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第62話 大河の過去

~大河回想~


 幼い頃から、俺の嗜好は女性的だった。

 戦いごっこで遊ぶよりも、クレヨンを手に取った。

 ワインレッドや黒色よりも、水色やピンクのパステルカラーを選んだ。

 枕元にはぬいぐるみを置いて寝た。

 甘いお菓子は好んで食べた。

 三つ下の妹がプリキュレを卒業しても、俺はプリキュレ離れできなかった。


 両親は一時期トランスジェンダーを疑ったこともあったそうだが、性自認は男だった。

 女性ものの服を着たいとか、髪を長くしたいとかはなく、自分を構成するものに関しては男性的なもので満足だったからだ。


 しかしそれでも他人から変なやつと指差されるのは仕方のないことだった。

 華奢な体と女々しい趣味は小学校に進学してすぐにからかわれた。

 本格的なイジメに発展しなかったのは画力のおかげだった。

 スイミングスクールに通っていたのも良かったのだろう。養われた基礎体力は、からっきしだった球技の惨状を補ってくれた。運動会ではリレーの選手に選ばれたし、プールの授業は気負わずに受けることができた。初めは半ば嫌々通っていたスイミングだったが、これがなかったら不登校になるまでイジメられていたかもしれない。男社会は(パワー)がモノを言うのだ。

 スイミングスクール通いは小学校卒業と同時にやめるまで続けた。


 九歳の誕生日にペンタブを貰った。

 母さんのお下がりだけど、専用で使えることになった。ペイントソフトの操作方法も母さんからある程度教えてもらい、細かいところは試行錯誤して覚えた。

 パソコンで絵が描けるのが楽しくて、すぐにデジタル絵がメインになった。


 五年生のときのクラス内コンペは転機だった。

 絵が上手いやつが身近にいくらでもいるという危機感を覚えたし、あの少女の筆を折った仁義の無い投票は、俺にもこの世の理不尽の存在を意識させた。

 コンペからしばらくして、一人の女子児童が転校してきて男女比の均衡が崩れた。

 もし再びあの多数決が催されれば、俺は理不尽に敗北するかもしれない。

 もし転校生の女子が凄い絵を描く人だったら、今度こそ負けるかもしれない。

 それらの不安に対抗するには、誰もが認める圧倒的な絵を描くしかない。


 俺は本腰を入れて絵の練習をした。

 女子にも取り入れられるよう、女の子の絵もたくさん描いた。泉美の読んでいた少女漫画も画法として吸収した。キュートな絵を描くことへの抵抗感は全くなかった。


 中学に進学して、俺は大洋の勧めでネットでイラストを発表し始めた。〈那イル〉はこのときに生まれた。

 幸先は好調だった。インフルエンサーに拾われるなどの幸運もあり、フォロワー数は順調に増えた。

 フォロワーを増やすコツも早い段階で習得した。


 絵は短いスパンで投稿する。

 旬のコンテンツの波に乗る。

 流行の絵柄を常に勉強する。

 お色気もちょっと意識する。

 ネットミームは素早く便乗する。

 多くのイラストレーターと交流を持つ。

 イラスト以外の余計な話はつぶやかず自我を出さない。


 増えていく数字を見るのはゲームのようで面白かった。

 フォロワーが増えるにつれてイラストのブックマークやいいねの数も加速度的に増えていく。刺激的な連鎖反応だった。


 中学二年の夏にはコミケに初参加して同人誌を頒布した。

 無事完売した達成感はひとしおだったし、エゴサも(はかど)った。

 神絵師ともてはやされ、まさに順風満帆な日々だった。





「先輩もフォロワー数とか気にしていた時代があったんですね」


「あの頃はリツイート数やいいねが気になってしょうがなかった。数字がステータスであり戦闘力だった」


 一時期は下手なタレントよりも多くのフォロワー数を叩き出していた。千を超えた程度で人気者を気取っていた同級生なんて歯牙にもかけないその数字はエゴを増長させた。

 アーティストにとってSNSは麻薬だ。有力者をも遥かに凌ぐフォロワー数という虚構の権力を手にしてしまう者が珍しくない。


「けど今はそうじゃない」


「ああ、ここから〈那イル〉の凋落が始まる」





 綻びが出始めたのは、中学三年の半ば頃からだ。

 片っ端からトレンドを吸収していたせいか、不安定な絵柄に自分自身が疑問に陥るようになった。

 スランプ状態から藻掻くように新作絵を出し続けたが、それらにトレス疑惑がかけられてあわや炎上というところまで至った。


 放火したのは〈那イル〉のアンチだった。

 ファンが増えれば付随するかのようにアンチというものが湧いてくる。そんなネットの悪意からの攻撃を受けた。

 事実として俺はトレスなんてしておらず、作為的に近似した構図を並べて罵られたそれらは完全に言いがかりだった。

 差分絵の作成やラフスケッチの公開、挙げ句の果には生データ公開まで行ったが、自分でも不自然さを感じるほどの絵柄の不安定さが災いして疑惑を完全に晴らすことはできなかった。





