第19話 オネゲル/パシフィック231
~花音view~
梅雨時とあって平日は雨続きだったけれど、祈りが通じたのか、気持ちの良い行楽日和で土曜日を迎えた。
休日だけれども平日よりちょっとだけ早起きして、少し身支度に時間をかけて、しっかり朝ごはんを食べてから家を出た。
原付を飛ばして秋谷さんちが見えるところまで来ると、玄関の前には黒い乗用車が停まっているのが見えた。後ろに荷台があるタイプ……たしかピックアップトラックってやつだっけ。もしかしてこれが先輩の家のクルマなのかな?
すぐそばまで近づいて原付のエンジンを止めると、クルマの中から先輩と大貴さんが降りてきた。やっぱり秋谷家のクルマだったようだ。近くで見ると初心者マークが付いているのがわかる。
「おはよう。時間通りだね」
「おはようございます先輩、大貴さん。今日はよろしくお願いします」
朝七時ちょうど。どうやらピタリ賞で到着したみたい。ちょっと気分が良くなる。
今日の先輩の装いは、ぴっちりしたサイクリングウエアを身に纏っていて、その上からパーカーを羽織っているスタイルだ。
「さっそくだけどその原付積んじゃうから、預かってもいい?」
「はい」
大貴さんが私の原付をクルマへ運んでいくのを見届けていると、先輩が近づいてくる。
「三つ編みにしてるのは初めて見るね」
「今日はほとんどヘルメットを被りっぱなしになりそうですから、まとめてきました」
「うん、よく似合ってる」
「えへへ、ありがとうございます。シオンちゃんにも合うんじゃないですか? 今度描いてみてくださいよ」
一本に束ねて肩にかかっている編まれた髪を片手で持って揺らして見せる。すると、先輩は手を伸ばしてきて私のおさげに触れた。ちょっと驚いたけど、形を覚えようとしているのか優しく髪を撫でる手と、好奇心を湛えた瞳を見て逆に冷静になった。
「うーん……うん。悪くないかも。たぶん描くよ」
「楽しみにしてますね」
おさげにしてるシオンちゃん。間違いなくかわいい。先輩が描くんだから間違いない。わぁぁ。楽しみ。
「朝ごはんは食べてきた?」
「あ、はい。ちゃんと食べました」
おさげシオンちゃんの脳内合成でトリップしかけてた。危なかった。
「ん。じゃあ高速道路の途中で食事休憩は必要ないかな」
「先輩のおうちのクルマ、こんな大きいのなんですね」
「父さんの趣味でね。キャンプとかやる人だから。正直、初心者ドライバーには難儀なサイズだけどね」
「おーい大河。帰りは大河が積み込みやるんだから、ラッシングのやりかた覚えるために手伝いに来なー」
「あー。了解」
「私もお手伝いします」
「いやいや、花音さんはゲストなんだから任せて」
「そんな、悪いです。私のバイクですから」
「花音さん、気持ちは有難いけど、今日ぐらいはうちの大河に男らしいことをさせてあげてくれるかい?」
「父さん、余計なこと言わないでくれない?」
「父さんは助け船を出したつもりなんだけどね」
「有難迷惑だから」
「素直じゃないねぇ」
割り込みづらい口喧嘩をしながらも二人は手を止めず、私が近づく前にテキパキと積み込みを終えてしまった。
「よし。じゃあ大河、気をつけて行ってくるんだよ。ゲストに迷惑の無いようにね」
「わかってるって。花音さん、乗って」
「あああ、はい。大貴さん、ありがとうございます」
大貴さんに一礼してから助手席に乗り込ませてもらう。
「準備はいい? 出発するよ」
「はい。大丈夫です」
シートベルトよし、手荷物よし。準備オッケー。
私の答えを確認した先輩は、ゆっくりとクルマを発進させる。
小さく手を振る大貴さんに見送られながら、私たち二人は神奈川県を目指して走り出した。
**
出発して間もなく、高島平インターチェンジから首都高に乗って順調に進んでいた。
