第81話 冬コミ
〜大洋view〜
十二月三十日。今年も残すところあと二日となった。ようやく登り始めた太陽が周囲をゆっくりと温め始めるが、東京湾から届く潮風は理不尽なほどに寒い。
「今日は本当にありがとうございます」
「それはもう聞いたよ。全然気にしなくていいから」
恐縮しきりの九音君を宥める。今日の俺は九音君のサークルの手伝いに来ていた。
「でもやっぱり申し訳なくて……」
「俺としては願ったり叶ったりなんだって。今回大河が辞退したから、九音君に呼ばれないとこうしてチケット入場できなかったし」
「けど、私のサークルの手伝いをするとなるとほとんど持ち場を離れられなくなっちゃいますよ。お買い物とか全然できないと思います……」
「いいっていいって。元々来るかどうかわからなかったから大手のは通販で予約済みだし、他は売り切れの心配があまり無いところだけだから、昼下がりに動けるようになれば行ってくるよ」
「ありがとうございます! 正直、大洋さんが居なかったらピンチでした。サークルのことで従姉と花音以外で頼れる人なんて、他に心当たりが居なかったので……」
「花音君はどうしたの? まだ気まずい?」
「あ、いえ、最近はまあまあ良くなってて。それは大丈夫だと思うんですけど、どうしても必要な買い物に行くとかで来れなくなったって言われて」
「そっか。なら仕方ないな」
「ええ、仕方ないですね」
少し会話が途切れてしまった。
わだかまりというものは完全に消えるまで時間がかかる。ある程度の距離はまだ必要だったのだろう。
ならば、今日はとりあえず切り替えていくだけだ。
「さて、さっさと入場して準備しちゃうか。忙しいんだろ?」
「はい。早めに動くに越したことはないので、ちょっと急ぎましょうか」
俺達は現実世界でやり残したことを置き去りにして、異世界への門をくぐった。
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「やっぱり壁サークルのスペースは広くて快適だな」
「そうですね。これさえなければ」
"これ"とは、足元に何箱も積まれているダンボール箱である。
壁サークルのスペースは島中サークルと違って背後は文字通り壁だ。背後にサークルはいないので配慮はいらないし、敷地面積自体も感覚的には倍以上ある。それでも足元に置かれている新刊が詰まった箱が、余分のスペースを相殺するほど占有している。
「懐かしいな」
「何がですか?」
「大河もさ、〈那イル〉だった頃はこんな感じの量の同人誌を作ってたんだよ」
「そうですか……」
「ああ、ごめん。今はどうでもいいことだよな。俺は何すればいい? 開梱しようか?」
「あ、でしたらこのポスターを貼ってもらえますか? なるべく高い位置で」
「任せて」
ポスターと養生テープを受け取り、コンクリート壁に貼り付ける。斜めにならないよう注意を払って。
「やっぱり高い位置に貼られると見栄えがいいですね。背の高い大洋さんがいてくれて良かったです」
「俺、どちらかというと低いほうなんだけどね。まあ大河より二センチだけ高いけど」
「あ、大洋さんのほうが背が高いんですね」
「そうなんだよな。二卵性だからなのかな? そっちはやっぱり同じなの?」
「花音とは同じ身長ですよ。でも違うところもあるので一卵性でも全く同じとはならないみたいですね」
「違うところ?」
「えっと、その……バストが、私の方が大きいです……二センチ……」
「あ……その、そうなんだ……」
セクハラみたいになってしまい、俺は質問したのを少し後悔した。
「大洋さんはその……どれぐらいの大きさが好きですか?」
「えっと、なんの話?」
「胸ですけど」
え、この話引っ張るの?
