第20話 現在地共有
~花音view~
私たちは神奈川県伊勢原市にあるコインパーキングにクルマを停め、ツーリングの準備を始めた。クルマの前には私の原付と先輩のロードバイクが並んでいる。クルマから原付を降ろした先輩は、今はクルマに戻って靴を履き替えている。
「靴も専用のものなんですね」
「ああこれ。ビンディングシューズって言って、靴とペダルとを固定できるようになるんだよ。固定の方法はスキーのビンディングと同じ……って言って伝わる?」
「はい。スキーなら何回かやったことありますので」
「そっか。まあそういう代物なんだけど、歩きづらいのが玉にキズなんだよね」
言いながら歩きだすと、カチカチとした硬い音が足元から鳴った。確かにこれは歩きづらそうだ。
専用のシューズ、サイクルウエア、指ぬきのグローブ、サイングラスとヘルメットで完全武装した先輩は、いかにもスポーツ選手といった出で立ちに見えた。
「コースはちゃんとグーグルマップに入ってるよね?」
「はい。言われたとおりにやったら表示されました」
先日、先輩からコースデータだと言って送られてきたデータファイルを先輩の指示に従って操作したら、スマホの地図アプリにコースが表示されるようになった。これが今日走る予定のコースだった。
「今からこのコースを走るけど、基本的に俺が先行して、花音さんは後ろから追いかける形で。一応時速三十キロは超えないように気をつけるし、離れすぎないように気を配るけど、信号とか他のクルマとかで分断されても焦って追いかけないで、マイペースで来るように。慌てるのが一番危険だから安全第一で」
「わかりました。……先輩、スピードってわかるんですか?」
「わかるよ。このサイクルコンピュータっていう計器に表示されるから」
よく見れば、ロードバイクのハンドルに小さなスマホのような機械が取り付けられていた。これの液晶画面にスピードなどが表示されるらしい。
「へー。こんな便利なのがあるんですねぇ」
「GPSと繋いで地図表示もできるぞ」
「おおー」
画面をスワイプすると地図が表示された。他にもいろいろ機能がありそうだ。
「話を戻すよ。もしはぐれたときは見えなくなったら停まって待つから。逆に俺の方が遅れても気にせず進んで。停めて待つときは安全で停めやすいところを探して、そこで待つように。あとはそうだな……ちょっと待って」
なにやらスマホを操作している。すると、私のスマホにメッセージが受信された。
「メッセージが届いたらリンクを開いて」
リンクをタップすると、地図アプリが起動した。
「ちょっと見せて……うん、マップ開いたね。そしたらその『許可』ってやつを押して」
「っ!?」
いつの間にかすぐ横に先輩の顔があってびっくりした。先輩、顔、近っ……!
「ああ、ええと……許可ですね…! はい押しました!」
「オッケー。そしたら次は……」
先輩に言われるままに操作していく。すると、地図上にSDキャラなシオンちゃんのアイコンが現れた。
「よし。これでリアルタイムでお互いの現在地が見られるようになったから、もしはぐれてもこれを見れば大丈夫」
このシオンちゃんは先輩らしい。
「グーグルマップにこんな機能があったんですね。知りませんでした」
「俺はよく使ってるから身近に感じてるけど、知らない人多いよね」
「どんなときに使ってるんですか?」
「こういうときだったり待ち合わせだったり……あと家族とは常時位置共有してる」
「家族って全員……?」
「全員というか、全員俺の位置は見れるけど、俺は見られなくて一方的というか……」
「え……なんでそんな見守りアプリを入れさせられた小学生みたいになってるんですか……」
「いや、これには事情があって。俺ってよく自転車で遠くに行ってるじゃん。百キロぐらいならまだしも、二百や三百にもなると、さすがのうちの両親も未成年者をひとりでほっつき歩かせるのは反対だってなって、話し合った結果俺の現在地を家族全員に常時共有するってことで譲歩を引き出したんだよ」
「まあ、それは確かに一理ありますね」
「その条件も十八歳になるまでってことだったんだけどさ、実際使ってみるとなかなか便利で、俺から連絡しなくても帰宅時間を読んで迎えてくれたりするから、なんとなく共有したまま放置してる」
そういえば先週泉美が先輩の帰宅時間を予想していたけれど、あれは先輩の現在地を確認していたのか。
「あとは、そうだな……。右左折と停止のハンドサインはわかるよね?」
「はい。教本に書いてあったやつですよね。覚えています」
教本の内容を思い出しながら、手で真似てみる。
「うん、合ってる。これに加えていくつか覚えておいてもらうから聞いて」
そう言って、路上に落下物や異常があったときのサインとか徐行のサイン等を教えてもらった。これらはローカルルール的なもので、公式ではないらしい。
「とりあえずチュートリアルは以上かな。ヤビツ峠の登り口は少し先だから、まずはそこまで走るよ」
「はい」
私の応答を受け取った先輩は、周囲を確認して滑らかに車道へ入っていった。
「じゃあついておいで」
先輩の声に促され、私もゆっくりとアクセルを回した。
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しばらく国道を進んでから、名古木という交差点を右折したところにあるコンビニで先輩は足を止めた。
「ここから少し先にある交差点がスタート地点で、その信号が青になったら頂上まで全力で走るから。頂上はいかにもって感じになってるからわかりやすいと思う。この先しばらくコンビニとか無いけど、休憩していく?」
「いえ、大丈夫です。行きましょう」
「了解。……はー、ヤビツのアタックは久しぶりだなぁ」
先輩は再びサドルに跨り走り出す。パチン、という音が鳴る。これは靴とペダルを固定したときの作動音だと先ほど聞いた。私も後を追いかける。
少し進み、目の前で信号が赤に変わった交差点でストップした。
「ここがスタート」
それだけ短く告げられる。
先輩は前だけを見つめて微動だにしない。
周りには誰もいなかったので、原付を少し走らせて先輩の横に並び、顔を覗き込む。
こちらには気付いていないらしい。ピリッとした、微かな緊張感を漂わせている。
「先輩……」
「……ん、どうした?」
信号機を射抜くように見ていた瞳が、一瞬で元に戻って私の方へ向き直る。
「いえ、その……頑張ってください!」
先輩は不意を突かれたような表情を浮かべ、そして小さく笑った。
「幻滅されない程度に頑張るよ」
言い終わるや否や、先輩が私の視界から消え去った。顔を前に向けると、青信号に変わった交差点を鋭く加速していく先輩の姿が見え、私は慌ててその背中を追った。




