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第82話 配達屋のハトと最後のお客様

〜大河view〜


 世界が凍りついたかのような夜明け前の空気だった。

 風は凪ぎ、川の水面は鏡のように薄明かりの空を映し出している。

 ここは荒川の旧岩淵水門の上だ。川下には水色の現役岩淵水門がそびえ立ち、隅田川の門番としてその役目を果たしている。こちらの朱色の旧岩淵水門は、それを見守る隠居した老体のようだった。


 静かだ。

 さすがに大晦日の早朝にこんなところに来る人はいなかった。俺と、もう一人を除いて。


「おはようございます」


 その声は小さいながらも、俺の耳までまっすぐに届いた。凍った世界がゆっくりと動き出したかのような、始まりを告げる音色に聴こえた。


 振り返る。

 そこにはお姫様がいた。

 精一杯おめかししてくれたのだろう。初めて見るその服は、ちょっとロリィタっぽいフリル多めの白いワンピースだ。髪形はやや下側で結われたツインテールで、毛先が気持ち巻かれており手間がかかっているのがわかる。薄暗い中でも、まるで光っているかのように明るく見えた。


「おはよう。こんな朝早くから来てくれてありがとう」


「大丈夫ですよ。こんな一日の始まりもいいものですね」


「いつもと違うって、刺激的だよね」


「ですね」


 二人、もうすぐ太陽が顔を出しそうな東の空を見る。空を彩るグラデーションは、ゆっくりゆっくりと明度を増しながら変化している。


「それではチケットを拝見します」


「こちらに」


 彼女は一枚の栞を取り出してみせる。先週渡したばかりの栞が、そのままの姿でそこにあった。


「確認しました。それでは会場へご案内します」


 芝居がかったセリフを敢えて言いつつ、手のひらを上にして右手を差し出す。彼女はにっこりと微笑んで、手の甲を上にした左手をそこに重ねてくれる。


「案内よろしくお願いしますね」


「心得ました、お姫様」


「ふふ! 今日もお姫様扱いしてくれるんですね」


「っ……」


 意図的に恥ずかしいセリフを吐いておきながら赤面してしまう。完全に自爆だが、今日だけは挫けずこのロールプレイを貫き通していきたい。

 手と手を重ねたまま、エスコートするように水門の上を進む。


「今日は一段と可愛いね。服もよく似合ってるし、髪飾りのリボンも、リップの色合いも品があって好きだよ」


「ありがとうございます。実はこの服、昨日買ったばかりなんですよ」


「え、昨日?」


「ドレスコードですので。先輩もよく似合ってますよ。卒業式まで見られないと思っていたので嬉しいです」


 今日の俺の装いはスーツだった。ほとんど着ていなくて糊が効いたままのワイシャツに袖を通し、ネクタイもきっちり締めてきた。


「似合うかな? まだ着せられてるっぽく思ってるんだけど」


「そんなことありませんよ! そんなことない……ちゃんと、すごく格好良いです……」


「そっか、ありがとう……」


 照れくさい。けど悪くない気分だった。


 水門の上を歩いた先は中州になっている。イチョウなどの木も数本生えていて、ちょっとした公園のような場所だ。

 歩みを止めて、彼女と向き合う。


「それでは、ようこそ! 二人だけの同人誌即売会へ」


「お招きありがとうございます。では先輩……」


 ひと呼吸置き、彼女の桃色のリップからお約束の言葉が紡がれる。


「新刊ひとつ、ください!」


 同人作家が欲してやまないひとことだ。

 そして今日に限っては、もっと特別な言葉になる。

 今から渡すのは俺の努力と、そして想いの結晶だ。

 届け、俺の全て。


「これが、俺の新刊です」


「……わぁ」


 努めて平静を装って差し出したつもりだが、緊張で震えていたかもしれない。しかし、彼女の感嘆詞を聞いてすでに報われた気持ちになった。


「これ、全部手描きですか……」


「もちろん」


 この同人誌は印刷ではない。専門店で質の良い紙を見繕ってきて、持っている画材を総動員して描き上げ、ラミネートや製本も自分でやった、正真正銘の手づくりにして唯一無二の一冊だ。

