第34話 私にシオンが舞い降りた
〜大河view〜
途中トイレに寄りつつ、サークルスペースで待ちぼうけている大洋と合流した。
「やっと戻ってきたか。もう蒼星亭に列でき始めてるらしいから、俺もう行くわ」
「列もうできてるのかよあそこ。わかった、行って来い」
じゃあまたなと言って颯爽と大洋は出て行った。俺のお使いもいくつか頼んでいるので、後はあいつの武運を祈るだけである。
もう挨拶は終わったし、開会まで暇な時間だ。
コミケの情報戦で盛り上がるツイッターを眺めていると、不意に声をかけられた。スマホから視線を外すと――
「先輩、おはようございます」
「…………シオンだ」
驚いた。
そこにはシオンがいた。いや、花音さんだ。花音さんがいた。
髪型をツーサイドアップに結って、ヘアアイロンで仕上げたのであろう軽やかなウェーブがかかっている。ナチュラルメイクの上に瑞々しい輝きを湛えるリップは艶めかしく、更にはあのときの白いワンピースを身に纏っていて、シオンと同じ感じの帽子と黒いサイハイソックスとキュートなパンプスも合わさっており、髪と瞳の色以外は完全にシオンの再現だ。己のパーフェクト素体をアルティメットに生かしきっている。
お隣のサークルさんまで俺が渡した同人誌と彼女を見比べて仰天しているほどのクオリティー。
やばい。やばいでござる。
「シオンじゃないですよ~。私ですよ~」
「ゃ…………」
「……先輩?」
処理落ちしてしまった俺に再起動司令がかけられるがもう遅い。
「ありがとう。いい人生だった……」
俺は死んだ。
「起きてください~。せーんーぱーい~~!」
「駄目だ……これ以上直視したらシオンが泡になって消えてしまう……」
「私もシオンちゃんも人魚じゃないですよ起きてください」
恐る恐る顔を上げると、あきれ顔の花音さんが泡にならずに健在だった。
「すまん、取り乱した。ちょっと夢と現実の狭間に囚われて……」
「はあ、ちょっと気合入れすぎましたかね……」
「入れすぎた気合に敬意を表します。もっと入れてもらっても一向に構わん」
「もっと入れたら先輩本当に死んじゃいそうなのでやめておきますね」
それは残念だ。本当に残念だ……。
「改めておはよう花音さん。来てくれてありがとう。そっちのサークルは大丈夫なの?」
「ああ、はい。設営はもう終わったのであとは開会を待つだけですね。先輩は大洋さんと来たみたいですけど、大洋さんは?」
「あいつはもう大手の列に並びに行ったよ。俺のファンネルも頼んでるし」
ここで言うファンネルとはお使いのことだ。
「そうですか」
「花音さんもファンネル? その恰好で大丈夫?」
「あ、いいえ。私は今日レジ専属なので」
「九音さんとか欲しい本無いんだ?」
「欲しいやつはだいたい通販で予約済みなのと、そうでないものは挨拶回りで交換してゲットできるから大丈夫なんですよ。九音なら」
「挨拶回りでゲットって壁サークルのも含まれてるの?」
「もちろんです」
さすが〈イクス〉ほどの神絵師になるとコネの幅が違うらしい。
「ああそうだ。これ、うちの新刊と約束してたマイクロファイバータオルね。どうぞ」
「ありがとうございます! ああああシオンちゃんかわいいです最高です!!」
本とタオルを天に掲げて飛び跳ねそうなほど喜んでおられる。この子の笑顔を見ると制作者冥利に尽きるなぁ。同人やってて良かった。
「あとでじっくり読ませてもらいますね! あ、あとこのタオルもう一枚また後で買いに行きます! 保存用!」
「じゃあ今のうちにもう一枚あげるよ。お金は後ででいいから」
「あああああ先輩は神ですか!! 神!!」
花音さんのテンションが高くて面白い。
はしゃぐ花音さんを眺めていると、館内放送で陽気な音楽流れ始めた。
「一斉点検の時間か」
コミケでは一日に数回、会場内で不審物の有無の確認を促す歌が流れる。気の抜けた感じのマーチだが、みんなの平和を守るために大切なことだ。
花音さんも歌に合わせて前後左右を楽しそうに指差し確認している。かわいい。
何もないのはわかっているけど、俺も確認しておこう。まえ、うしろ、みぎ、ひだり。
「もうすぐ開会だ。花音さん、そろそろ戻らないと」
「ですね。九音に怒られちゃいます。先輩、また後で!」
花音さんは俺の新刊を胸に抱いて、小走りで去って行った。
「さっきの人、コスプレイヤーさんですか?」
花音さんを見送ると、隣のサークルさんが声をかけてきた。
「ああいいえ、コスプレイヤーじゃないんですけど後輩で。うちの子のファンだって言ってくれてて、今日は格好を寄せてきてくれたようです」
「へええ……」
