第45話 水星 翼のある使者
~花音view~
「全く信じらんないあの男! あれで教師からは優等生扱いされてるって冗談でしょ」
明くる日の昼休み。昨日のことで怒りが冷めやらぬ泉美と一緒に、私は教室でお弁当をつついていた。
昨日のことは私だって許せない。昨日から今日まで愚痴大会が継続中だった。
「まさかあそこまで先輩を馬鹿にしてくるなんて、身の程知らずも甚だしい」
「てか花音も大丈夫だった? あいつ、花音に色目使ってたでしょ」
「だよね……」
あの人の視線は途中からねっとりしていた。思い出すだけでも鳥肌が立つ。あのとき隣に先輩がいなかったら、どうかしていたかもしれない。
「あたし、あいつが毎日あれ漕いでるとこに立ち会ってたからあいつらの会話が聞こえてくるんだけどさ、あいつ一年に彼女がいるらしいよ」
「え?」
「うちのクラスじゃないけどね。サッカー部のマネージャーだって。そのうえで花音のこと口説き始めたんだよ。クソだよね」
「最低……」
やはり、必ずかの邪智暴虐の不良を除かなければならぬと決意した。私は激怒していた。
「頑なにスキー合宿に行こうとしたのも、たぶんその女マネと格安で旅行したかったんでしょ。動機が不純だよ」
「次に会ったときはセクハラで訴える準備をしておかないと」
「花音もだいぶ溜まってるよね」
「ここまで頭にきたのは久しぶりだよ」
「だよねぇ」
そんな感じで愚痴を言っていると、スマホにメッセージが届いた。中身を読んでから教室の外を見ると、「よっ」という感じで手を挙げている大河先輩がいた。
後期課程になって私が生徒会役員になってから、先輩は生徒会室の鍵を私から受け取るのが定番になった。この教室は生徒会室に近いのだ。
泉美にひとこと断って、私は先輩の元へ向かった。
「こんにちは先輩。鍵ですよね」
「うん。いつも悪いね」
先輩はお弁当を片手に持っている。これから生徒会室で食べるのだろう。
「ねえ先輩、私達と一緒にお昼食べましょうよ」
「え? 一緒にって、他学年の教室でなんてちょっと……他のメンバーは誰?」
「泉美ですよ」
「いや、この歳になって学校で妹と弁当囲むとか……」
「いま昨日のことで愚痴大会してたんです。先輩も私達のガス抜きに付き合ってください」
「……わかった。そういうことなら付き合うよ。昨日のあれは君らには思うところがあるんだろうし……」
「じゃあ先輩、こっちです!」
私は先輩を引っ張ってきて、手近な机を動かしてきて座らせる。うちのクラスの雰囲気に慣れていないのか、キョロキョロと挙動不審な先輩は小動物みたいでちょっと可愛かった。
「おう、兄貴。待ってたぜ」
「おう、泉美。待たせたな……」
照れ隠しなのか開き直ったようなノリをぶつけている泉美と、周りの視線を気にしつつも律儀にノリに合わせる先輩は、やっぱり息ぴったりだ。
「まあ昨日はいろいろあったが、お前らあれからちょっかい出されてないか?」
「いえ、今のところは」
「あたしも大丈夫」
「それなら良かった。なんかあったら武藤や内城に言ってくれ。俺より権力も喧嘩も強いから」
会長と会計は意外にも武闘派らしい。そういえば内城先輩は剣道部だったっけ。
「先輩も頼りにしてますよ」
「よしてくれ。俺あいつと同じクラスなんだぞ。ますます居心地が悪くなる……」
喧嘩なんてしたことないしと言いながら、本気で憂鬱そうな顔をする。私達の心配をしてくれるのは嬉しいけど、先輩に迷惑をかける結果になってしまって申し訳ない気持ちになった。
「兄貴に期待してるのは喧嘩じゃなくてチャリだから! マジでフルボッコにしてきてよね!」
「まあ適当にやるよ」
「適当じゃあ足りないんだよなぁ~~」
先輩は泉美の絡みを受け流しながらお弁当を広げている。
「ガチのマジで潰しにいったら殺戮ショーになるから。パワーセーブしないと企画が破綻するから」
「先輩が強いのはわかってますけど、そこまで圧倒しますか?」
「そうなると思う。俺もちょっと気になったから、まずネットで自転車素人のスポーツマンがどれぐらいのFTPを出せるものかググってみたんだけど」
「FTP?」
また知らない用語が出てきた。
「FTPって言うのは一時間維持可能な限界パワーのこと。自転車乗りの世界ではこれが個人の実力を示すパラメータになる。単位はワット」
以前先輩の家で見たトレーニングでもワット単位でやっていたのを思い出す。専用の計器がないと測れないため私達一般人には無縁なワットが、自転車乗りには身近なものらしい。
「で、このFTPを体重で割った数値がパワーウエイトレシオ。この体重比でいかに大出力を発揮できるかが勝負になる」
つまり、軽さと強さの両方が試されるということか。
「で、調べてみたら自転車素人かつウエイトトレーニングをかなり積んでいるトレーニーがFTP計測に挑戦した記録があったんだけど、結果は二百ワットにギリギリ届かないレベルだった。被験者の体重は七十キロだそうだから、パワーウエイトレシオは二・八倍だ」
言われても全くピンと来ない。
「先輩はどれぐらいなんですか?」
「俺は五倍」
……五倍。
え、五倍? ちょっと先輩強すぎない?
