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第56話 木犀祭 決勝戦

~大洋view~


 タイムスケジュールが押しているということで、大河は舞台上に残されたまま決勝戦が始まろうとしていた。

 普通に考えれば時間間隔(インターバル)がほとんどない大河は不利益を被っているのだが、あいつにとってはウォーミングアップのようなものだろうから些末な問題だった。

 舞台袖から対戦相手の勝山とやらが登場してくる。大河と並ぶとその長身が際立つ。恵まれた体躯だ。


『お待たせしました! いよいよ決勝戦です! 栄えある優勝は誰が掴み取るのか! 目が離せない戦いになることでしょう!』


 観客席が大いに沸き立つ。ただのお祭りテンションだ。


『決勝戦は試合形式が変わりまして、二十分間の耐久勝負になります! 長時間の戦いを征した真の実力を持つ者が王者となるでしょう!』


「二十分だと先輩はどれぐらいで走れるでしょうか?」


 花音君が俺に問うてくる。


「本人曰く、およそ五・三倍はいけるそうだ。もしあいつが全行程を全速力(フル・ガス)で走り切るのであればこの数値が指標になる」


「五・三倍……」


 先ほどまでの三分間走と比べても別次元のペースだが、これが上澄みの世界だった。素人とハイアマチュアの間でもこれほどの差がある。

 あいつは決勝戦で本気を見せると泉美に約束したらしい。しかし、どういった形で本気を出すのかはわからない。初手で五倍以上を出してくるかは注目のポイントだった。


「序盤を控えめで始めたらどうなるでしょうか?」


「あいつの腹積もりはわからない。でも必達(マスト)の目標はあの勝山ってやつを(ほふ)ることだから、あいつをあの手この手で潰しに行くだろうな。大河の想定だと、奴の二十分パワーは三・一倍前後らしい。そのことを踏まえて攻めてくるだろう」


「浦野君のときみたいにですか?」


「そうかもしれない。ただ、今回は二十分もあるからどうとでも料理できてしまう」


 もっとえげつない方法で潰してくるかもしれない。

 そんな話をしているうちに、壇上では司会の進行が続いてく。


『それでは選手の紹介です! ここまで予選三位と二位の選手を退ける快進撃で勝ち上がってきたダークホース、秋谷大河選手です! これで帰宅部というのは信じられません! 決勝戦の意気込みをお願いします』


「二十分というのはきっと大変ですが、いい試合にしたいと思います。優勝目指して頑張ります」


 本当に白々しいコメントだなぁ。


『ありがとうございます。対するは予選を一位で突破し、その後も他を寄せ付けない強さで決勝に駒を進めてきた勝山京治選手! 決勝戦の意気込みを!』


「おいパイセン、あんた実力を隠してやがったな。なんださっきの試合は」


 勝山は司会を無視して大河に食い掛り始めた。


「なんだもなにも、見ての通りだよ」


 大河は飄々とした態度で答える。しかし両者の視線から火花が散っているのは見て明らかだった。


「予選の六位も、一回戦の接戦もわざとだったのかよ」


「わざとだよ。決勝にさえ上がれればいいだけだし」


「体育祭のアレもわざとか?」


「いや、あれはマジだから。人間得手不得手はあるからね」


「バレーはポンコツでチャリは得意ってか。さては嵌めやがったなパイセン。卑怯だぞ!」


「この勝負はお前が吹っかけてきたんだ。卑怯もへったくれもない。今更になって喚くなんてみっともないガキだな」


 ピリッという幻聴が聞こえる。会話の雲行きが怪しくなってきたが、もう誰にも止められない。


「ダセェ格好しやがって抜かしやがる。なんだそのピチピチの服は。恥ずかしくねえのか?」


「慣れるもんだよ。水着と同じだ。そんなこと言ってていいのか? 俺がこれを着てるってことは、お前にくれてやれるハンデが無いってことだぞ」


「なにがハンデだ。そんなもん必要ねえよ」


「そうだな。お前相手じゃ飛車角落ちでも足りないからな」


「イキってんじゃねえぞ。このチート野郎」


 一触即発。リアルファイトに発展してもおかしくない状況に司会も観客も青ざめる。


「お前にはあれがチートに見えたか? 残念ながらあれは百パーセント天然物の実力なんだ。チートは誉め言葉として受け取っておくし、チートに見えるような節穴の目じゃ底が知れるな」


