第59話 名画にパイを投げるな
〜九音view〜
木犀祭が終わってから半月が経った。
学校では変わらない日常が流れている。あの直後は時の人となった大河先輩も、すぐにいつも通り生徒会室のヌシ状態に戻った。
先輩のクラス内の立場がどうなったのかは、私も花音もよく知らない。ただ、勝山先輩が約束通りスキー合宿の同伴生を辞退したことと、泉美がそこはかとなく満足そうに日々を過ごしている様子から、悪いようにはならなかったのかなと思った。
日曜日の朝、私は花音と家のリビングで過ごしていた。
点けっ放しのテレビをBGMにして、ソファーに寝転がってスマホでツイッターのトレンドを眺めていたら、一件のニュースが目に留まった。
「また海外の美術館で環境テロだって」
「久々に聞いたねそれ」
タイムラインで話題になっていたのは、イタリアのどこかの美術館に展示されていた名画に過激な環境活動家がミネストローネをぶっかけて抗議活動をしたというニュースだった。このような行為を俗に環境テロと呼ぶ。
一時期は頻繁に報道されていたが、最近は細々と聞く程度だ。
「この連中、何がしたいのかしらね」
「表向きの主張は何だっけ?」
「ニュース記事では『この絵画とこの地球のどちらを守るつもりだ』なんて言ったみたいよ」
「ふーん」
くだらない。名画を狙う理由なんてどうせ目立つからに決まってる。目立ちさえすればなんだってやる迷惑な連中だ。
現に彼らの主張に共感する者はほとんどおらず、報道に対しての反応は今回も冷ややかなものばかりだ。
「そもそも絵画は環境破壊なんてしてないじゃん。もっと別のものがあるでしょ」
「まあ、その通りだけどね」
彼らが言うには、気候変動によって食糧危機になればこれらの絵画には価値なんて無くなるのだという。だからと言って、今ここにある名画を蔑ろにしていい理由は無い。
「あ、始まったよ」
点きっ放しだったテレビがアニメの放送を始めた。
プリキュレという、私達が生まれる前から続いている女児向けのアニメだ。
私達は小学校低学年で卒業してから久しく観ていなかったのだけど、先輩が気に入って観ていると知った花音が影響されて再び観始め、それに付き合って私も観ている。
あの頃は何も考えずに可愛いとか格好いいとか、感覚的にしか観ていなかったが、この歳になって改めて観るとなかなかどうして面白い。笑っちゃう話も、熱い展開も、びっくりするほど感動的な話もある。ついでに言えば映像演出も時代相応に進化している。大人のファンも多いわけだ。
「最近は日常回だね」
「ちょっと前に追加戦士も出たしね」
主人公とその仲間達は、同じテーブルでご飯を食べて語らっている。何気ない日常の描写だ。今の私達と同じで、食糧危機なんて考えたこともない顔だ。
「この子達は絵画と食べ物、どっちを取るのかな」
「そりゃあどっちもよ。それが英雄なんだから」
彼女達は見捨てない。諦めない。そのための力も持っているのだ。
「この世界にもプリキュレがいればいいのにね」
「うん」
それはただの理想に過ぎないけど。だからこそ環境テロなんてものが当たり前に起きる。
「現実の私達は絵画も食べ物も守れないのかな」
「どうかしら。そもそも私は食糧危機になっても絵画には価値が残ると思う」
「そうなの?」
「だって芸術は私達人類の生きる意味だから」
人は芸術を育み愛でる。それは農業すら未熟な太古の昔から連綿と受け継がれてきた、他の動物には無い人類の特権だった。ただ生存欲求に従うだけの畜生ではない。美しいものを生み出し、それらを愛し、後世へ語り継いでいく。そしてそれは誰かが生きた証となるのだ。
「ほんの少しだけ長く生きるために目の前のパンを巡って争うぐらいなら、私は筆を取ってさっさと死ぬわ」
「九音らしいね」
「花音はどう思う?」
「私? 私はねぇ」
花音は少し考えてから口を開いた。
「とりあえず人類は全員死んだ方がいいと思うな」
「え……」
意外な答えに驚いてしまった。
「ねえ九音。地球温暖化ってもちろん絵画のせいでもないし、化石燃料のせいでもないんだよ」
「どういうこと?」
化石燃料が地球温暖化の原因なのは既知の事実だが。
「地球温暖化はね、人が増えすぎたせいなんだよ。世界の人口は八十億人。先進国に限って言えば十数億人。その誰もが何も意識しなくても必要以上にエネルギーを消費して暮らしてる。便利で豊かで健康的な暮らしのために」
それはわかる。
私達の暮らしはエネルギーの大量消費で支えられている。少なくともこの日本においては、通販サイトのクリックだけで物流は動くし、駅に行けばいつでも電車がやってくる。私が今何もしていなくても、私が過去ネットにアップロードしたものはどこかのデータサーバーが熱を吐き出しながら管理している。何もせずとも電気を食べて文明を謳歌している。
エネルギー会社に勤めているお父さんからの受け売りの知識だが、考えれば考えるほど私達はエネルギーに依存しているのを感じる。
「化石燃料の消費行為は、今まで奴隷にやらせてたことを大昔の動植物の死骸にやらせてるにすぎないからね。豊かな暮らしには代償が必要なんだよ。多くの人が豊かに暮らしているから環境が悪くなる」
奇跡には代償が必要。それはファンタジー世界だけの設定じゃない。現実世界にも当たり前のようにある法則だ。
「でも新しい代替エネルギーの普及だって始まってるわよね? ねえお父さん」