 不特定多数に頒布するわけではない。たった一人の大切な人にだけ届けばいいのだ。ゆえにこれがベスト。気持ちが最も込められる方法だった。

 本が彼女の手に渡る。


「読んでみても、いいですか」


「むしろ読んでほしいかな」


 彼女は本の表紙をゆっくりと開く。



 表題『配達屋のハトと最後のお客様』



 そのあらすじはこうだ。


 動物の国に 一羽のハトがいました

 ハトは町一番の配達屋として 皆から慕われ重用されていました

 しかし そんな日々は突然変わってしまいます

 どこかの国の頭のよさそうな天竺鼠が どろーんというものを町に持ち込みました

 町の皆は はじめのうちは気味悪がっていました

 でもすぐにどろーんの便利さに気がつき みんな夢中になりました

 好きに飛ばして遊べるし 空から撮影もできるし 物を運ぶこともできました

 どろーんを使うことがクールだというイメージまで定着しました

 誰もが好きなときに配達ができるどろーんが ハトの仕事を奪っていきました

 ハトは配達屋をやめてしまいました



「先輩、これ……」


「感想は最後まで読んでから聞かせてほしいかな」


「……はい」



 ハトが町外れを歩いていたときでした

 「もし。配達はしていないのかしら」

 その声は 見目麗しい小妖精からのものでした

 もうしていない ハトはそう答えました

 「それは困ったわ。あれは貴方にしか頼めないの」

 どろーんで運べないのかと ハトは聞いてみました

 「一応運べるけど、あれじゃダメなのよ。質が違うわ」

 ハトは驚きました

 いまどき質を大事にする顧客がいたなんて 夢にも思いませんでした

 「ねえ、私のためにまた配達してくれない?」

 気がついたら ハトはそれを請け負っていました


 ハトが運ぶことになったのは ”芸術の素”でした

 ”芸術の素”を届けると そこには毎回いろいろな楽器を弾く小妖精が待っていました

 あるときは ヴィオラ・ダ・ガンバを

 あるときは バグパイプを

 またあるときは チェンバロを弾いていました

 いつしかハトは その演奏を楽しみに”芸術の素”を運ぶようになりました


 そんなある日 小妖精のもとにたくさんのどろーん配達の営業が押しかけてきました

 うちはハトより速い

 うちはハトに運べない重いものでも運べる

 うちはハトには真似できない二十四時間年中無休営業をしている

 誰もがこぞって 小妖精に売り込みをかけていました

 それを見たハトは 悲しい気持ちになりました

 どろーんに勝てることなんて もうほとんどなくなっていたから

 すると 小妖精はこんなことを言いました

 「来週のどこかで、私はこの場にいる全員に一斉に配達を依頼します。その中で一番先に私に届けることができた者だけ私と契約しましょう」

 どろーんの営業達は それぞれ自信満々に帰っていきました

 ハトは勝ち目のない勝負を前に とぼとぼと家へ帰りました


 配達の依頼がきたのは その翌週が終わるギリギリの朝でした

 ハトはあろうことか寝坊してしまい 慌てて小包を抱えて外へ出ると すでに無数のどろーんが小妖精の住む森へ目掛けて飛んでいました

 勝ち目がなくなってしまったハトは 家に戻ってしまいました

 正午の鐘の音で目が覚めました あのあとハトは寝てしまったみたいです

 きっと勝負はついているでしょう

 暗い気持ちと裏腹に 鐘の音はいつも以上に美しく響き渡っていました

 外へ出ると 数えきれないほどのどろーんが縦横無尽に飛び回っていました

 「小妖精が見つからないぞ」「小妖精はどこ行った」

 配達業者の猫やカンガルー 他にも大勢の動物達が大騒ぎしていました

 それを聞いたハトは 小妖精の家に急いで飛んでいきました

 小妖精の家は留守でした

 周囲には小妖精を探す動物やどろーんがいました

 勝負はまだ終わっていませんでした

 ハトも必死で町中を探し回ります

 しかし 誰も小妖精を見つけられません

 夕暮れを告げる鐘が鳴りました

 それは やっぱり美しい音でした

 気がつけば ハトはその音に導かれるように飛んでいました


 「やっぱり勝ったのはあなたでしたね」

 薄暗い鐘楼の中 差し込む夕陽の先に小妖精がいました

 「あなたならこのカリヨンの音で気づいてくれると信じていたわ」

 ハト自身なんで見つけられたのかわかりませんでした

 でも事実として ハトはここまで辿り着きました

 「この小包、開けてもいいかしら?」

 ハトの返事を見て 小妖精が小包を開きます

 「わぁ……やっぱりあなたの運ぶ"芸術の素"はすごいわ。今日は特にあたたかい」

 ずっと大切に抱えてきた小包は ハトの心であたたまっていました

 小妖精は慎重に"芸術の素"を取り出し カリヨンに注ぎました

 「お祝いに一曲演奏するわ」

 小妖精はカリヨンの鍵盤を叩き始めます

 すると 町中にこれまでにないほど あたたかな鐘の音が響き渡りました

 ハトはとても満たされた気持ちになりました

 ハトは意を決して 小さな箱を取り出します

 「これはなにかしら?」

 それはずっと届けたかったもの

 僕から君への贈り物

 届け

 「ハトさん、これって」

 届け この想い

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