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第43話 金星 平和をもたらす者

~九音view~


 金曜日だからと油断していたら、もう土曜日の明け方だった。すっかり夜更かししてしまった。

 別に、夜を徹してまでやらなければならないことがあったわけではない。ただ、気持ちの整理を兼ねて目の前のイラストに集中していたら、止め時を見失ってしまっていた。


 窓の外を見る。

 うっすらと白みがかった空に、ぽつんとひとつ、星が取り残されている。

 明けの明星(みょうじょう)……金星だ。大洋さんから教えてもらったのですぐにわかった。

 ペイントソフトを閉じて、ぼーっと金星を眺める。


 ……静かだ。

 クルマの音はほとんど鳴りを潜め、早起きな鳥の小さなさえずりだけが聞こえてくる。

 大気の揺らぎでまたたく金星に目を奪われながら、日付は変わったが私の主観的には今日あったできごとを思い返していた。



 **



 先日の会議で勝山先輩をおびき寄せる作戦が決まり、武藤会長を筆頭としたやる気に満ちたメンバーがその準備に奔走する中、私はひとつ納得のいかなかったことを大河先輩にぶつけた。


「どうして先輩ともあろう人がこんなことになっているのですか」


 今この生徒会室には私と先輩の二人だけだ。問いただすなら今がチャンスだった。


「どうしても何も、会議の場で言った通りだが」


「経緯はそれで理解したわ。今回の解決策も、あの不良先輩の件がある手前納得してる。でも、先輩が舐められていなければこんな大げさなことをする必要はありませんでした」


「何が言いたい? 真面目に授業に出て友達作れってか? 時間の無駄だ」


「私が言いたいのはそういうことじゃありません。もっと時間のかからないスマートな方法があったわ」


「ふむ……お前が言いたいのは、絵か」


「その通りよ」


 先輩はクラスメイトに一度も絵を見せていない。そう言っていた。


「つまり、俺が自分の絵を教室内で見せびらかして、クラスで地位を確立しろってことだな? それがベストな方法だと思っているなら、それは間違いだ」


「どういう意味?」


「独り善がりだってことだよ。そんなことをしても誰も幸せにならないし、不幸になる人間が出る。(わざわ)いにしかならない」


「どういうことよ。美しい絵には人を幸せにする力があるわ。それは創作者自身にだって、それを見た者にだってもたらされる。現に……」


 貴方の絵で花音はあんなにも幸せそうなのに。


「なあ、お前も身に覚えがあるだろ。『クラスで一番絵が上手い人』になった経験が」


「ええ」


 当然だ。幼少期から絵を描いてきた人なら少なくない人が通る道だろう。


「俺も小学校の頃からそうだった。少し昔話をしてやろう」


 そう前置きして、先輩は語り始めた。


 やはり先輩も子供の頃から絵が上手かったらしい。

 小学校一年生の頃から『クラスで一番絵が上手い人』になり、そのおかげでいじめも減り、友達が得られるようになったという。私と同じだ。


「一年から四年まで絵の絶対王者として君臨していた俺に転機が訪れたのは、クラス替え直後の五年生のときだった」


 当時の先輩が配属されたクラスには、それまで別のクラスで『クラスで一番絵が上手い人』となっていた女子児童がいたという。


「子供の頃のお絵描きって、どうして『女の子の遊び』って扱いなんだろうな」


 言われてみればそうだ。お絵描きは専ら女子の遊びで、男子は校庭でドッジボールをしたりするのが常だ。そういう偏見の中にあって先輩は異端だった。

 女子によって独占されていたお絵描きの枠に切り込んでいく先輩は、男子の期待の星であり、女子にとっては既得権益を脅かす敵だった。


「やがて俺とその彼女は、意図せずクラスの男子と女子の代理戦争の駒になっていた」


 その光景はなんとなく想像がつく。図工の時間には男子が先輩に群がって、女子はその彼女に群がるのだろう。そして、こっちのほうが上手いとか、そんなことで言い合いを始めるのだ。あるいは冷戦になるのだろうか。二次性徴を迎える年頃の男女に対立構造が生まれるのは必然だった。


 雌雄を決するときがすぐにやってきた。学校行事のためにクラスを代表して誰か一人が絵を描くというもので、絵を描く本人そっちのけで気の強い男子と女子がいがみ合った。

 どちらが上手いかという主張の応酬は止まず、結局コンペをすることになった。


「絵を描く当人が言い出したことじゃなかったけど、やっぱりお互い子供だったから内に秘めた対抗心は強かったと思う。俺は彼女を倒すべく本気で描いた一枚を提出した」


 『クラスで一番絵が上手い人』の座を賭けて、お互いが渾身の一作を掲げて臨んだコンペ。評価はクラス内での多数決になった。


「結果は、僅差で俺の勝ちだった」


「僅差ですか」


「そう、僅差だった。あれは男子が俺に、女子が彼女に投票しただけのクソみたいな投票だったからだ」


「…………」


 まさに代理戦争。大義など存在しなかったのだ。


「男子の方が人数が多かった?」


「いや、男女比は同じだった。そうでなければ投票制なんて採用されなかったと思う」


「ということは、女子の誰かが寝返った?」


「そうだ。そしておそらく、寝返り票を入れたのは俺のライバルだった彼女だろう思ってる」


「えっ……」


 先輩の描いた絵は、客観的に見て彼女の絵を圧倒していたらしい。ひと目見て負けを悟った彼女は、決定打になる一票を敵に贈った。結果発表のときに動揺する素振りを全く見せなかったことが、その想像を裏付けたそうだ。


