表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/126

第46話 師匠

〜大河view〜


 木犀祭を二週間後に控えた日曜日。俺は朝早くから花音さんと一緒に都内の公民館にいた。


「お疲れ様でした。メダルは要りますか?」


「じゃあお願いします」


「では千円いただきます」


 俺の隣には、すでに慣れた様子で働いている花音さんがいる。今は四百キロのブルベのゴール受付をしており、俺と花音さんはその手伝いをしていた。


「二人とも手伝ってくれてありがとう。美人さんが受付だからか、今日はメダルがよく売れるね」


 後ろから白髪混じりの髪の男性が話しかけてきた。彼は園田(そのだ)伝助(でんすけ)。ブルベを主催するクラブ『AJ板橋』の代表であり、俺が師匠と仰ぐその人だ。今年で六十六歳になる。

 メダルというのはブルベの完走者に贈られる記念品だ。規定通り完走しないと手に入らないが、メダルを貰うには完走したうえで別料金を払う必要があるので、一枚入手したらそれ以降買わないという人は多い。ちなみに売上はクラブの運営費に充てられる。


「皆さん現金ですよね。俺も受付してるのにみんな彼女の方へ流れていく……」


「ブルベの受付に若い女性なんて珍しいからねぇ」


「花音さん、疲れたら休んでいいから。俺達このために来たんじゃないんだし」


「ああいえ、私は大丈夫ですよ。それに結構楽しいです」


「楽しい?」


「はい。なんて言うか、個性的な人がいっぱいいて」


 ここにやってくるのは四百キロを走り切った直後の自転車乗りだ。ぐったりしている人もいれば、生き生きしている人まで様々で、受付後も数人が公民館の座敷で走行中の思い出話に花を咲かせている。


「まあ、個性的だよな」


 誰も彼もが口を開けばシルバーウィークの千キロブルベがどうだの、メカトラブルで変速できずにギア固定で二百キロ以上走っただの、夜中に野生の鹿と競走しただの、一般人には刺激の強い会話を繰り広げている。

 しかし俺達がここに来た目的は社交ではなく別にある。


「吉野君、珍しく遅いねぇ」


「〈トミー〉さんはツイッター見ると最後のPCを出たのが二時間前みたいですし、あと一時間ぐらいかかりますかね。なんか金曜日は遅くまで仕事してたみたいですから、出走してすぐネカフェで仮眠したらしいですよ」


「はははは! 相変わらず面白いねえ彼は」


「おかげで俺達は待ちぼうけですよ」


 俺と花音さんの目的はトミーさんと会うことにある。今日は彼からスマートトレーナーを借りることになっているのだ。

 俺の紹介で花音さんがトミーさんにコンタクトを取り、彼女が頑張って交渉して許可は得た。なのでこうして本人を待ち、クルマで彼を自宅へ送るついでにスマトレを持ち帰る約束になっている。


