第37話 宮沢賢治/星めぐりの歌
~九音view~
雲ひとつない夜空には、満天の星々が広がっていた。
東京の星空と明らかに星の数が違う。都会では街明かりが明るすぎて、見える星の数が減るのだという。これを光害と言うそうだ。
横を見ると吸い込まれそうな闇に包まれる森が見えてちょっと怖くなるが、適度に明るい月明かりと彼の存在が頼もしかった。
「本当は新月の方が星見にいいんだけど、今日しかタイミングが無くてごめんな」
「いえ、全然大丈夫です」
大洋さんは申し訳なさそうに言うが、正直新月だったら怖かったと思う。避暑地なだけあって夏なのに今はだいぶ涼しいし、そよ風に揺れる木々がざわめく音が都会慣れした私にとって現実感が無い。
「ねえ、九音さんもしかしてビビってない? 怖いよね~。ここツキノワグマの分布に入ってるらしいよ~」
「泉美さんうるさい」
余計な情報を添加してくる泉美さんを牽制する。ていうかここクマ出るの? なんでこの家の人たち平気な顔してるの?
私がどうして今こんなところにいるのか。話は先月に遡る。
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『なあ九音君、提案なんだけど、お盆休みに星を見に出かけないか?』
きっかけは大洋さんに星空写真の相談をしたときだった。
大洋さん曰く、きれいな星空写真を撮るのであれば東京でスマホカメラだと限界があるらしく、郊外まで出かけて大洋さんのお父さんが持っているカメラを借りて撮影するの勧められた。
『お盆休みになるとうちは毎年別荘に行くんだけど、星が綺麗なところでさ。良かったら来ない?』
驚いたことに、秋谷家は別荘を持っているらしい。避暑地で家族のんびり過ごすのが毎年の恒例なのだが、今年は大河先輩が自転車遊びで来ないため、クルマの座席が一人分余裕があるそうだ。
家族水入らずなところにお邪魔ではないかと聞いてみたが、むしろ歓迎だと言われてしまったので、別荘というものへの興味も合わさって誘いに乗ることにした。
別荘の場所は北軽井沢というところだった。長野県かと思ったが、群馬県だという。浅間山の麓に位置する高原だ。
コミケの翌日、私は秋谷家のクルマに乗って関越自動車道、上信越自動車道を走り、緑豊かな別荘地の一角に到着した。別荘と聞くと漫画やアニメで見たような豪邸を想像してしまうが、秋谷家の別荘は小ぢんまりとしたバンガローのような建物だった。
年に数回しか来ないということで真っ先に掃除から始まり、私も手伝った。芝刈りというものを人生で初めてやったし、浴室に潜んでいたカマドウマは大きくて気持ち悪くて悲鳴を上げてしまった。カマドウマは大洋さんがティッシュを片手に慣れた手つきで退治してくれた。
近くにあるゴルフ練習場でパターゴルフをしてみたり、お蕎麦屋さんでご飯を食べたりしているうちに、日が暮れて夜になった。
夜の帳が下りた森は、驚くほど暗かった。
怪しく光る誘蛾灯の光と蚊取り線香の匂いに包まれる中、私の本来の目的である星空写真撮影の準備が始まった。
「星空だけじゃなくて天体の写真も撮れるけど、どうする?」
「天体というと?」
「天体望遠鏡を使って、例えばアンタレスとかが撮れる」
星単体を撮れるってことね。
「それはそれで見てみたいですけど、今回は無数に広がる星が撮りたいので」
「うん、わかった」
大洋さんは三脚によくわからない機械をセットし、その上にカメラを取り付けた。大きいレンズの付いた本格的なカメラだ。
「星空写真が上手く撮れない理由は星の光が弱いからだ。スマホのカメラで普通に撮ろうとするとただの黒になってしまう。星を撮るにはカメラのイメージセンサに多くの光を取り込むことが重要だ。取り込める光の量をコントロールするのがレンズの絞り、シャッタースピードのふたつ。これに加えてISO感度の設定で写真の仕上がりが変わる」
大洋さんの星空写真講習が始まる。初めて聞く単語が多くて混乱しそうだけど、大洋さんは簡単に要点だけに絞って教えてくれようとしている。私もちゃんと理解しようと頑張って聞いた。
「スマホで撮ろうとするならこれらの数値を手動で設定して、スマホの本体を固定すればそこそこの写真は撮れると思う。でもスマホだと限度があるし、今日はいい機材が使えるからこれを使ってベストな写真を撮ろう」
大洋さんが準備の整った機材を指し示す。
「うちで一番明るいF1.4のレンズを付けたし、イメージセンサがフルサイズのカメラだから機材は申し分ないと思う」
「三脚とカメラの間にある機械は何ですか?」