「クソが。たかだかスキー合宿程度で何マジになってやがんだ」


「そのたかだかスキー合宿程度のことで、お前がダセえことしでかしたせいでこんなことになってんのに何言ってんだ。愛しの茜ちゃんと雪山デートしたいならツアー代ぐらいお前が工面して男の甲斐性見せろよ。ナンパ代節約すりゃあ足りるだろ?」


「……殺す」


「年下の分際で口の利き方がなってないガキだな。躾けてやる。さっさと準備しろ」


 勝手に準備を始めた二人に司会役の子はついていけてないが、とりあえず殴り合いには発展しなかったことで会場内はホッとした様子だった。


「すごい舌戦だった……」


「うん……ちょっと私怖かった」


 俺もあそこまでバチバチやりあう大河には滅多にお目にかかれなかった。相当溜まってたんだなあいつ。


「ところで茜ちゃんって誰?」


「あの人の彼女らしいです。一年生」


「ああ、なるほど……」


 煽るためにわざわざ調べたのだろうか。徹底してるな。


 舞台では準備が整い、決戦の火蓋が切って落とされようとしている。


『そ、それでは両選手、準備はよろしいでしょうか!?』


「とっとと始めろ」


「おい勝山」


 勝負を急かす勝山に大河が口を出す。


「なんだよ」


「途中棄権だけは絶対に許さないからな」


「…………」


 その言葉はまるで死刑宣告のように低く鋭く響き、会場内の全員の耳へ届いた。


『……それでは、スリーカウントで始めます! スリー!』


「先輩……」


 双子姉妹は食い入るように。


『ツー!』


「大河兄……!」


 泉美は祈るように。


『ワン!』


 大河、見せてもらうぞ。



『決勝戦、スタート!!』



 スタートダッシュ! 歓声の中、ふたつのアバターが勢いよく飛び出していく。


「大河は……」


 パワーを確認する。初手はどう動く?


「三倍です。大洋さん!」


「五倍では来なかったか」


 考えうる戦法のうちで最有力の一手を取らなかった。


「先輩が後ろです!」


「ドッグファイトに持ち込む気か!」


 大河は勝山を先に行かせた。両者睨み合いの心理戦が始まっている。


「仕掛けた!」


 大河がアタックをかける。三・五倍程度のジャブのような攻撃だ。

 対する勝山はそれに反応して大河の先行を許さない。

 その動きを見た大河は一旦ペースを緩め、三・一倍まで戻す。勝山も同様にペースを合わせる。


「勝山先輩は準決勝の大河先輩の真似をしている……?」


「かもしれない。しかしこれは……」


「悪手ですね」


「ああ、間違いなく大河に遊ばれる」


 あの戦い方は理不尽なほどの実力差をもって浦野君を試すことを目的に成立していた。必勝戦略でもなんでもない。すでに相手は冷静じゃないのかもしれない。

 再び大河が仕掛ける。今度は三・六倍だ。勝山が反応し、大河がペースを落とす。三・二倍に。


「大洋さん、これって」


「エグいな。アタックのたびに徐々にペースアップしてやがる」


 二十分間走という長丁場ではペース配分が肝心だ。長い目で見て最速で駆け抜けるのであれば、常に一定ペースで走るのが理想である。序盤でオーバーペースだと後半に地獄を見るのだ。更に言えば緩急まで激しくなると余計に体力を使ってしまい、早々に脚が使い物にならなくなってしまう。

 三・一倍が奴の二十分間の限界値なのだ。それを超えたうえでの波状攻撃は速攻で狩り殺しに来たと見ていい。


『試合時間、五分を経過しました!』


 司会者が経過時間をアナウンスする。

 勝山の顔が一瞬だけ変わるのを俺は見逃さなかった。あれは絶望したときの顔だ。

 繰り返される波状攻撃で、(ボトム)のパワーも四倍以上に上がってきている。

 限界領域で走っているときの時間の流れは驚くほど遅い。


「どうした? もうだいぶキツそうだな。それであと十五分もつのか?」


「ッ……!」


 大河が声で敵を煽る。

 対する勝山は何も言い返さない。いや、言い返すことができないのだろう。激しい呼吸が発声を許さないのだ。この状態で会話ができる時点で煽りとして成立している。


 すでに観客も勝山も大河の思惑に気がついているだろう。しかし勝山は大河の策略から逃れられず、この攻撃に付き合わされている。

 きっと彼はわかっているのだ。一度抜かれたら最後、もう二度と追いつけないのだと。


「ほら、もう一発いくぞ」


「~ッ!!」


 大河がアタックをかける。四・七倍だ。勝山はブロックしようとするも、もう反応が鈍く横並びを許してしまう。

 今度はペースを緩めず、大河は横並びのままを選択した。ペダルを漕ぐ勝山の様子は鬼気迫るものになっていた。

 力が拮抗していたこの状態を崩すものがすぐにやってきた。バーチャルのコースに急坂が出現したのだ。直前まで六パーセントほどだった勾配が、一気に十二パーセントにハネ上がった。十二パーセントとなるとかなりキツい登りだ。