「それがきっかけで活動を休止したんですか」


「いや、このときのショックは確かに大きかったけど、数ある挫折のうちの一つであってまだ筆は折れてなかった。幸いトレス元疑惑とされた絵の作者らは擁護してくれたし、絵師仲間から干されることはなかったから持ち直すことができた」


「ではこの後?」


「そうだ。それは高校一年になってしばらくして起きた」





 トレス疑惑に懲りた俺は、個性を磨く方向へ舵を切った。

 流行の絵柄に乗るのをやめる抵抗感はあったものの、すでに充分な数のフォロワーを抱えていたことと、画風の安定化はプラスに働いた。

 スランプを脱却して安定期に入ったと思われたその時だった。


 ツイッターのタイムラインに現れた一枚の絵を見て、俺は愕然とした。

 それはAIアートだった。

 ただのAIアートではない。それは最近の俺の画風をコピーして作られたものだった。とりわけ俺の最新作の構図と似通っていた。AIに最新作の構図を意識した指示を入力して作ったとしか思えない代物だった。





「偶然じゃないですか?」


「いや、あれはほぼ間違いなく俺の絵を重点的に教師データに用いられたAIアートだった。おそらく特定の画風を再現するタイプのソフトだ。その証拠に〈那イル〉で描いてきた全てのキャラに施していた左耳のイヤリングの痕跡があった」


「……あ、本当だ。〈那イル〉の絵に全部同じイヤリングが描かれてる……」


「自分だけのアイコンが欲しかったんだ。絵柄はブレてもそこだけは貫き通した」


 シオンには意匠を同じくするペンダントにして引き継がせた。〈那イル〉と〈美青ドナ〉を繋ぐ唯一の共通点だ。


「そのAIアートが先輩に何をしてきたんですか? またトレスだとか本家を(かた)って攻撃してきたとか?」


「俺に対しては何もしてこなかった。ただそこに在っただけだ」


「なら、何らかの不当な収益を得ていたとか」


「そういうことも多分無かったと思う」


「だったら一体何が……」


「負けていたんだ。いいねとリツイート数が」


「な…………」


 たったそれだけのことかと思う人はいるかもしれない。しかしそれは神絵師を自負していたあの頃の俺の自尊心を粉々に打ち砕いた。


「その絵にはAIアートであることは示されていなかった。でも指のデッサンは狂っていたし、髪の毛も不自然なところがあったから、ちゃんと見ればAI生成物だとわかるものだ。しかしその絵は全体的に華やかだった。背景絵は人が描くには作画カロリー高めのしつらえで、キャラクターをよく引き立てていた」


「だからって、それは」


「ずるいよな。おかしいよな。俺もそう思った。でもそれが現実だった。SNSの住民なんて、それが手製だろうがAI製だろうが関係なくぱっと見でシェアしていいねする。俺がどれだけ頑張って描いたかなんてどうでもよかった。求められていなかった。俺が評価されているつもりになっていた数字は、ただの気まぐれの塵芥(ちりあくた)にすぎなかった」


「でも……でも、見てる人はちゃんと見てるはずよ」


「それは確かにそうだろうと思う。でもそれは全体のどれだけの割合なんだろうな。ただ目に入ったからするいいね、フォロワーへの社交的ないいね、推しのキャラクターならクオリティーなんて問わないいいね、スパムやボットのいいね……。審美眼を持つ人間どころか、審査以前に人間ですらないのものまで混ざったノイズの塊だと気がついてしまった。そう思うと、今まで積み重ねてきたものが虚無にしか感じられなくなった」


「…………」


 少し前までトレスだなんだと憤っていた連中が、トレスどころか膨大な量の他人のイラストを勝手に食らって学習した生成物をもてはやしている。単なるソフトウェアのオペレーター風情が絵師を名乗って我が物顔をしている。住み分けは行われてはいるが完全ではなく、元来なんでもあり(バーリトゥード)なインターネットではこれを排斥する(すべ)がなかった。

 結局、インターネットの評価に依存していたことが全ての過ちだった。


「〈那イル〉は神絵師なんかじゃなかった。そのときにはもう、顔も知らない誰かのために絵を描くことができなくなった」


 アナウンスも何もする気が起きないまま〈那イル〉は活動を休止した。


 美の神はとっくに死んでおり、その日〈那イル〉も死んでしまった。

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