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第68話 写真どうしよう

~大河view~


 座り込んでしまった花音さんを時間で解決させるという方法で立ち直らせて、俺は改めて謝罪した。


「ごめん。俺、なんか変なこと言ったと思う。あまり気にしないでほしい」


「い、いえ……」


 花音さんはまだ羞恥心が収まっていないようでぎこちない。申し訳なく思う。


「私のはこんな手ですけど、モデルとして大丈夫でしょうか……」


「全く問題ないから。むしろお礼したいぐらいだよ」


 彼女の手は発達した筋肉を持つものの、脱力していればしっかりと女の子らしい丸みを帯びた可愛らしい手だ。モデルには申し分ない。


「お礼、くれるんですか?」


「あ……うん、欲しいならあげるけど……」


「だったら、私もその……」


「うん」


「手のしゃし……」


「て?」


 蚊の鳴くような声でよく聞こえない。


「いえ! 何でもないです! 保留でお願いします!」


「保留ね。わかった」


「手の写真はどんなのがご所望ですか?」


「あ、いや、まだ下書きも何もないから、そのうち欲しい構図が決まったらこんなのが欲しいって俺の手の写真を送るから、それを真似して返してくれたら助かるかな」


「先輩の写真くれるんですか!」


 食い気味に反応されて驚く。


「え、えっと、手だけだけど……」


「あ、はい。手だけですよね。手だけ……」


「まあ、早ければ今夜にも写真を送って依頼するかもしれないから、迷惑じゃなければ写真を返してくれたら助かるよ」


「はい! 夜は暇してると思うので、いつでも大丈夫です! 先輩はこれから忙しいですよね。邪魔しては悪いので、私はこれで!」


 彼女はそのままさようならと言って、近くに停めてあった原付に乗って去っていった。

 え? これだけのために来てくれたの?

 メッセージで済ませてもいいだろうに、律儀な子だ。


「くっそー……健気すぎる……」


 今度は俺が座り込む番だった。



 **



「よし、とりあえずこんなもんか」


 あれから帰宅してすぐ、俺は原稿の下書きに取り掛かった。

 制作する本のプロットは既に固まっており、勉強の合間にネームもある程度こしらえていたので、昼間にあんな約束をした手前とりあえず序盤の下書きを進めることにした。

 思ったより調子良くラフが描き上がったので、夜を待ってさっそく花音さんにモデルの依頼をしてみる。


「右手はこんな感じで、左手はこう……」


 両手合わせて二枚の写真を自分の手で撮影し、送信。

 すぐに既読がついて『少々お待ちください』と返事が来る。

 わくわくしながら待つこと数分、写真が返ってきた。


「おお……」


 こちらのオーダー通りに彼女の手元の写真が届いた。ちゃんと俺が送った構図を完璧に再現している。

 心なしかいつもより赤みがさした肌だ。もしかしてお風呂上りか?

 ……いや、そういう勘繰りはよそう。なんかダメな気がする。画像の色の具合なんてカメラの設定やディスプレイの調子でいくらでも変わるもんだ。うんうん気のせい気のせい。

 妙な色気を放つ肌から目を離すと、手首から下を覆うミントグリーンの衣服の袖に目が移る。

 飾りのボタンとさりげない刺繡がオシャレな袖口だ。一次創作イラストレーターの端くれとして、かわいい衣服は興味の対象である。そのうち何かの参考にしたい。


『さっそく写真を返してくれてありがとう。バッチリだよ。その服の袖かわいくていいね』


 メッセージでお礼を返す。

 送信してから気付いたけど、最後の文は蛇足だったかもしれない。まあ送ってしまったものはしょうがない。本心だし、悪い事は言ってないし。


 ありがたく頂戴した作画資料を保存して、これを見ながら下書きのデッサンを修正していく。

 関節部分のシワ、筋肉のふくらみ、腱の筋、指先から第二間接にかけての微妙なテーパー。手という人体のパーツはデッサンの鬼門として奥深く、上手く描けたときとそうでないときの落差が一目瞭然となる。そして上手く描けたときの美しさたるや、筆舌に屈くしがたい。世には手だけのデッサン人形だって当たり前にあるのだ。

 写真に忠実に、しかし写実的にしすぎず、画風に配慮して適度にデフォルメして馴染ませる。するとどうだろう。そこには不自然さの欠片もなくキャラクターと同化した御手が現れた。パーフェクトだ。早くペン入れに移りたくなる。