 スマートトレーナーは急坂による負荷の上昇を再現し、坂に突入した両者のペダルが一気に重くなる。


「ぐっ……!」


 勝山のペダリングの乱れを、大河は見逃さなかった。

 PWR(パワーウエイトレシオ)を五倍に上げて一気に引き離していく。

 勝山は追いつけない。全く反応できない。

 その差はあっという間に広がり、すぐに絶望的なものになっていた。


「クソッ! クソッ! ああああああああッ!!」


 その断末魔と共に勝山はこと切れた。

 会場内の観客は全員が言葉を失っていた。

 試合開始から七分三十秒。制限時間の半分以上を残して大河は敵を叩きのめしてしまった。本気を見せることもなく。


「大河兄……どうして……」


 泉美は悲壮な表情でつぶやいていた。


「泉美、大丈夫だ」


「でも、もう倒しちゃったよ……本気、出してないのに」


「まだ試合時間は残ってる。きっと何かやってくれるって」


「大河兄はあたしの演奏次第だって言ってた。あたしの演奏はやっぱりまだ下手くそで、ミスだってしたし、だからもう無理なのかも……」


 泉美はずっと不安と戦っていた。昨日から不安と戦い、今日のステージでも不安と戦い、その後になってもまだ不安から解放されずにいる。

 孤独に震えた羊のようだった。


「俺と大河は一緒にお前の演奏を見た。そこであいつはなんて言ったと思う?」


「…………」


「俺もゲロ吐きそうなぐらい本気で走るか。だってよ」


「あ………」


「ちゃんと届いて良かったな」


「う……んっ……!」


 泉美は顔を伏せて嗚咽をもらした。

 俺は泉美の頭に手を乗せる。


「ありがとうな、泉美。お前のおかげで、俺もあいつの本気が見られそうだ」


「…………っ……」


 静かにポタポタと足元に雨を降らせる泉美に、俺は髪を梳いてやることしかできなかった。

 大河、絶対裏切るんじゃねえぞ。




~大河view~


 残り時間は十分を切っていた。

 戦況は悲惨だ。勝山はすでに戦意喪失しており、二倍も出ていない力で無力に漕いでいる。まあ、DNF(リタイア)もせず脚も止めていないことだけは誉めてやろう。

 それにしてもあっけない決着だった。勝利のカタルシスも感じない。例えるなら『またつまらぬものを斬ってしまった』という心境だろうか。

 これだから対人戦はくだらない。笑うのはたった一人の勝者だけで他の全員は敗者となって泣くのに、その勝者となった俺ですら笑っていないのだから悲劇としか言いようがない。自分自身との戦いをするブルベの方が俺の性に合ってる。


 勝山がゾンビのように走っている一方で、俺はと言えばリラックスした姿勢で二倍後半のペースを保って走っている。

 予選も勝ち抜けないような連中には厳しいペースだろうが、俺にとっては体力回復可能なほど楽なペースだ。

 ここで回復に努めている理由は全てこの後のことにある。


 タイムアップを待つだけとなった試合に観客は冷え切り、盛り上げようと必死の司会も空回っていた。

 俺のせいとはいえ、いい加減かわいそうになってきたのでそろそろ始めてもいい頃合いかな。

 でもその前にひとつ済ませておくか。


「なあ勝山、聞いてるか」


 返事は無い。こいつが試合を諦めてから数分が経っているのでもう呼吸の乱れは無いはずだが、気力の方は回復していないらしい。だったら一方的に言わせてもらおう。

 俺は思いつく限りの言葉を五寸釘のように打ち込んでいく。


 ――偽りの玉座でぬくぬくしてる人なんて、早いうちに蹴り落としてしまったほうがその人のためだわ。


 あの神絵師はそう言った。特に関わりのない女子相手なら心が痛むものだが、俺に楯突く生意気な野郎相手なら遠慮はいらないだろう。俺はお前を言葉と力で蹴り落とす。せいぜい呪われてくれ。これがお前のためになるかどうかはお前次第だ。