「そんでもって泉美にあいつのパワーを偵察してもらってたんだけど、あいつも三倍には届かなそうだな。俺が本気を出したら倍の実力差で消し炭にしてしまう」
仮にも学校最強のスポーツマンと言われている相手を雑魚扱いしている。私はまた先輩の評価を改めなければならないらしい。
「だから自慢の五倍界王拳で燃やし尽くしてって言ってるのにぃ~」
「絶対面倒ごとになるから嫌なんだって」
「ケチぃ」
泉美がわざとらしくむくれる。
「先輩、それだけ強いとプロも目指せるんじゃないですか?」
「プロ? いやいや、五倍じゃプロは無理だよ。ハイアマチュア止まりだって。プロ目指すならまず五倍後半は欲しいな。ちなみにツールドフランスで優勝するレベルのトップ選手は七倍近いぞ。まあこれは宇宙人レベルだけど」
最高峰の舞台はパワーインフレが起きているらしい。
「まあそんな感じだから勝敗に関しては安心しな。俺が腹下したりしなきゃ問題ないから。なんなら軽い風邪ひいても倒せるから」
「いえ、その、風邪ひいたら休んでくださいね」
「まあ考えとくよ」
「…………」
そのときは何も考えずに休んでほしいんだけど。
「でも競走で決着っていいよな。白黒はっきりするから。力と時計だけが支配している」
「どういう意味ですか?」
「もしイラストバトルだったらこうはならなかったってことだよ。官能評価なんて、俺は花音さん以外の審査員は認めないね」
「おやおや~? ずいぶん花音のことを買ってるねぇ兄貴」
「彼女の審美眼はすげえぞ。お前にはわからんだろうが」
「あたしだってちょっとはわかりますぅー」
「ないない」
「むう……」
イラストバトルだったらこうはいかなかった、か。
確かにその通りだ。どういう評価方法を採るにしても、完全に両者を納得させる結果に導くのは難しいと思う。プロが見るならまだしも、ここは普通の高校なのだ。
その点、競走ならば万物に平等に与えられる絶対の物理法則である"時間"が、公正なジャッジを下してくれる。時の神の支配は美の神よりも圧倒的に厳格だ。
「時の神が先輩に微笑むといいですね」
「時の神は誰にも微笑まないよ。誰にだって平等だから。そうであるから時の神は偉大なんだ」
「それもそうですね。なら勝利の女神ということで」
「勝利の女神かぁ。出来レースな木犀祭より目の前のレースに微笑んでほしいなぁ」
「またレースに出るんですか?」
「うん。木犀祭一週間前の日曜日に箱根でヒルクライムレースがある」
「一週間前って……疲れは残さないでくださいね」
「中六日もあるんだぜ。余裕で回復するから」
土曜日にやる予選のことも考えると中五日なんだけど、もはや眼中にないらしい。
「まあ、そのレースも応援してますから、頑張ってくださいね」
「ありがとう。今回は新兵器を投入するから楽しみなんだよ」
「新兵器?」
「カーボンホイールを買ったんだよ。中古だけど美品で安かったから。ほらこれ」
先輩がスマホで写真を見せてくる。
写っていたのは自転車の車輪だった。外側の輪っかのところが普通のとは違う感じで、いかにもスポーティーだ。側面にはアルファベットのロゴが貼られている。
「メルキュリオって書いてありますね」
「製品名だよ」
「メルキュリオ……マーキュリーですね。なら飛ぶように走れますよ」
「飛ぶように? どういうこと?」
「先輩、組曲『惑星』の水星の副題、覚えていますか?」
「水星……マーキュリーだからか。副題は……ん、なんだったっけ? 思い出せないや」
「答えは『翼のある使者』です」
組曲『惑星』の水星。この組曲の第三曲で、諧謔曲に当たる一曲だ。陽気なテンポで、鳥のように歌う木管楽器や跳ねるように寄り添うチェレスタが印象的。
「翼のある使者か。飛ぶように登れたらいいなぁ」
「きっとできますよ。ところでこれ、いくらしたんですか?」
私の何気ない質問に、先輩はどもった。
「ん、んー……秘密だ……」
なんだか、内緒で買った高いものが奥さんに見つかった旦那さんみたいだった。
【筆者注】
トッププロ>プロ>ハイアマ>>>素人のパワーバランスはリアル志向です。




