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第36話 サン=サーンス/動物の謝肉祭

〜花音view〜


「この辺りだと思うんだけど……」


 九音のお手伝いを終えた私は、会場内で迷子になりかけていた。

 目的の場所は拠点にしていた九音のサークル『九才溝』から遠く離れており、いくつかの階段を登ったり降りたり、その先で人の流れに流されたりしながらも、たぶんこの辺というところまでは辿り着けた。……はず。

 この歳で迷子だなんて情けないかもしれないけど、まだコミケ二回目の初級者なのでどうか笑わないでほしい。


 きょろきょろと辺りを見回していると、背が高く目立つ人がいた。私にはその人に心当たりがあった。


「すみません、もしかして時子さんですか?」


「んん? 君は……あー! もしかして飯山ちゃん!? 髪形違ったから一瞬わかんなかったよ。どうもこんにちは」


 やっぱり時子さんで間違いなかった。男の人を呼ぶ名前として違和感がすごいけど……。


「はい。こんにちは」


「ドナ君は? 一緒じゃないの?」


「先輩は会場のどこかにはいると思いますけど、どこにいるかは知らないです」


 ここに来る途中先輩のサークルに寄ってみたけど、すでに片付けられた後で誰もいなかった。でも、グーグルマップを見ると会場からは離れていないようだったので、どこかにはいるはず。


「ふーん。ツイッター見たら何してるかわかるかねぇ」


 スマホを取り出して操作し始める時子さん。


「そうだ。時子さん、私自転車のサークル見て回りたいんですけど、どこにあるかわかりますか?」


「自転車島? すぐ近くだよ。案内しようか」


「ありがとうございます!」


 時子さんが先頭に立って歩きだし、私は後ろを追いかける。


「ドナ君は企業ブースを冷やかしてるみたいだ。暇そうだしダイレクトメッセージ送って呼び出すか」


「先輩、来ますかね?」


「さあな。でも言うだけタダだし。軽い感じで誘ってみるよ」


 先輩と時子さんはお互いあまり遠慮しなくていい関係らしい。


「自転車島に行くってことは、飯山ちゃんも自転車やってるの?」


「いえ、私は別に自転車やってないですけど、先輩がよく話してるブルベってどんなのか気になって、なにか本とかあるかなぁと思いまして」


「なるほどなるほど! それならちょうどいいよ。ブルベの体験談とか書いてるサークル結構あるから」


「ブルベってそこまで人気なんですか?」


「ん~……昔よりは知名度が上がって人口も増えたと思うけど、やっぱりまだゲテモノというかアングラ的な扱いではあるかな。ブルベは。だからこそ同じアングラなコミケと相性が良いんじゃないかな」


「そういう感じですか」


 そんな話をしているうちに、自転車のポップが立つエリアに着いた。


「この辺りが自転車島だ。ブルベの本が欲しいならちょうどいいところが…………おーい! ゼロの姐御ー!」


 時子さんは色とりどりの本が陳列されたサークルに立つ女性に向かって声をかけた。


「なんだよ時子、また来たのか。もう一冊欲しくなったか?」


「違う違う。客を連れてきたんだよ」


「お客ってその女の子か? まさかお前、ナンパしたんじゃねえだろうな」


「俺がそんなことするわけないでしょ! 聞いて驚け姐御。この子は噂のドナ君のガールフレンドだ!」


「マジか! え、めっちゃ可愛いし。チッ、ドナ君も隅に置けねえなぁ」


「あ、ええと……」


「ああ、すまんすまん。あたしはゼロって言うんだ。よろしくな」


「飯山です。よろしくお願いします」


 ぺこりとお辞儀すると、ゼロさんはのけ反るようなリアクションをした。


「くはっ……! マジでかわいい……。ねえ飯山ちゃん、何年生?」


「えと、高一です……」


「あー、いいねぇ! このあと暇? ちょっとお姉さんと遊びに行かない? ツイッターやってる? アカウント教えて」


「姐御……? なんか鼻息荒いっすよ?」


「時子てめえ余計なこと言うな! すまん飯山ちゃん、今のは冗談だ。この野郎が客だって言ってたけど、うちのサークルに用事かい?」


「は、はい。その……ブルベの同人誌を探していまして」


「飯山ちゃん、ドナ君がブルベの話をよくするからどんなのだろうって気になったんだって」


「はー、なるほどな。健気だねぇ。それなら任せな! うちの本はそういうの中心だから。まずは既刊一巻だな。これはあたしが初めてブルベ走ったときの体験レポート漫画だからドンピシャだぞ。それから二巻と三巻と……もういいや、新刊まで全部やるよ。持っていきな!」


 ゼロさんは一冊一冊が分厚い同人誌を八冊も束ねて私に差し出してきた。


「ええっ!? 私お金足りないです!」


 分厚いだけあってゼロさんの本は一冊千円。八冊で八千円になる。


「なに心配してんだ。やるよって言ったんだからプレゼントに決まってんだろ。JK割ってやつだ。受け取ってくれ! あ、もしかして多すぎて持てないか? おい時子! お前の持ってるカワイイ女の子が描いてあるショッパーひとつ寄越せ!」