彼は感心したように俺の同人誌をゆっくりとページめくっていく。やがて最後のページまで読み切ると、ぽつりと一言つぶやいた。
「…………尊い……」
「と……?」
「すみません、開会したら一冊買ってもいいですか?」
「あ、え? はい、もちろんいいですけど……もう一冊?」
なぜ二冊目が欲しいのか疑問を浮かべると、彼は曇りのない笑みでこう言った。
「布教用です」
**
盛大な拍手とともに今年の夏のコミケが開会した。
同時に、お隣さんは宣言通りうちの新刊を買い増し、本日最初のお客になった。
開場直後になだれ込んでくる一般参加者の大群は、まるで忍者のような素早い競歩で壁の方の大手サークルへ飛んでいくので、我々島中の弱小サークルは人もまばらでしばらく暇だ。
暇なのでツイッターを眺める。どこのサークルの列が牛歩だとか、まだ入場できないだとか、面白いことを言うスタッフがいたとか、今日のタイムラインは話題に事欠かない。
時折目の前を通過していくコスプレイヤーを見るのも面白い。お、あれは黒部ダムのダムむす。隣りにいるのは早明浦ダムか。やっぱり著名なダムはダムむすでも人気が高いな。
閑古鳥が鳴いていても人間観察だけでお釣りが出るほどコミケは面白いなぁ。
「すみません、新刊と既刊ひとつずつください」
一瞬よそ様のことだと思って聞いていたら、目の前に人がいた。その男性は間違いなく俺を見て言っている。
「あ、はい。新刊と既刊一冊ずつですね。千円です」
お金と本を交換する。
「ありがとうございます!」
男性は颯爽と次の目的地へ向かって去って行った。
開始二十分もしないうちに売れてしまった。ろくに宣伝もしていないのに。
予想外のことにしばらく呆然としていたが、気を取り直して人間観察に戻った。
**
「よう、ドナ君! 新刊ひとつ」
午後。大手サークルに完売が出始め、人々が弱小サークルの方にも流れ込んできて賑やかになった頃に時子さんがうちのサークルにやって来た。名前に似合わず長身の男性なので遠くからでもわかった。
「時子さん間に合いましたね。最後の一冊ですよ」
「おおラッキー。てかお前、いつ来てもどうせ余ってるって言ってたじゃん。完売かよ。おめでとうな!」
「ありがとうございます。ちょっと予想外でした」
「やっぱあれだろ。バズったからじゃね?」
「やっぱそれですかね……」
どうせ閑古鳥だろうという予想に反してポツポツとお客がやってきて、正午までに冬コミで余っていて持ち込んだ既刊やアクリルキーホルダーは売り切れ、先ほどマイクロファイバータオルも無くなり、そして新刊も時子さんで完売してしまった。持ち込み数量自体が少量なので飛ぶように売れたとは言えないが、完売は完売だ。これで今日はもう頒布できるものがない。
予想より捌けた原因として考えられるのはやっぱり六月にアクキーがバズってたことしか思い当たらない。俺はSNSの力を舐めていたらしい。
「時子さんは自転車島回ってきたんですか?」
「おう。買い漁ってからこっちに来たとこだ。ゼロの姐御も生き生きしてたな」
「すごいパッションですよねぇ」
「お前も今日はちょっと溌剌としてるじゃん。いいことあったか? あ、完売したもんな」
「そう見えますか? でも完売したからって別に……」
「見える見える。あ、もしかして後輩ちゃん連れてきたとか。誰だっけ……そうだ飯山ちゃん。来てる?」
無駄に鋭いなこの人。
「来てますけど……でも彼女は別件ですよ。家族がやってるサークルの手伝いだそうです」
「でももう会ったんだろ。いいなあ健気な後輩女子。羨ましい」
会ったと決めつけられてるけど事実なので何も言えん。
「時子さんはいい人いないんですか。高身長だし顔も悪くないし走れるし、稼いでそうなのに」
あれだけ全国行脚して旅費もすごいかかってそうなのに、機材は最新だし普段の食事もわりと良いものを食ってる写真が上がってくる。典型的な独身貴族だ。普通に良物件に思えるのに。
「俺が? 超非モテだぞ。顔なんて褒められたのだって今が初めてだぜ」
俺からして見れば陽キャっぽい人なのになぁ。
「俺のことはいいんだよ。自転車が恋人だし、甲斐性もねえし。身の丈にあった生き方をするわ」
セリフは謙虚だが、自転車での遊びっぷりを考えるとわりと贅沢な発言である。やっぱ稼いでるだろこの人。
「身の丈に合った生き方かぁ」
「ん、若者が真に受けんなよ。ドナ君はまだ身の丈なんて知る必要ないからな。結局のところ勝手に収まるところに収まるんだよ、人生ってやつは。まあドナ君はもっと身の丈が欲しいだろうけど」
「その無駄に高い身長分けてくださいよ」
「そいつは無理な相談だな」
呵々と笑う時子さんに、俺は恨みがましい視線を送るのだった。




