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第33話 夏コミ

~大河view~


 ゆりかもめを降りると、そこは異世界だった。


「夏だな」


「ああ、夏だ」


 尋常じゃない熱気を浴びて、俺と大洋は同じ感想を抱いた。

 今はお盆休みの真っただ中。余暇を過ごす人々が多い中でも、現在全国屈指の人口密度を叩き出しているであろう場所に俺たちはやってきた。


 今日はここ有明で、一年に二度のオタクの祭典・世界最大規模の同人誌即売会が催されている。戦場とも形容されるこのイベント。東京ビッグサイト駅は参加者と思われる戦士でごった返しており、一般参加者は機動力重視の身なりで、サークル参加者はポスターを収めた製図入れの筒を槍のように背に担ぎ、コスプレ参加者は自慢の(ドレス)を格納したキャリーケースを引いて、各々が軍靴(ぐんか)を鳴らして目指す場所へ進んでいる。


 改札を抜けて、東西入場待機列やサークル参加者入場を誘導する看板を横目に見てペデストリアンデッキを歩く。今日も空は晴れ渡っていて暑い。関東地方は所々雨雲があるようだが、会場周辺は雲一つない快晴だ。いわゆるコミケ結界というやつだろう。死人が出なければいいが。

 入場に備えてサークルチケットを取り出す。


「これに慣れちゃうととてもあれには並べなくなるよな」


「だな……」


 遠くを見ると、道を埋め尽くす群衆が陽炎(かげろう)の先まで控えている。まだ列固定前の時間なので雑然としてるが、もうしばらくしたら訓練された兵隊のように隊列を形成するであろう。コミケ名物入場待機列だ。


 一般参加で入場を待つ彼ら彼女らを差し置いて、我らサークル参加の特権階級(チケット組)は先に入場を許される。頑張って本を作ったご褒美のようなものだ。


 広いエントランスホールを抜けて、東西連絡通路……通称ゴキブリホイホイを通って東ホールへ至る。屋内に入ってしまえば暑さもまあまあ和らぎ不快指数は下がる。まあ、開場後は人で埋め尽くされて元の不快指数に戻るのだが。


 ホール内は机が整然と並び、既に入場しているサークル参加の人々がせわしなく設営作業をしている。俺たちは二人とも慣れた足取りで場内を進み、今回配置されたスペースへ到着した。机の上には二脚のパイプ椅子と何枚ものチラシが置かれ、机の下には小さな段ボールがひとつ置かれていた。


 机上のものをどけ、さっそく段ボールを開封する。中身は大切な新刊だ。俺の努力の結晶に今ようやく対面した。


「小さい箱だな。何部刷った?」


「三十部」


「少なっ! いいのかよそんなで。赤字になるぞ」


「赤字は既定路線だから。仮に完売しても申し込み料すら全然埋め合わせられないぐらい一冊の利益が少ないし、そんなんだったら少部数にして在庫を残さないほうが全然マシ」


「一冊当たりの利益いくらだよ。しかもこれフルカラー印刷じゃん。五百円でいいのか?」


「まあ千円なら採算取れるかもしれんが、俺だったらその二十ページ程度のペラペラな絵本に千円は出せない。自分が買いたいと思えない値段にはできない」


「でも六百円とか七百円とかにしとけばいいじゃん」


「それだと会計が面倒だろ」


「そういうもんかね……」


「そういうもんだよ」


 今日はお祭り(カーニバル)なんだ。現金なんて引換券にすぎん。スマートに決済することが重要だ。つまらない商魂なんて東京湾に捨てていけ。


「あの双子はもう来てるのかな。聞いてみたか?」


 花音さんも九音さんのサークルを手伝うということで『九才溝』も双子揃っての参加である。


「聞いてはいないけど、もう来てるぞ」


「なんでわかるんだ?」


 グーグルマップで見た……とは言えない気がする。誤魔化すか。


「早めに入るって言ってた覚えがある」


「そうか」


「さっさと設営しちゃおう」


「そうだな」


 サークル設営。横幅九十センチメートルの机の上に新刊などを陳列するだけだが、サークル側は見栄えをよくするために創意工夫を凝らす。その方法は十人十色だ。シンプルに並べるだけだったり、背後にポスタースタンドを立てて作品をアピールしたり、机上を立体的に飾り付けてもはやひとつの作品のような様相を呈していたりするサークルもある。


 うちのサークルはというと特にこだわりは無くて、無地のテーブルクロスを敷き、百均で買ったブックスタンドに新刊を立て、必要なことだけ書いた小さいホワイトボードを掲げるだけだ。


「あと、これもあるんだった」


 ハンドキャリーしてきた新作のマイクロファイバータオルも机の上に置く。これで設営完了だ。


「あとは見本誌提出か」


「俺が出してこようか?」


「ん。じゃあ頼んだ」


 見本誌というものはイベントの準備会に提出する制作物のことだ。言わば検閲で、ここで不適切な内容の制作物は発禁処置が取られる。イベントの秩序を維持するための大切なものだ。俺の本は全年齢の内容なので発禁になる心配は特にない。