「それにしても、あの日拾った少年がここに女の子を連れてくる日がくるなんて、私としては感慨深いねぇ。君が初めて六百キロを完走したときより嬉しいよ」


「突然何を言い出すんですか師匠……」


「だってあの子が噂の〈ハナネ〉さんだろう? 綺麗だし礼儀正しい子じゃないか。優しくしてやるんだよ」


「余計なお世話です」


 〈ハナネ〉さんのことが師匠の耳にまで届いているとはいよいよ末期だ。人の口に戸は立てられぬと言うが、ネット社会では拡散速度が暴力的すぎる。


「お二人とも盛り上がってますね。どんな話をされていたんですか?」


 話題の少女が首を突っ込んできた。ちょっとびくっとしてしまう。


「ちょっと大河君と出会った頃を思い出してね」


「出会った頃ですか。先輩のお師匠さんってずっと前からお知り合いだったんですか?」


「いや、師匠と会ったのは三年前だよ。それまでは全くの他人だった」


「まだ三年しか経ってないんだねぇ。若い子の成長は早いね」


「俺としてはもう三年も経ったのかって感じですよ。出会ったときのことはまだ昨日のことのように思い出せます」


「三年前はロードバイク初心者だった君が今じゃブイブイ言わせてるのに、昨日のことだなんて困るよ」


「先輩のロードバイク歴って意外に短かったんですね」


「一気にのめり込んだんだよな。師匠とロードに出会って」


「お師匠さんとの出会いってどんな感じだったんですか? ツイッターですか?」


「いや、夜道でばったり会ったんだ」


「あのときはどうしたものかと思ったよ。若い子が自転車に乗って行き倒れていたんだから」


「その節は本当にお世話になりました……」


 その言葉を聞いて、花音さんは意外そうな顔をした。


「先輩が行き倒れるって、どうしてそんなことに?」


「あー、話せば長くなるんだが……」


 これを話すには俺がロードバイクを始めた前後のことを語ることになる。


「大河君が説明しづらいなら私が話してあげようか。吉野君も当分戻ってこないし」


「あ、私聞きたいですその話」


「師匠ちょっと待って。なんか余計な脚色されそうな気がするから待ってください。俺が話しますから」


「君が話しても私のことを脚色しそうだけどね」


「しないですって」


 せいぜい師匠の偉大さをありのまま伝えるだけだ。


「しそうだけど、まあいいよ。さあ話してごらん」


「先輩、よろしくお願いします」


「そうだな……」


 俺は三年前の出来事を、ブックマークされた記憶のライブラリから引き出していく――



 **



 その日の気分は最悪だった。

 何もかもが嫌になった。ただただ全てのものから逃げてしまいたかった。


 衝動的に財布もスマホも持たずに、大洋の自転車(ロードバイク)に乗って夜の街を走り出していた。とにかく遠くへ行きたかった。


 すぐに限界が来た。お腹が空いて動けなくなってしまったのだ。どこだか知らない場所の煌々と輝くコンビニの前で、俺は座り込んでしまった。

 惨めだった。無様だった。こんな道化を(わら)ってくれよと思った。


「どうしたんだい。気分が悪いのかな」


 気遣うような声がした。道化を嗤うようなものではなかった。

 顔を上げると、ロードバイクに乗った柔和なおじさんがこちらを伺っていた。


「…………」


 何も言いたくなかった。いや、言葉を発する気力が無かった。

 しかし、俺の意思に反して生理現象というものは雄弁で、救いを求めるように腹が悲鳴を上げた。


「お腹が空いたのかい?」


 俺は無言で首肯する。


「何か買ってきてあげよう」


 おじさんは自転車を停めてコンビニへ入って行った。俺が呆然としているうちに、彼はレジ袋を提げて店内から戻ってきた。


「好きなだけ食べていいから」


 俺は礼を言う余裕もなく無心で食べた。レジ袋の中にあった食糧のほとんどを食べつくしたところで、俺はようやく言葉を口にすることを思い出した。


「……ごちそうさまでした」


「ロードバイクにはよく乗るのかい?」


 隣でゆっくりとバナナを食べていたおじさんが問う。


「いえ、あまり……これ、弟ので……」


「これからどこへ行くの?」


「……遠くへ行きたい」


 虚しい言葉だった。全ては願望で、そもそも行ってどうするのかすら何も考えていなかった。


「喧嘩でもしたのかい?」


「別に、誰とも喧嘩なんてしてないです」


「なら悩みがあるのかな?」


「……悩みもないです。ただ……」


「うん」


「……わからなくなったんです。今まで何をしてきたのかも、何がしたかったのかも、何を見てきたのかも。全部……全部、真っ暗になった」


「そうか。なるほどねぇ」


 バナナを食べ終えたおじさんは、残った皮をゴミ入れ代わりのレジ袋に行儀よく収めてから立ち上がった。


「だったら、光を探しにおじさんと旅に出ないかい。ほんの少しの短い旅へ」


「……旅?」


「遠くへ行きたいんだろう。だったら行こうじゃないか。私達には自転車があるのだから、どこへだって行けるんだ」


 自転車でどこへだって行ける? 冗談だろう。現に俺はこんなところで行き倒れている。


「これでどこへ行けるって言うんですか」


「道が続く限りどこまでも」


「……無理ですよ。俺にはここまでしか来れなかった」


「そんなことないよ。ほら、食べたらまた走れるようになってきただろう」


 言われて気がついた。無力感は飢餓感と共に薄れていた。まだまだ走れそうだ。空腹というものは、体力も精神力をも駄目にするものらしい。


「試してみないかい。君がどこまで行けるのか。探してみないかい。自転車がどんな景色を見せてくれるのか」


 でも明日中にお家へ帰れるところまでにしないといけないけどね、と付け加えられる。


「……俺、親に何も言わずに飛び出して」


「ご両親とは仲が悪いのかい?」


「いえ、そんなことはなくて、でも気がついたらこんなことしてて……」


「だったらちゃんと連絡しようか」


「……スマホも置いてきてて」


「いいよ。だったら私がご両親に説明するから、連絡先を教えてくれるかい」


 俺が教えた電話番号に、彼は迷いなくコールした。それから、長い時間電話をしていた。

 数十分が経過して、彼はようやく耳からスマホを離した。


「許可が下りたよ。それじゃあ走ろうか」


「本当ですか?」


「本当だよ。まあ、明日には君を送り届けないと私は警察に通報されちゃうだろうから、それだけはよろしくね」


 返答に困るセリフで答えに窮していると、彼はさっさと身支度を整えてペダルを踏み出していた。


「さあついておいで」


 俺は慌てて彼を追った。


【筆者注】

AJ板橋はもちろん架空の団体です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