「そこで這いつくばって見上げていろよシュムイレ。今から現実を見せてやる」


 最後にそう吐き捨てた俺は、司会に向かって手を挙げマイクを要求する。

 司会役の生徒は慌てて近寄ってきてマイクを譲ってくれた。俺はハンドルから手を放し、背筋を伸ばして観客を見渡す。

 気が乗らないけど約束は約束だ。さあ始めようか。


「レディース・アンド・ジェントルメン! 皆様ようこそ木犀祭へ! ここまでの()()はお楽しみいただけましたでしょうか」


 場が一瞬白けたが、余興という言葉に一部の人間がムッとした。

 ここまでの戦いを全て余興として切り捨てたのだ。真剣勝負を期待していた者にとって不誠実極まりない発言だろう。


「今一度自己紹介をさせていただきます。俺は三年の秋谷大河。自転車には毎月千三百キロ乗っています。先週行われた自転車レース、箱根ヒルクライムでは年代別二位表彰台を獲得しました」


 戦績のカミングアウトで場内がざわめく。とりあえず正体不明のままでは面倒なことになりそうなので種明かしをした。


「今日はその凱旋のつもりでしたが、まるで歯ごたえがありませんでした。つまらない試合をお見せしてしまったことをお詫び申し上げます。代わりと言っては何ですが、残りの時間を使って一曲演奏を披露して差し上げましょう」


 観客は総じて何を言い出すんだコイツは。という反応だ。俺は構わず続ける。


「今から演奏する曲はピアノの前で演奏されることが多いのですが、今回は使用しません。この曲の演奏に楽器は必要ありませんので」


 客席の方を見ると、花音さんが周りのメンバーに話しかけている。どうやらすぐに俺のやろうとしている意図を理解したらしく、きっと種明かしをしているのだろう。やっぱり彼女は頭が良いな。


「皆様はジョン・ケージという作曲家をご存知でしょうか。独特な音楽観を持ち、その哲学を落とし込んだ曲を世に送り出してきた奇才です。彼の曲には世界最長の演奏時間の曲など特徴的なものが多いのですが、これから披露する曲は彼の代表作です。もしかしたら無駄知識(トリビア)としてご存知の方もいるでしょう」


 ケージを引用するというアイデアは、昨日風呂に入りながら思いついた。対戦相手が勝山()()だからケージ。なんだか発想が花音さんのような親父ギャグに引っ張られてしまったが、この際開き直ってしまおう。


「それはある時間が曲名になっています。その間、演奏者は一切楽器に触れません。そして聴衆は無音を聴き続けます。しかし完全な無音ではありません。誰かが身じろぎする音、遠くからの風の音、自分自身の心臓の音。あらゆる偶然性の音楽がこの曲を構成するのです」


 音楽界に物議を醸した一曲だ。ただのノイズまでひっくるめて音楽としてしまうこの解釈は伝統的な音楽の概念を覆した。著作権の解釈でも問題を起こしている。


「俺も楽器には手を触れません。ですが演奏開始から終演まで、俺は全力をもってペダルを回します。きっとこの曲史上最も騒がしい演奏をお見せすることができるでしょう」


 客席の先頭でずっとスマホを向けていた内城が一歩前に乗り出してきた。あんまり人の黒歴史を撮らないでほしい。

 その奥では双子姉妹が鋭い視線を俺に向けている。一挙手一投足を見逃さないと言わんばかりだ。

 泉美はもう不安と期待の入り混じった顔だった。心配するなよ。この走りはお前に捧げるんだ。

 大洋はそんな泉美を支えていた。すまんが俺の代わりに励ましてやってくれ。


「話が長くなりましたが、これより演奏を始めます。これから始まる音楽と、そして俺の全力をご覧ください」


 マイクを司会者に投げ返す。

 ここからが本番だ。俺は息を一度絞り出すように吐き出し、大きく吸い込む。肺の中の空気が換気され、全身に酸素を供給する。

 もう遊びの時間は終わりだ。敵は、俺自身。


『秋谷選手の全力宣言です! これまで全く底を見せなかった秋谷選手ですが、一体どれほどの実力を見せてくれるのでしょうか!? これは時間まで目が離せません!』


 これまで御通夜のようだった会場を再び盛り上げにかかる司会。

 しかしその声は俺に届かない。深い深い集中の底へ沈んでいく。


 ――心象の幕が上がる。俺の筋肉が脈動を始める。


 『秋谷選手、いよいよ動き出します!』


 ――時計が動く。


 『残り時間は!』


 ――その曲名は。



 ――『四分三十三秒』!!


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