「これは赤道儀。星空は地球の自転で動いてるから、そのまま長時間露光で撮ろうとすると星が線になるんだ。でもこの赤道儀を使えば星の動きと同期させて動いてくれて星が点のままになる。あえて使わなければ、アニメとかでもよくある星が円弧を描くような写真も撮れるけど、やってみる?」
「んー……興味はありますけど、今回はいいです。あくまで絵の背景素材なので、普通に撮りたいです」
「それがいいよ。今日の夜空は普通の星だけじゃないしね」
そう言って大洋さんが空を見上げると、ちょうど一筋の光が尾を引いた。
「あ! 今流れ星見えた!」
ハンモックに寝転がっている泉美さんが声を上げる。
――ペルセウス座流星群。
私にとっての今夜の目的は写真だけど、秋谷家一同にとっての本来の目的は流星群だ。流星群と聞いて絶え間なく流れるのかと思ったけど、実際はピーク時で一時間に四十個ぐらいで、そうでなければその数分の一以下程度だという。本当に絶え間なく流れ星が流れるものは流星雨とか流星嵐などと言われて、かなり珍しい天文ショーとされているそう。
毎年お盆休みのシーズンに極大を迎えるというこのペルセウス座流星群を、ハンモックやコットの上で寝転がりながら眺めるのが秋谷家の夏の楽しみのようだ。ひとつしかないというハンモックは泉美さんが占領していて、ご両親はコットに寝転がっている。
「流れ星見たいならあっち行ってもいいよ。撮影は俺がやっとくから」
「いえ! 私が撮らないと意味が無いので!」
「ん。じゃ、やってみようか。と言ってもシャッターボタンを押すだけだけど」
そう言って大洋さんのスマホを渡される。スマホはカメラのリモコン代わりになっていて、カメラ本体に触れずにシャッターを切れる。遠隔で操作するのは、カメラ本体のシャッターボタンを押すとそのせいでブレてしまうのを予防するためだとか。
「では、撮ります」
シャッターボタンを押す。シャッタースピードを長く設定しているため、撮影完了までは時間がかかる。たっぷり三十秒ほどかけ、初めての写真が撮影された。プレビューで確認してみる。
「どうでしょうか」
「うん……うん。現像次第だけどたぶん大丈夫。このまま何枚か撮ろう」
「はい」
向きや設定を少し変えたりしながら撮影を続ける。ほとんど大洋さんのアドバイスに依存してるけど、なんとなくわかってきた気がして楽しくなってきた。
「あっ」
撮影中、カメラが向く先に流れ星が流れた。
「いまのは写っただろうな。良い画になりそうだ」
撮影が完了した。ワクワクしながらプレビューを確認すると、ちゃんと流れ星が狙ったかのようにフレーム内に収まっていた。これは嬉しい。
「アルタイルの近くに流れたな。写真の真ん中近くて見栄えもいい」
「アルタイルって夏の大三角形の星でしたね」
「そう。わし座の一等星だな。写真のこれがアルタイル。デネブとベガはこれとこれだな」
言われて、写真と実際の星空を見比べる。
「あれが夏の大三角……」
雄大な星空に明るく輝く三つの星の三角形。
しばらく時間を忘れて呆けてしまった。星はいつだって頭上にあるものなのに、どうして気がつかずにいたのだろうか。
また、流れ星が視界を横切る。星の軌跡は一瞬で夜に融けて消えてしまったが、私の網膜に少しだけ残像を残した。まるで夜空への道のようだ。
「流れ星って、銀河鉄道みたいだよな」
大洋さんがぽつりと言う。
「宮沢賢治ですか」
彼はくすりと笑みを返し、答えの代わりに歌を歌い始めた。
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
――『星めぐりの歌』
宮沢賢治作詞作曲の歌で、アニメ作品などでも引用されることの多い有名な歌だ。童謡のような曲と幻想的な詞が合わさって、心に優しく染み渡る。そんな歌。
「今日はありがとうございます。良い絵が描けそうです」
「どういたしまして。でもこの星空はまだまだだな。月は眩しいし、もっと明るい星空を見せたかった」
「明るい星空、ですか」
「ああ。やっぱり新月に近くて、あと冬だといいな」
「冬?」
「冬の星空は一等星が一番多い季節なんだ。冬のダイヤモンドは美しいぞ。シリウス、リゲル、アルデバラン、カペラ、ポルックス、プロキオン……夏の大三角形なんて敵じゃない」
キラキラした目で語る彼の瞳は、天上を満たす星々にも負けない光を湛えていた。
「私、見てみたいです。冬のダイヤモンド」
「だったらまた見に来ようか。冬に」
「ええ、ぜひ」
冬の星空。これよりも美しい宙を想像してみて、私は期待に胸を膨らませた。
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
【筆者注】
星めぐりの歌がちゃんと著作権切れになっているか調べる羽目になるとは。
皆様の★★★★★で彼らの夜空を満天の星々で彩ってくれたら嬉しいです。