「俺は再び『クラスで一番絵が上手い人』になった。そして彼女は『クラスで一番絵が上手い人』の座を失った」


 それからの彼女はぱったりと絵を描かなくなってしまった。アイデンティティーを失った少女は、ゆっくり静かに存在感を無くしていった。六年生以降の彼女のことは、先輩の記憶にももう無いという。


「俺の絵は彼女の筆を折った。俺がプライドを守った陰で一人の少女が闇に消えた」


「だから今回も同じ轍を踏まないと?」


「そうだ。今俺のクラスで『一番絵が上手い人』になっているのは、名前は覚えていないが美術部の女子生徒だ。高校生にしては上手いと思うが〈イクス〉と比べたら足元にも及ばない」


 つまり、先輩なら簡単に下克上できてしまうのだろう。


「俺が出しゃばったところで、ぽっと出のサボりがちな留年生が彼女の立場を奪っていくだけだ。それも彼女にとっては高校生活最後の一年で、俺にとっては消化試合のどうでもいい一年。だから災いにしかならないわけだ」


「……それでも、私は先輩は絵を披露するべきだったと思います」


「そのせいで彼女が筆を折ったらどうするんだ」


「そうならば、彼女はその程度だっただけです。本当に絵に自信があるなら、何度辛酸をなめたって這い上がってくる」


「そんなことが言えるのは君が神絵師だからだ」


「いいえ、私より上手い人なんて星の数ほどいるわ。何気なくツイッターを眺めていても、コミケを少し歩くだけでも、自信を失うほどの絵と対峙する瞬間なんて年中無休でやってくる。真面目にやればやるほど壁とぶつかる。それでも私は立ち向かってる。偽りの玉座でぬくぬくしてる人なんて、早いうちに蹴り落としてしまったほうがその人のためだわ。何度も挫折して人は強くなるのですから」


 ねえ先輩。貴方だって何度も何度も挫折してきたのでしょう?


「……それは、その通りだ。だけどもうその必要はない。俺が自転車で勝山というヴィラン( 悪役 )を倒せばそれで済む。勧善懲悪もののハッピーエンドだ」


「そうですね」


 先輩はずるい。イラストだけじゃなくて、自転車だって非凡な実力を持っている。私にはイラストしかないのに。


「最後に一つ言わせてもらうが、あのとき彼女が筆を折った理由は、俺より絵が下手だったからじゃないと思ってる」


「どういうことですか?」


「彼女は失望したんだ。投票の結果に。女子は"女の描いた絵"だから投票し、男子は"女の描いた絵"だから投票を避けた。逆も然りだ。誰も絵の善し悪しなんて見ちゃいなかった。あのクラス内投票は呪いになった」


「…………」


 先輩の言っていることは憶測だ。でも説得力がある。きっとこれが真実なんだろう。

 今まで自分の絵がもてはやされていた理由が技量によるものではなかった。同性のよしみ、あるいは馴れ合いにすぎなかった。そのことを悟った彼女は一体何を思ったのだろうか。小学五年生ならきっと初めて味わった挫折かもしれない。それがこんな形になるのはかなり酷だ。


「もし俺が負けていれば、あの日筆を折っていたのは俺だったかもしれない」


 そう言う先輩の目は、本気で暗く染まっていた。


「神絵師様には言うだけ野暮かもしれないが、少しは筆を折られる側の気持ちも考えてみてくれ」


「私だって……」


 筆を折られる側の気持ちぐらい……。

 わかるわよと言いたくて、しかしためらってしまった。

 それっきり、私と先輩は会話が途切れたまま解散となった。



 **



「筆を折られる側の気持ち、か……」


 徐々に明るくなっていく空に消えていこうとする明星を眺めながら想う。

 私とて挫折は数えきれないほど味わってきたが、完全に筆が折れたことは無い。でも、誰かが筆を折る瞬間は少なからず見てきた。


 従姉の恵姉は、社会人になってからずっと同人活動を休止したままだ。復帰の兆しは無い。

 本人は仕事が忙しいと言っていたし、実際その通りなのだろうけど、たぶんきっと私が彼女の筆を折った決定打なのだろう。


 中学生の妹分が作った本が、自分の本の横で飛ぶように売れていく様子を見て、彼女は何を思ったのだろうか。

 きっと手放しで喜んではくれまい。少なからず嫉妬したか、惨めに思っていても不思議ではない。

 私がしたことは残酷だったのだろうか。

 でも委託頒布を誘ってくれたのも了承してくれたのも恵姉だ。私にはどうしようもない。

 私にできることは、また再び筆を取ってほしいと祈ることだけだった。


 今や私は八万人ものフォロワーを抱えるイラストレーターになった。きっと私の知らないところで、私の絵を見て筆を折る人もいるのかもしれない。実際、私が中学生イラストレーターだったことが話題になったときは、冗談なのか本気なのかわからないけど、そういうツイートもいくつか見かけた。


「ひとりひとりの都合なんて考えてられないわよ……」


 ただでさえ自分のことで手一杯なんだ。顔も知らない誰かの事情なんて知りようがない。

 私の絵は毒なのか。

 違う。私は皆を幸せにするために絵を描いている。幸せをもたらす薬だ。

 薬はときに毒にもなる。それでも薬剤師は人の幸せを祈って薬を処方するのだ。私も幸せを祈って絵を送り出している。


「私は、絵がみんなを幸せにできるって信じたい」


 美の神様、どうか私に信じさせてください。

 夜明け前の金星(ヴィーナス)に、私はそっと祈った。


【筆者注】

ようやく大河と九音の美術論議ができる下地が整ってきました! 今後ももっとレスバさせます。

ちなみにヴィーナスはローマ神話の愛と美の女神です。

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