がり。お母さんから年賀状を渡された。
インターネットでの新年の挨拶全盛の今の時代においてほぼ廃れつつある年賀状だけど、片手で数える程度にはまだ届く。まあこの中に同世代の友達からのものは当然皆無であり、あるのはファンクラブ登録しているゲームコンテンツからのものや、会員になっているサービスの企業からといったビジネス的なものばかりだ。
その中で毎年楽しみにしている年賀状があった。それはトヨハシアートクラブの豊橋先生から届く年賀状だ。
先生から届く年賀状は、先生の描き下ろし作品による絵葉書がお決まりだ。どれも本当に綺麗な作品で、今までもらった年賀状は全てファイルに入れて保存している。
今年はどんな絵画だろうか。わくわくしながら年賀状を確認する。
「あれ……?」
受け取った数枚のハガキをいっぺんにさらっと眺めたが、絵葉書になっているものが見当たらなかった。
おかしいなと思い、宛名の面にひっくり返して差出人を確認する。
すると、ちゃんと二枚目に豊橋幸子と差出人名が書かれたものがあった。それを再びひっくり返すと、そこには絵画はなくワープロ文で新年の挨拶が書かれているのみだった。
こんなこと今まで無かったのに……。
「どうしちゃったんだろう……」
「どうかしたの?」
私の動揺した様子を見て気になったのだろうか、お母さんが聞いてくる。
「豊橋先生の年賀状がいつもと違うの」
「ほんとだ。いつもは素敵な絵を描いてたわよね。今年は間に合わなかったのかしら」
「うーん……それはちょっと先生らしくないと思う」
先生は要領がいい。だから締め切り破りをするイメージは無い。それに、年賀状の絵は特に気合を入れているというのは本人の口から聞いたことがある。らしくないと思うのはそういうところから感じるのだろう。
「お身体が優れないのかしら。ほら、アートクラブを閉めたのもそういう理由だったのよね?」
「うん……でも、夏に会ったときは元気そうだったのに……」
夏コミでごった返したあの人混みの中を、一人で歩いて来てくれた。ある程度の体力が必要なことだ。
体調が優れないという予想は杞憂かもしれないし、そうでなかったとしたら大変な無理をさせてしまったのかもしれない。
「心配?」
「そりゃあ……先生だもん……」
「電話する?」
「電話かぁ……」
私は難色を示してしまう。
電話はアリだとは思うけど、声だけでは誤魔化されてしまった場合に判断がつかない。
「だったら会いに行ってみれば?」
お母さんは年賀状の差出人のところに書かれていた住所を指で示してそう言った。
直接会いにか……。
「行ってみようかな」
百聞は一見にしかず。会って確かめるのが確実だ。それに、確認とか抜きに純粋に会いたいと思った。
「いつ行くの?」
「午後になったら行く」
明後日には学校が始まってしまう。行くなら今日か明日しかない。善は急げだ。
「早いのね。行くなら菓子折りぐらい持っていきなさい。後でお金渡すから」
「いいわよそれぐらい。自分で出すから」
「あらそう。じゃあよろしく伝えておいてね」
適当に返事をして午後からの動きを考える。とりあえず、まずはグーグルマップで先生のお宅の場所を確認するところからかな。
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道中で買ってきた銘菓の入った紙袋を手に下げて、私は閑静な住宅街を歩いていた。
先生の年賀状に書かれていた住所は、私のマンションから徒歩圏内のところにあった。
ここに来る途中、懐かしさからかつてのトヨハシアートクラブがあったテナントにも立ち寄ってきた。私達のアトリエだったその建物は、今は看板が変わって小綺麗な美容院になっていた。それを見た私は、少し寂しい気持ちになった。
そこからまたしばらく歩いた先に目的地があった。
「ここが先生のおうち……」
ごく普通の、やや年季を感じる一軒家だ。元教室からはそんなに離れていないけど、ここに来るのは初めてだった。
インターホンのボタンに手を伸ばす。