 提出用の封筒に新刊を一冊収め、ついでにトイレにも寄ってくるわと言って大洋は準備会のブースへ歩いて行った。


 ひとりサークルスペースで手持ち無沙汰にしていると、隣のサークルさんもやってきて設営を始めた。リアルでもオンラインでも面識のない男性だ。設営が落ち着いた頃合いを見計らって声をかける。


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」


 相手もよろしくお願いしますと応え、お互いの新刊を交換する。新刊の交換は同人作家の挨拶のようなものだ。尊い文化だと思う。


「すごい綺麗なイラストですね……もしかして有名な方だったりしますか?」


 新刊を受け取ったお隣さんが驚いている。


「いえ、全然ですよ。今日も完売できたらいいなぁ程度です」


「この絵でそれって自信失くすなぁ。あはは。完売したらいいですね、お互い」


「はい、楽しみましょう」


 そんな会話をしていると、役目を終えた大洋が戻ってきた。


「大洋、戻ってきて早々悪いんだけど留守を頼めるか? 挨拶回り行きたい」


「おー。行って来い」


 大洋に留守を任せ、俺は新刊を何冊か手に持って別のホールへ赴いた。


 向かった先は『鉄道・旅行・メカミリ』ジャンルが集まるエリアの一角だ。ここ一帯は自動車レース写真のポスターを掲げていたり、みどりの窓口のような凝ったスペース設営がされていたり、廃墟写真集が陳列されていたりと、華やかな美少女の見本市のようだった『創作』ジャンルのエリアとはまるで異なる雰囲気に包まれている。


 そんな中に『自転車島』と呼ばれる自転車系のサークルが軒を連ねており、知り合いのサークルがいくつかあった。そんなわけで、ここで挨拶回りをしていく。


 普段はオンラインでしか話さない人たちばかりなので顔が思い出せなかったり、そもそも顔は知らない人もいたが、こんなこともあろうかと用意していた名札を見せてお互いを認識し合った。オフ会的な楽しみがあるのがコミケの良いところだ。


「おう! ドナ君おはよう!」


 威勢よく声をかけてきたのはサークル『ALLZERO(オールゼロ)』の代表で〈ゼロ〉という女性だ。ツイッターで知り合った自転車仲間でお互い顔も知っている。女性ながら俺と同じくらいの身長で、ブルベも同人活動もガンガンこなす物凄くエネルギッシュな人だ。ちなみに既婚者である。というか自転車で知り合った女性はだいたい既婚者だ。自転車女子はモテるのだろうか。


「どうもゼロ(ねえ)さん。忙しそうですね。出直しましょうか?」


 ゼロさんは姐御(あねご)気質なので、自転車の仲間内ではみんな彼女をゼロ姐さんとか姐御などと呼んでいる。彼女はサークル設営の真っ最中のようだった。お誕生日席のスペースに溢れんばかりの新刊や既刊をセンスよく並べている。このあたりの美観は女性らしいと思う。自転車の走りっぷりは女性離れしてるのに。


「いいや構わないぞ。今日はよろしくな。ほら、うちの新刊だ」


「ありがとうございます!」


 新刊をありがたく頂戴する。相変わらずハイクオリティーな同人誌だ。彼女は自転車アカウントでは大っぴらにはしていないがプロの漫画家であり、そのスキルを生かして自転車での体験談を漫画にした同人誌を制作している。


「今回も分厚いですね……」


「おう! 百ページ描いたからな!」


 素直にすげえ。


「あ、これうちの新刊です」


「サンキューな。おー! 今回はちゃんとしてんじゃん。冬コミんときのはペラっぺらの取ってつけたような本だったのに」


「まあ今回は真面目に描こうと思いまして」


 花音さんに最高のシオンを描くなんて格好つけてしまった手前、半端なものは作れなくなってしまったのだ。身から出た錆か。


「ドナ君って滅多に絵を見せてくれないけどマジで上手いなぁ。プロとしてちょっと悔しいぞ」


「本職の人に褒められるのは嬉しいですけど、ゼロ姐さんには全然及びませんよ。漫画とかコマ割り考えるところで(つまづ)きます」


 昔一度だけ漫画本に挑戦したことがあったが、コマ割りとか吹き出しの配置とか起承転結とか、思った以上に難しくて大苦戦した。難産だったものの本は出せたが、それ以来漫画はおまけ程度の四コマしか描いておらず、同人誌は絵本形式になっている。


「その口ぶりだと昔描いたことあるみたいだな」


「…………」


「まあいいけどよ。ドナ君は『軽薄重工』行ったか? あそこの新作良さそうだな」


「さっき挨拶してきました。新作も貰っちゃいましたよ。かなり使えそうですねこれ」


 サークル『軽薄重工』は自転車ライフで使える便利な小物を3Dプリンタ等で作って頒布しているサークルだ。市場ではサードパーティーでも作っていないアイデア製品を開発していて、一部愛好家からの支持は厚い。コミケにはこんなサークルまであるのだ。


「あたしも設営終わったら挨拶行くかな」


「そうれがいいと思います。あ、設営の邪魔しちゃってましたね。俺はそろそろ戻りますのでこれで」


「おう! 今日は楽しもうな!」


 ゼロ姐さんのニヒルな笑みに見送られて、俺は自分のサークルへと引き返した。

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