「俺は大きさにこだわりは無いって言うか、強いて言えば形かなって」
「お椀形って感じですか? なら中ぐらいでしょうか」
「うん? まあ、そうなる……のかな?」
答えづれえ……。
「そのへんの嗜好も先輩とは違うんですね」
「やっぱあいつって貧乳好きなの?」
「なんで大洋さんが疑問形なんですか?」
「いや……俺達あんまりそういうこと話さないし……」
「へえ、ちょっと意外です。男兄弟って明けっ広げなものかと思ってました」
「なんか毎日顔合わせてると、かえってその手の話題が気まずくなるんだよなぁ。そっちもそうじゃないの?」
「私達ですか? フェチの話ぐらいならしますよ?」
「マジか。そっちのほうが意外だわ。ちなみにフェチって?」
「例えば花音は血管で、私は鎖骨ですね」
「ほー……」
女性目線のフェチズムはそういう方向へ行くのか。
「大洋さん、さっき先輩は貧乳好きなのかって言いましたけど、大洋さんもそう思いますか?」
「あ、君もそう思う? あいつの推しキャラってダム娘だと布引五本松みたいな堤体低いキャラだったりするし、オリキャラはシオンだし、絶対そうだと思うよな」
「ですよね」
ダム娘は元ネタのダムの規模によってグラマーだったりロリっ娘だったりする。大河は小規模なダム娘が好きな傾向にある。つまりそうなんだろう。
あいつのそういうところは泉美も察してるっぽいし、九音君にまで筒抜けというのはちょっと不憫かもしれない。
「シオンの体型って花音とほぼ同じらしいんですよね」
「マジで? それ偶然?」
「完全に偶然らしいです。あの二人が会う前からの設定だったみたいで」
「そりゃまた……」
あいつが執心するわけだ。ルッキズムが全てではないとはいえ、理想形の女の子が目の前に現れれば誰だって心奪われる。
「あの二人、仲良いですよね」
「そうだな。あれで付き合ってないとか……まだ付き合ってないんだよな?」
「私も付き合ったって報告は聞いてませんね。でもいつそうなってもおかしくないでしょう」
「だよなぁ」
あの二人はクリスマスにも出かけていた。一人遊びが好きな大河が、彼女と出会ってからはよく二人で遊んでいるのだ。二人の間に恋愛感情が芽生えていると見るほうが自然な感想だ。
「さっさとくっつけばいいのに」
「君はあの二人の交際に賛成なんだ」
学校の先輩と姉という組み合わせで、その男が犬猿の仲とあっては思うところがあるのかと思ったが。
「いいと思いますよ。先輩は花音に対してはだだ甘ですから、花音のナイトとしては申し分ないんじゃないですかね」
「あいつがだだ甘?」
「それはもうあからさまですよ。誰がお願いしても渋ることでも、花音がお願いすれば従うんですから」
学校での二人の様子は見たことがないのだが、あいつはすでに尻に敷かれているらしい。
「それに、やっぱりあの二人は似ていますから」
「だなあ……なんでか似てる感じがするけど、なんだろうな」
「なんですかね。たぶん感性と、あと心の在りようでしょうか」
「ああ……」
感性と、心の在りよう。
俺と花音君との接点は薄い。ファーストコンタクトこそ大河より先だが、学校も違えばプライベートでも特に交流していない。下校時に河川敷で見かけたときに手を挙げて会釈する程度だ。彼女の心の在りようを理解するには至っていない。
でも、大河のそれはわかる。美への探求心、孤高の意志、そして才能。非凡なそれらが、きっと花音君にもあるのだろう。
確かに、ヴァイオリンを奏でる彼女の雰囲気は、大河に通ずるものがある気がしなくもない。最も近くで二人を見ている彼女なら、よりそれを理解しているのだろう。
「業腹ですが、彼以上に花音のパートナーとして相応しい人は出てこないでしょうね」
「あの二人が付き合ったら、祝福できる?」
「さあ、どうでしょう。なんかもう、あっそうで済んじゃいそうな気がするんですよね」
「ああ、なんか君らしいね」
「大洋さんの方こそどうなんですか?」
「俺は……どうかな。祝福はできないかもしれない」
「なぜ?」
「あの二人が付き合ったら、いよいよ〈那イル〉も〈美青ドナ〉も消えるんじゃないかって思うんだよ」
「…………」
会話が途切れてしまった。失言だったかもしれない。
「ああごめん、手が止まってた。次は何すればいい?」
「あ、でしたらこの写真を参考に机の上に物を並べてくれますか? 私ちょっと準備会の方と列整理の話をしに行かなきゃいけないので」
「わかった」
見本誌を持ってトテテと離れていく彼女の背中を見送る。小さな背中だが、風格は大御所のそれだ。今の大河には無いものだった。
神絵師としてこの場にいる彼女は輝いている。燃え尽きてしまった大河とは違う。
「大河が手放した景色を、彼女の傍にいれば続きが見られるかもしれないな」
失ったものは別の形で取り戻せばいい。今はこの瞬間を楽しもう。そう思った。




