第25話 マーフィーの法則
~九音view~
七月に入り、生徒会選挙の活動期間に入った。生徒会選挙と言っても、各役職ひとりずつの立候補だったので信任投票という形式になり、特にこれといった活動はしない。やることといえば、せいぜいちょっと畏まった所信表明の文章を一筆したためるぐらいだ。
来週には生徒総会が開かれ、投票を経て正式に生徒会役員に就任となるだろう。
それはさておき、私には選挙活動なんかよりも重要なタスクを抱えている。もちろん夏コミの原稿である。
早割入稿を目指す私にとって、七月に入ったことはすなわち締め切りのカウントダウンに突入したようなものだ。正直、学業なんて二の次だと思う。
進捗は全て予定通りとはいかないものの概ね順調であり、もう脱稿は目前だった。
今日も放課後は一直線に自宅へ向かった。一分一秒を惜しむ私にとって放課後はタイムアタックだ。一時間先に授業が終わって帰宅してしまった花音が嫉妬するほど羨ましい。
電車を降りて駅から駆け足で帰宅。花音はいない。きっと今日も河川敷へ行ったのだろう。
さあて今日も原稿よ原稿!
パソコンの電源スイッチを押す。
あれ?
手ごたえがない。画面は暗いままだし、動作音もしない。
電源スイッチを連打するも、うんともすんとも言わない。
……待つのよ私。一旦落ち着こう。
キッチンへ移動しグラスを用意。氷を大量に突っ込んでキンキンに冷やしたアイスコーヒーを、一気に飲む。心が……いや、お腹がクールダウンしていく。少し冷静になった。
よし、オーケー、なんだかわからないけど大丈夫よきっと。
再びパソコンと向かい合う。電源プラグがコンセントにちゃんと差さっていることは確認した。精神を統一し、指の中央を寸分違わず電源スイッチの芯へ合わせる。長く息を吐きながら手ブレを抑え、いつもより力を込めてスイッチを……押す!
……なにも起こらない。
スイッチを押す。スイッチを押す。スイッチを押す。
ポチポチポチポチポチポチポチポチポチ……。
「F***!!!」
冷静さを欠いてFワードを叫んでしまった。いや、たかだかスイッチを押す動作の前に無駄な儀式をしている時点で冷静ではなかったが、こんな現実は到底受け入れられない!
「どうしてこのタイミングでなの!?」
神は私を見捨てたか!
え、どうしよう!? どうすればいいの!?
こんなときに故障なんて最悪すぎる。どんな手を使っても蘇生させないといけない。
誰かパソコンに詳しい人……お父さんに電話してみようか。いや、仕事中にこんな困った相談をするのは気が引ける。とはいえ、私の友人にパソコン強い人は思い当たらない。ネットの絵師仲間には……みんな原稿が修羅場か。最終手段にしよう。
ああ……どうしてこんなことに。泣きたい。
悩んだ挙句、結局私は花音に電話をかけていた。
『九音、なにか用事?』
「ごめん花音! 助けて!」
事のあらましを説明すると、花音は事態の重さを察したのか真剣に話を聞いてくれた。
『ちょっと待ってて、あとで折り返すから』
電話が切れる。待っていれば何か進展するのだろうか。何もできない時間がじれったい。
体感三十分の三分間が経過してから、花音の折り返しがかかってきた。
『九音の連絡先、他人に教えてもいい?』
「それってパソコン詳しい人? 花音の知り合い?」
『私の知り合いだけど、九音も会ったことある人だから大丈夫だよ』
「もうこの状況を解決してくれるなら誰でもいいから、なんでもやっちゃって!」
じゃあもうしばらく待ってねと言われて花音からの通話が切れた。
再び待たされる。
というか誰に連絡先を教えているのだろう。聞き出しておかなかったのをいまさら後悔した。
二分が経過した。電話は鳴らない。
五分が経過した。電話は鳴らない。
十分が経過した。いつ電話はかかってくるのか。
イライラする。電話が来ないことにも、何もできない自分にも苛立ちを覚える。
二杯目のアイスコーヒーを煽る。苦い。心なしかいつもより苦い。
苦みのせいで、昂った心が萎んでいく。
もしこのままパソコンが壊れたまま直らなかったらどうなるのか。
クラウドにデータをバックアップしたのはいつだったっけ。ここ数日は余裕が無くて保存した記憶がない。
内部のSSDを取り外して、借りてくるなりした別のパソコンに移せばなんとなかるのかな。でもやったことがないし、やり方もよく知らない。そもそもSSDが壊れていたら元も子もない。
いや、ここでSSDの破損は想像したくない。さすがに大丈夫。大丈夫なはず。データさえあれば私はまだ戦えるわ。
待って。データがあっても環境が必要じゃないか。私好みにパーソナライズしたペイントソフトの設定を再現しなきゃいけない。そんなもの完璧に覚えているはずなんかない。
絶望的な気持ちになった。
お腹が痛い。
こんな日に限って生理まで重なっている。もう泣きたい。
心細い。
助けて。誰か助けて。
知らない番号からの着信が来たのは、落涙寸前のタイミングだった。
藁にも縋る思いで電話を繋ぐ。
「もしもし……」
『もしもし、九音君で合ってる? 俺は秋谷。秋谷大洋だ。覚えてる?』
秋谷大洋。あの先輩の双子の弟だ。以前秋谷家に行ったときに少しだけ顔を合わせたけど、会話は少ししかしなかった。
「はい、覚えてます。大洋さん、花音から聞いたんですか?」
『花音君からと言うか、それを又聞きして大河から聞いたってところだな。パソコンがクラッシュして大変だって』
「大洋さん! 私、このままじゃもうダメなんです! 助けて! 助けてください!」
『九音君、落ち着いて。俺に任せて。まずは症状を教えてほしい』
「はい……」
私はパソコンの状況を説明した。大洋さんの質問を聞いて、その場で確認しながら答えていく。
『そのパソコンはどこで買ったもの?』
「ええっと……パソコンショップで使用用途と予算を伝えて組んでもらったもので……」
『なるほど。それなら電源装置を交換すれば直るかも……』
「直りますかっ!?」
『やってみなきゃわからないけど。ちょっと今から言うところの写真撮って送ってもらえる?』
「えっと……写真はどう送れば……」
『この番号宛てにSMSで送ればいいから』
「あ、なるほどSMS……」
言われたとおりに写真を撮って送る。
『うん、よし。九音君、近所にパソコンショップある? いまから言うパーツ買いに行ける?』
「ええと……一番近そうなショップは、ちょっといまから調べないとわかんないです……」
思いつく範囲で一番近いのは池袋だが、今から行くのはちょっと辛い。でも原稿のためにはどこへなりとも行くしかない。
『ねえ、もしかして体調も悪かったりする?』
「…………」
図星だ。さっきからずっとお腹が痛い。ストレスと生理痛で歩きたくないぐらい気分が悪い。
『わかった。パーツは俺が買ってくるし直しに行くから、お家の住所を教えて』
そんな、悪いですよ!
なんて言える気力も今はなく。
「はい。住所は――」
その言葉に一方的に甘えてしまった。
【筆者注】
この章では九音の物語を進めていきます。