 やはり彼女の協力はありがたい。目の前の作品がより美しいものへと昇華していく。


 仕上がりに満足して他の部分へ筆を進めていると、スマホが振動した。また何かメッセージを受信したらしい。開いて確認する。


『服褒めてくれたので、おまけです』


「んっ!?」


 同時に添付されていた画像は、彼女の自撮り写真だった。

 バストアップ……つまりウエストより上の半身が画角に収められている。加工された形跡は無さそうで、おそらく撮って出しだ。ポイント高い。

 彼女らしい淑やかな微笑みを浮かべる顔の頬は朱が濃い。やはりお風呂上りだったのだろうか。

 俺が良いなと思った洋服はどうやら寝間着だったらしい。ネグリジェという感じではないが、普段着以上にフェミニンな(おもむき)だ。襟がゆったりとしており、いつもの普段着より胸元の肌色面積が広い。

 ほんのわずに汗が浮かんでいるようにも見える鎖骨、頬と同様に朱がさすデコルテ、そして正中線をなぞるようにうっすらと浮かぶ谷間の陰影が、彼女を異性として引き立てていて……。


「あー!! 思春期男子か俺はッ!」


 いや、思春期男子には相違ないが。

 あーくっそぉ。こんな感情と無縁のままだと思ってたのになんだよこれはよぉ。

 浮いた存在であることが多くてモテた経験などなく、サブカル趣味に傾倒していた俺は今まで現実の恋愛を放棄していた。強いて言えばシオンが疑似恋愛の対象だった。友人となった成人男性諸氏は独身率が高く、それでも彼らは日々楽しそうに暮らしているのでそんな将来もいいかと思っていた。

 そんな決心が一人の少女にひっくり返されてしまった。もう負けだよ負け。


 負けを認めたのはいいが、この写真どうしよう。彼女になんて返事しよう。

 作画資料という大義名分も何も無しに、本人直々の正規ルートで手に入ってしまった貴重なオフショット写真である。今の俺にはある意味毒だ。

 ありがとうございましたと返事する? なんかセクハラっぽいな……却下。

 男にこんな写真送っちゃダメだよと咎めるべき? いや、せっかくの厚意に水を差すのもな……。あと俺の下心が余計なことを言うなと悪魔のささやきをしてくる。

 手詰まり感があるが、このままでは既読スルーだ。何か返さないと気まずくなること必至である。


 ……ここは目には目を、歯には歯をでいくか。

 カメラを起動して、今まで顔認証以外の仕事をしてこなかったインカメラをアクティブにする。画面いっぱいに冴えない顔が映し出されて渋い顔になる。同時に映し出される顔もますます渋くなる。


(自撮りなんて全然やらないから勝手がわからんな……)


 四苦八苦しながら一枚撮ってみる。ギャラリーで確認してみるが、まあなんだ、余所様にはお見せしたくないなこれは。消去。

 さらにもう一枚。……なにこれ証明写真? 消去。

 自撮りってムズくね?

 頭を抱えていたら、廊下から足音が聞こえた。この歩き方はたぶんあいつだ。ドアを開けて外を見ると、ちょうど泉美が通りがかるところだった。こいつの手を借りるか。


「泉美、ちょっと手伝ってもらえるか?」


「ん? なにすればいい?」


 泉美を部屋に招き入れ、スマホを渡す。


「ちょっとそれで俺を撮ってくれ」


「いいけど、なんで?」


 なんでだろうな。正直に言えるわけがない。


「あー、その……作画資料のためにな。ちょっとポーズを」


「それ、花音にやってもらってたんじゃなかったっけ」


 なんでお前それ知ってんだよ。


「いや、なんだ、男キャラを描こうと思ってて」


「えっ、大河兄が男キャラ描くの珍し~。描けたら見せてよ」


「やだ」


 だって描く予定ないもん。


「じゃあ手伝わなーい」


「おい、いいだろこれぐらい。……っておい、何見てやがる!?」


 なにやら泉美が持つ俺のスマホの操作が怪しかったのでスマホを取り上げてみたら、あろうことか画面はカメラモードではなく、花音さんとのトーク画面に切り替わっていた。

 あいつ、タクス管理画面から遡りやがったな……。

 犯人の方を見ると、訳知り顔でこちらを見ている。


「なるほどね~。いいよ。やっぱり手伝うね」


 ムカつく。思わず舌打ちが出た。

 一瞬部屋から叩き出そうかと思ったが、アンガーコントロールで抑え込んでカメラモードに戻したスマホを投げつけた。


「さっさと撮れ」


「はいはーい。イケメンに撮ってあげるよー。どんなポーズにする?」


「このままでいい」


 椅子に座って不貞腐れたまま開き直る。レンズの方は見たくないのでそっぽを向く。

 泉美が大河兄はかわいいなあとか余計なことを言いつつ、シャッターを切る音が聞こえてくる。


「はいよ。バッチリ撮った」


「どーも」


 感謝の気持ちゼロパーセントの礼を返す。


「花音によろしくね~」


「よろしくも何もねえわ! 作画資料つってんだろ!」


「はいはいわかってますよ~」


 俺はこの期に及んでもつまらない嘘を貫き通すしかなかった。

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