ダイニングでのんびりエスプレッソをすすっていたお父さんに聞いてみる。
「ん? 新エネルギーの話が聞きたいのか?」
「そう」
「そうだな。まあ時代の流れや政策で風力や太陽光は爆発的に増えてきたけど、あれらの普及はじきに頭打ちになる。ベストミックスっていうのがあってね、火力・水力・原子力・地熱・風力太陽光その他にはそれぞれ長所と短所があるから、それらを補い合うちょうどいいバランスがあるんだ」
「ちょうどいいバランス?」
「そう。例えば風力や太陽光は燃料がいらないけど風や日光が無いと動かないし、必要なときに必要なだけのエネルギーは得られない気分屋だ。水力は安定して動かせる優秀な自然エネルギーだけど、発電用のダムはおいそれと新設できない。原子力は低コストかつ二酸化炭素の排出もない夢のエネルギーだけど、テロ対策や廃棄物問題、国民感情など多くの政治的問題を抱えてる。火力は温暖化問題の最前線にあるし、燃料調達に地政学リスクが付きまとうけど、燃料は大量貯蔵できるし必要なときに必要なだけ発電できる。これらをうまく組み合わせることで、安くて安定でクリーンな電力供給の実現を目指している。つまりは折衷案だ」
「火力以外でベストミックスを実現するのってまだ難しいの?」
「少なくともこの日本では難しい。ほぼ水力で賄えるノルウェーやパラグアイのような国はあるけど、それは豊富な水資源と多すぎない電力需要があってこそだ。火力発電の必要なときに必要なだけ発電できる長所は電気にとって非常に重要な特性でね、風力や太陽光の依存度が高ければなおさら火力が欠かせなくなる。電気はナマモノだから」
「ナマモノ?」
「そう、ナマモノだ。電気は基本的に保存が効かない。発電した刹那に光速で回路を流れて消える。自分達が何気なくエアコンのスイッチを入れれば、その瞬間にどこかの発電機に負荷がかかる。火力ならすぐ調整が効くけど、これが風力なら風が強くなってくれないと破綻する。まあ実際はマクロな電力インフラ網があるからエアコンひとつ程度じゃブラックアウトはしないけどね。それでも電気の安定供給はすごく難しい。インフラの弱い国で停電が日常茶飯事なのはこういう理由もある」
「でも電気ってバッテリーに充電できるわよね。充放電すればいいんじゃないの?」
「確かにバッテリーがあれば電気は貯められる。でもバッテリーは高い。リチウムイオンのモバイルバッテリーが五千円でスマホを四回満充電できる程度だろう? 何万世帯もの家庭や大工場のバックアップとしてバッテリーを買ったらとんでもない金額になる」
それは確かに想像もつかない。
「まあとりわけ高価なリチウムイオンを例に挙げるのはフェアじゃないかもしれないけど、大規模蓄電向きと言われるNAS電池やレドックスフロー電池もあまり普及してないのが現状で、エネルギーは揚水発電で貯蔵するか、貯めるよりも即応性の高い発電機を買って調整役にするほうが経済的なんだ」
「なるほど」
貯めるよりも注ぎ足したほうが合理的ということか。
「だから火力は切っても切れない。火力を手放せる日が来るとすれば、技術のブレイクスルーが実現したときかな。例えば核融合発電が商業運転するとか」
核融合発電がどれほどのものかはさっぱりわからないけれど、お父さんの言い方からして当分先の未来なのだろう。
「花音の言う全員死んだほうがいいって言い方は父さんとしてはどうかと思うけど、確かに今すぐ本気で地球温暖化を止めたいなら、人類は中世のような不便で貧しくて不健康な生活に戻るか、間引くかしかないんだよ。そして今更中世の生活なんて経済社会のシステムが許さないから、後者しかないよね。まあ、そこまでやっても地球史に残るような破局噴火でも起こったら全部ひっくり返るんだけどね」
お父さんの苦言に対して花音はどこ吹く風だ。花音はたまに達観したことを言う。
「そもそも化石燃料って悪なのかな? 病院の非常用電源を支えてるのも、離島や極地の電力も化石燃料が無いと成り立たないんだよ。これがなかったら多くの人々が死ぬ。今すぐ化石燃料の使用をやめろだなんて言ったら、一体どれぐらいの命が失われるんだろうね。環境活動家は無責任だと父さんは思うな」
海面上昇で沈みゆくオセアニアの小さな島か、ストーブ無しでは生きられないシベリアの地か。比べられるものではない。
「将来の子供達のためだなんて言うなら、環境テロじゃなくて真っ当に新技術の開発をしたり、こういうのを作るべきだよ」
そう言ってお父さんはテレビを指差した。
テレビの中では少女達が眩いばかりの変身バンクを披露している。プリキュレは子供達に夢を与える。これに携わるアニメーターや声優といったスタッフ陣は、子供達の幸せを願って物語を作り上げている。子供達のみならず、大人まで共感を抱くほどの美しい物語だ。仕事としてこれほど尊いものもなかなかないだろう。
「プリキュレはすごいな」
「うん。すごい」
私達もかつてはプリキュレに夢を与えてもらった。大人達からの贈り物は、確かに受け取ったのだ。
「なあ、九音。父さんは九音が言ったパンより筆を取るって言葉、好きだよ」
「そう」
そう言って、お父さんはエスプレッソを淹れ直していた。
私は少しだけ嬉しい気持ちになった。
【筆者注】
エネルギー問題談義をさせてみたら話が明後日の方向へ逸れて行きそうだったので慌てて軌道を戻しました。本当は二万文字ぐらい語らせたいけど本筋と全く関係ないので……。