ちょっと緊張して一瞬ためらってしまったけど、意を決して指を押し込む。
軽快な呼び鈴の音が室内側から聞こえてくる。少し遅れて、中から人がやってくる気配がした。
「どちら様でしょうか」
開いた扉から顔を出したのは先生ではなく、知らない成人男性だった。そのことに私は少し動揺してしまった。
「あ、あの……ええと、初めまして。私、飯山九音と申します。こちら、豊橋幸子先生のお宅で間違いないでしょうか」
「ああ、初めまして。叔母を先生と呼ぶということは、元生徒の方ですか?」
叔母……つまりこの男性は先生の甥か。雰囲気的に三十代ぐらいかしら。
「あ、はい。昔小学生コースに通っていて、アートクラブが閉まったときは小学五年生でした」
「なるほど。どうりで若いわけですね。叔母は今通院で留守にしていますが、もうじき戻ってくるはずです。中で待ちますか?」
「えっと……では、お言葉に甘えて……」
敷居を跨がせてもらい、リビングへと案内された。
やはりここは先生のご自宅らしく、額に入れて飾られた絵画や画材がそこかしこにあった。室内に漂う匂いも、顔料やテレピン油のそれを感じさせる。
「あの、これ、つまらないものですが……」
手土産に持ってきた菓子折りを差し出す。
「ありがとうございます。とても美味しそうですね。今お茶を淹れますのでお待ちください」
「あの、お構いなく……」
「いいえ、お客様をもてなせなければ叔母から叱られてしまいますので、淹れさせてください。緑茶で構いませんか?」
「あ……はい。それで大丈夫です」
私が持参した菓子折りがそのままお茶請けとして供され、用意された湯呑みに急須でお茶が注がれた。
「粗茶ですが」
「いただきます……ええと……」
「すみません、申し遅れました。豊橋幸子の甥の菅平恭太郎です」
「菅平さんですね。ありがとうございます。あの、菅平さんは先生とここで同居されているのですか?」
「いえ、自宅はここではないのですが、体が空いている休日はここに来て叔母の身の回りの世話をしています。僕が来れない日は母が来ています」
「そうなんですね」
少しだけお茶を飲んで喉を潤す。まだ少し熱いか。
はあっと息を吐く。完全な他人ではないとはいえ、いきなり見知らぬ男性と二人きりというのは気まずい。それはあちらも同様らしく、視線はお菓子にだけ固定され、困っているような雰囲気を感じる。
兎にも角にも会話が必要だ。共通の話題といえば、天気の話かもう一つしかないので、後者で切り込む。
「あの……さっき先生は通院って……」
「ああ……ええ。叔母は近所のクリニックへ定期的に通院していまして……。あっ、安心してください。別に病状が悪化しているわけではなくて、いつも薬の処方ついでに問診を受けて帰ってくる程度なので。僕らが世話をしているのも、少しだけ家事をしてから話し相手になる程度ですから」
「そうですか……」
「叔母が心配で来られたのですか?」
「はい……その、いつも素敵な絵が送られてきた年賀状が、今年はそうじゃなかったので……」
「やはり皆さんそれで心配されるのですね。その件で年明けから何件か叔母に電話がありましたよ。直接来られたのは貴女が初めてですが」
「すみません……アポイントを取るべきでした」
「ああいえ、それは気にしないでください。叔母は人が好きですから、直接顔を合わせたほうが喜ぶと思います」
フォローされてしまった。気を遣わせただろうか。
再び気まずくなりかけたところを狙いすましたように、玄関の方から扉が開く音がした。
「ただいま。あら、恭太郎、この靴はもしかしてお客さん?」
廊下の奥から聞こえてくる声は、もしかしなくても先生の声だ。手を洗っているのか、水音も小さく聞こえてくる。
「おかえり、幸子おばさん。教え子さんがいらっしゃってるよ」
「まあ、誰かしら」
パタパタとスリッパの足音が近づいてくる。
そして、先生がリビングへとたどり着いた。
「お客さんは九音ちゃんだったのね。夏以来ね。あけましておめでとう」
半年ぶりに見た先生のお姿は、思ったより元気そうで、しかしほんの少しばかり痩せて見えた。




