第67話 写真がほしい
〜花音view〜
九音と喧嘩をした。
あれからしばらく経ったが、お互いあまり口を利いていない。
あの件についてはもうどうしようもない。同人絵描きの最前線にいる九音に落伍者の気持ちなんてわかりようがないし、この気持ちがわかるときは筆を折ったときだ。どうかわからないままでいてほしい。
主張が平行線を辿った以上、時間が解決するのを待つ他無かった。
「でも、時間の解決を待つって辛いですよね、先輩……」
独り言で、ここに居ない想い人に泣き言を言ってしまう。
先輩達兄弟だったら、こういう時どうしていたんだろうか。男兄弟だと他にも落とし所があったりするのかな。
先輩への恋心を自覚してからというもの、私から何かアプローチをかけたかといえばほとんどしておらず、強いて言えば学校でのお昼ご飯を毎食ご一緒することに成功したぐらいだ。
一緒にご飯を食べて、生徒会活動をして、たまにヴァイオリンの練習に付き合ってもらって、気が向いたときにツイッターでリプライを送ってみて、自転車でどこかに行っているときはグーグルマップで追いかけてみて。以前とあまり変わらないが、そんな現状でもとても満たされて満足していた。
今まで先輩はフリーだったみたいだし、これからも誰かに取られちゃう心配はない……はず。浮いた話は聞いたことがない。
そんな満足感と危機感の薄さが、現状維持という選択を選ばせていた。
……というスタンスでいたら、ある日の昼食後に泉美から小声で「花音って思った以上にヘタレだね」って言われた。
だって恋愛なんて生まれてこの方初めてで何をどうすればいいのかわからないし、関係を一歩先へ進めるのもちょっと不安だし、ドキドキして余裕がなくなるとこは見せたくないし……。今はまだ勘弁してほしい。でもずっとこのままなのも嫌……。
スマホのギャラリーからお気に入り登録した一枚の画像を開く。それは六月にヤビツ峠で先輩と一緒に撮ったツーショットの写真だ。
「先輩……」
汗ばんだ顔で爽やかに親指を立てている先輩と、まだ恋も知らずに無邪気に笑っている私が写っている。恥ずかしくて照れてしまう写真だけど、何度も見返してしまう。
泉美に見つかったらからかわれてしまいそうなので、待ち受けにはしない。心細くなったときとかに見るくらいがちょうどいい。
先輩の写真はあまり持っていなかった。木犀祭以降、できるだけ自然な流れで撮らせてもらえないものかと苦心したが、あまりうまくいかなかった。
先輩はずるい。先輩は私をモデルとしてたくさん写真を撮って持っているのに、私は先輩の写真がこれっぽっちしかない。不公平だ。
私も先輩の写真がほしい。
でも面と向かって撮らせてほしいなんて不自然だし、恥ずかしくて言えないし……。
どうにか自然な流れで写真が撮れないだろうか。例えばプリント機に誘うとか?
……それは無理だ。私も先輩もまずゲームセンター自体に興味が無い。私は河川敷に行く以外は基本的に家にいるし、先輩もアウトドアなようでいて自転車を降りればほとんど家から離れない。本人もインドア趣味を公言していて、サドルの上は実質自宅なんて言っている。お互い繫華街とは無縁なのだ。ゲーセンなんて取っ掛かりすら得られないよ。
いや、待てよ。先輩はまた同人誌を作ると言っていた。ならば私にモデルの依頼が来るはず。そのときに見返りとして先輩の写真を要求すればいいのでは。ちょっと無理やりかもしれないけど、等価交換ということでゴリ押せると思う。たぶん。いや、そこは勢いに任せてしまおう。
「先輩、私はいつでもモデルの準備オッケーですよ……!」
最近の先輩は例の国家試験が間近ということで、そちらの勉強に注力している。それが終われば同人誌制作に取り掛かるはずだ。そのときが来たらお願いするんだ。
泉美が聞いたら呆れられそうな決心を固めて、私は気合を入れた。
~大河view~
十一月下旬。もう秋も終わろうかという頃、今年の目標である技術士第一次試験が今終わった。
合格発表はまだ先だが、そこそこ手ごたえはあった。この第一次試験は、高専や大学の工学系学科を修了していれば免除になるものなので、心底大洋が羨ましい。
もし合格できれば次の第二次試験が待ち受けているが、これの受験資格を得るには四年以上の実務経験が必要なので、当分先の話である。
なにはともあれ、ひとまず肩の荷が下りた。今年度はほとんどこのために勉強してきたようなものだったから、なおさら解放感を感じる。
これでようやく始められる。
そう、同人誌制作をだ。
俺は彼女と約束をした。あの子のための同人誌を作ると。
そして確信しているのだ。今なら最高のものが作れるはずだと。
心に灯ったこの熱い気持ちを結晶にするのだ。鉄は熱いうちに打てと言うが、今がその時に違いない。
気持ちを新たに、自宅までの最寄り駅で電車を降りる。
急いで戻らねばと改札を抜けて外へ出ると、思わぬ人が待っていた。
「お疲れ様です、先輩。試験だったんですよね。どうでしたか?」
花音さんがいた。ロングスカートとカーディガンで清楚にまとめられた服装で、とても愛くるしい。
ついさっきまで彼女のことを考えていたので、一瞬息が止まってしまった。
「あ……ああ、うん。まあまあだと思う。きっと大丈夫」