「なに言ってんだよ姐御! これは俺の戦利品だ!」


「どうせ袋はタンスの肥やしになるんだろうが。ひとつぐらいくれてやれよ」


「そうだけどそういうもんじゃないの、姐御もわかってくれるでしょ」


「わぁかったよ使えねえな。すまん飯山ちゃん、いまビニール袋しかないんだけど、家までに破れたらごめんな」


「ああ、いいえ。妹がキャリーケースで来てるので、それに入れれば大丈夫ですから」


「そっかそっか」


「お、姐御。ドナ君こっちに来るみたいだぞ」


「ようやく色男のお出ましか。ちょうどいい。いろいろ聞き出してやろう」


 ふふふ……とゼロさんと時子さんが悪い顔をしている。ちょっと怖い。


「つーかよぉ、飯山ちゃんってドナ君のあのキャラにそっくりだな。もしかしてあいつ、そういう趣味か!?」


「い、いえ! シオンちゃんは私と先輩が知り合う前からいましたし、今日は私がシオンちゃんに似せてきただけですから!」


「いやでも化粧だって薄く乗せた程度でこれだろ? 素材のレベル高すぎんだろ。初めて会ったときのドナ君すげえ驚いてたんじゃねえか? なあ、ちょっとお姉さんに聞かせておくれよ!」


「あ、それ俺も聞きたい! ドナ君の弱みがつかめるかもしれないぜ。お兄さんにも二人の馴れ初め教えてくれ!」


 圧の強い二人がぐいぐい迫ってくる。

 先輩っ! 早く来て〜!



 **



 あれから、合流した先輩に矢面に立ってもらい、二人ともたじたじになりつつもなんだかんだで大人の皆さんによくしてもらって、そのまま閉会時間を迎えた。


 閉会後は九音と大洋さんと合流し、会場を出て四人で駅へ向かって歩いている。前を歩く九音と大洋さんの背中を見ながら、私は隣を歩く先輩に話しかける。


「前回のコミケでは三本締めなんてやらなかったからびっくりしました」


「三本締めか。あれは鉄道島がやり始めた文化らしくて、あの辺一帯のサークルはみんな三本締めをしてコミケを締め括るんだ」


「同じ会場なのに、いろんな場所でいろんな文化があるんですね」


「面白いよな。コミケって」


「ですね。面白かったです」


「……なんか子供みたいな大人連中に絡まれたみたいでごめんな」


「いえいえ! 楽しかったですから」


 あれだけ歳の離れた人に受け入れられてわいわい騒いだのは恵姉以来かもしれない。先輩の世界にちょっと踏み込めた感じがして、少し嬉しかった。


「あの二人どっちも押しが強いから、言いづらいことがあったら俺が代わりにクレーム言ってやるから」


「あはは……ありがとうございます。でも大丈夫です」


 前を歩く二人はさっきからスマホでお店を探している。これから四人でご飯を食べに行こうかと話していたのだ。お店のチョイスは二人にお任せしている。


「焼肉屋予約したぞ。大河もいいよな」


 大洋さんが振り返って言う。今夜は焼肉に決まったようだ。


「豪勢だな。倹約家のお前にしては珍しい」


「九音君が行きたいって」


「お! 神絵師様の売上で肉が食えるのか!?」


「おごりなんて言ってないじゃない。当然割り勘よ。先輩はご自分の売上で食べてください」


「俺今回赤字なんだけど」


「先輩も完売してましたよね!? なのに赤字って馬鹿ですか!?」


「あー神絵師様の黒字マウンティングは禁止カードですー。コミケで黒字になるのは上澄みだけですやめてくださいー」


「知ったこっちゃありません。で、先輩も来るんですか?」


「まあ行くが」


「大河は明日試走だもんな。食べ放題にしたからガッツリ食っとけ。カーボローディングだ」


「ガッツリ食ったら胃がもたれるだろ。それに焼肉はプロテイン( たんぱく質 )ファット( 脂質 )じゃん。カーボローディング(  炭水化物摂取  )になんねえよ」


「じゃあ大河は白米ヘビロテだな」


「焼肉食べ放題で白米だけ食う馬鹿がいるか! 普通に肉食うわッ」


 コミケも楽しかったけど、このあとの焼肉も楽しみだ。きっと賑やかになる。想像すると、思わずふふっと笑いが溢れてしまう。


「私もお肉、いっぱい食べたいです! コミケのアフター焼肉!」


 わくわくしてきた私は鼻歌を歌う。サン=サーンスの『動物の謝肉祭』だ。

 突然歌い出した私に、先輩は同じく鼻歌で低音パートを歌って即興のアンサンブルが始まる。

 ひと通り歌ってから、先輩は苦笑混じりに言ってきた。


「焼肉だから謝肉祭? 謝肉祭ってカーニバルって意味だったはずだけど」


「なんでもいいじゃないですか。それにカーニバルなら合ってますよ。だって今日はコミケ(カーニバル)でしたから!」


 私の言葉に、先輩は笑って頷いた。


「ああ、それは間違いないな」


 会場の外に『←現実』というプラカードを掲げた全身タイツの人が立って手を振っている。

 もはや天丼ネタと化したパフォーマンスだけど、このイベントの本質をついていて参加者から愛されている。


 謝肉祭(コミケ)はもう終わり。でもこれから始まる謝肉祭(焼肉)に心を踊らせて、私たちは現実への階段を下っていった。


【筆者注】

コミケ編はこれで終了ですが、この章は夏休みいっぱいまで続きます。

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