「それはなによりです。無事受かるといいですね」
「そうだね。わざわざ迎えに来てくれたの? ありがとう」
「私はちょっと暇だったので。グーグルマップを見たらこっちに向かっているのがわかりましたし、会えるかなと思いまして」
えへへとはにかむ花音さん。かわいい。
くそ……あの日から花音さんを直視できない。こうして目の前にいるだけでも芍薬の花のように綺麗だし、一歩でも歩いたら百合の花にも勝るのだろう。無理。しぬ。
「先輩、この後のご予定は?」
「この後は、まあ試験が一区切りついたし、原稿に取り掛かろうと思ってるよ」
「そうですか! いよいよですね! 楽しみです!」
「うん。期待に応えられるように頑張るよ」
プレッシャーは感じるが、今のモチベーションは過去最高記録だ。受けて立とう。
「それでなんですけど……またモデル必要ですよね? いつにしますか? 私はいつでもいいですけど」
「え? モデル?」
「はい、いつものモデル撮影ですけど……」
「いや、今回は頼むつもり無かったんだけど……」
「え…………」
花音さんは絶望的な顔になった。
なぜに。
「だってほら、さすがにもう迷惑じゃないかなって……」
「め、迷惑なんかじゃありませんよ! 全然大丈夫ですから!」
「いや、でも今までいっぱい撮らせてもらったし、どうにかなるから」
これまではニュートラルな気持ちで撮影できていたが、今はレンズを向けたら変な感情が出てしまいそうで無理だ。というか今までよく写真撮れてたな俺。もう無理だよあんなこと。
「……先輩はそれでいいんですか」
「あ、ああ……」
「ちゃんと最高の本が描けますか?」
「た、たぶん…………」
「はっきり言ってください」
「か、描けるよ……」
「そうですか……」
リアルに肩を落としてしょぼんとされてしまった。あれ? 俺答えを間違えた?
思い返せば彼女は写真を撮られることに全く抵抗がないようだったし、割と楽しみにしていたのかもしれない。もしかしたら俺は撮影を提案したほうが良かったのだろうか。
いや、しかし下心をもって撮影だなんて彼女に対して不誠実だ。彼女ならあんなポーズやこんなポーズでも要求したら従ってくれそうなのがなおマズい。
彼女はあくまで作画クオリティーを担保するために協力してくれているのであって、俺がそれをブロマイド代わりにするだなんてあってはならない。でも今後、彼女の写真を純粋に作画資料のためだけに使うなんて無理だ。現に過去に撮った写真を無意味に見返してしまっていることがある。良くないことだとわかってはいるものの、画像を消すこともできずに悶々としてしまうのだから、これ以上俺は罪を重ねるべきではない。
とはいえ、目の前で落ち込む花音さんをこのままにしていいのか。作画クオリティーのことを考えれば、彼女の協力が百人力なのは過去の実績からしても明らかだ。彼女の尊厳を損ねることなく、俺も彼女も納得のいく折衷案がないものか。
考えろ……考えろ……。
「そ、そうだ。もし良かったらなんだけど、手のひらの写真がモデルに欲しいかな……」
「手ですか?」
「うん。手ってデッサンが難しくて、自分の男の手じゃ女の子みたいにならないし」
手に性差は無いようでいて、なぜかなんとなく違う。男の方がやっぱりちょっとゴツいので、自分の手をそのままモデルに使うと、手元が不自然にゴツい美少女キャラができあがってしまう。生の美少女の手元写真は喉から手が出るほど欲しい。手のひらだけなら俺の邪な心も刺激されずにすむはずだ。
「全身じゃなくてもいいんですか……?」
「手だけで大丈夫だよ」
「私の手、ピアノのせいで結構筋肉質ですけど大丈夫ですか?」
「へえ、どんな感じ?」
「ほら、ここ触ってみてください」
目の前に手のひらが差し出される。力を込めているようで、親指と人差し指の付け根の間のところがぷっくりと膨れている。
え、おさわりオーケーです?
恐る恐る触ると、思ったより固くて驚いた。試しに自分の手のほうも触ってみると、こちらはふにゃふにゃぷにぷにだった。まさか女の子に筋肉で負けているとは。恐るべしピアニスト。
「すごい……」
「あと左手の指先は弦を押さえるから、変な形になっちゃってますけど……」
見ると、その指先は職人のように不自然に固くやや凸凹している。
「爪も結構短いんだね」
「爪の手入れはヴァイオリンでもピアノでも重要なので。頻繁に切りそろえて磨いています。だからネイルで遊ぶのとかはちょっとできなくて……」
ちょっと憧れますけどねと苦笑いを浮かべている。
「俺はこの手、好きだけどな」
「えっ……」
花音さんは手を引っ込めて真っ赤な顔で後ずさる。
「あっ! いや、その! ごめん。深い意味はないんだ! ただ、綺麗な手だなって……」
「き、綺麗……」
花音さんは顔を手で覆って座り込んでしまった。しまった、不用意に辱めてしまっただろうか。
しかし座り込む姿も牡丹の花のように可愛らしい。……って、だめだ。これはよくない。花音さんに失礼な感想だ。
女の子を褒めるって難しい……。
【筆者注】
第八章スタートです。不穏な章タイトルですが伏線要素はありませんのでご安心ください。仕様です。
申し訳ありませんが、ストック減少とコミケシーズンインにつき更新が隔日になります。