「このクルマ、普通のよりなんだか低いエンジン音がしますね」
「ふーん。音で気づくものなんだ。このハイラックスはディーゼルエンジンだからだろうね」
「ディーゼルは音が低いんですか」
「回転数がガソリンエンジンよりも低いから、音も低くなるんだよ」
「なるほど」
「クルマは詳しいほう?」
「お恥ずかしながら、全然」
クルマはテレビCMで流れてくるようなものですらうろ覚えだ。
「まあ、女の子ってそんなもんだよね。泉美もさっぱりだし」
「先輩は詳しいですか?」
そういえば〈美青ドナ〉のピクシブには、古めかしいクルマの絵もアップされていた気がする。
「んー。まあ、そこそこかな……」
「例えば、目の前のクルマの車種とかはわかりますか?」
「プロボックス」
「即答ですか。じゃああれは?」
「パンダ」
「パンダ?」
「フィアットのパンダ。イタリアメーカーのクルマだね」
上品な赤い色のかわいいクルマは名前もかわいかった。
「やっぱり詳しいですよね」
「車種ぐらいならよほどマイナーじゃなければわかるし、大したことないよ」
「大したことあるのでは?」
「いやいや、車種当てぐらいじゃオタクも名乗れないって。型式とか年式とか、そういうとこまで突っ込んでいってやっとオタクの入口だよ」
自動車オタクの世界もだいぶ深いらしい。
「このクルマ、カーオーディオがブルートゥースで再生できるから、好きな音楽かけていいよ」
「えっ。そんな、先輩のお好きな曲で構わないですよ」
「俺は花音さんの選曲を聴いてみたいんだけどな」
「私の選曲ですか……リクエストはありますか?」
「お任せコースで」
お任せコース、お任せコース……うーん……。
「じゃあ……本当に私本位の選曲にしちゃいますけど、いいですね?」
「いいね。どんな曲だろう。楽しみ」
私はスマホをオーディオとペアリングし、ある管弦楽曲を再生した。
車内に低音が響き、独特なリズムを刻む曲が始まった。
「ふむ……初めて聞く曲だな……」
「まあ、マイナーな曲ですからね。先輩、クラシックは聴くほうみたいですけど、さすがにこれはご存知ありませんでしたか」
「俺は有名なやつを聞きかじってる程度だからなぁ。好きだけど深くは知らないって感じで。それで、これはなんて曲?」
「オネゲルの『パシフィック231』です」
「リズムが加速していって面白い曲……なんだか列車に乗ってるみたいだ」
「御明察です。この曲は蒸気機関車がモチーフなんですよ」
『パシフィック231』は、一九二三年にアルトゥール・オネゲルによって作曲された管弦楽曲だ。クラシック曲としては新しく、蒸気機関車が元気に走り回っていた時代のものである。
「オネゲルは蒸気機関車好きで有名で、そんな彼を象徴するような作品です。重量感のある汽車がゆっくりと発進し、だんだんと加速して最高速度になり、減速して停車する。そんな曲です。今日みたいな、ちょっとしたお出かけに合うかなと思いまして」
「世の中にはこんな曲があったのか……面白かった」
曲が終わると、先輩は感心したような声で感想を漏らした。
「この曲には有名なアレンジ曲もあるので、せっかくだから聴いてみますか?」
「もちろん。どういうアレンジ?」
「聴いてのお楽しみです」
ネタバレは避けて曲を再生すると、高らかな汽笛で曲が始まった。
「これは……実録? いや、電子音か」
「はい。これはシンセサイザーでのアレンジです」
管弦楽では出せない蒸気が排気されるような音や金属音、いかにも電子音といった感じのパピプペポ音が響き渡っている。
「ははは。今の音って踏切? ドップラー効果で通過していったよ」
「私もここの演出は好きなんですよね。このシンセサイザーアレンジは日本音楽界の巨匠、冨田勲氏によって編曲されたものです」
「あ、聞いたことある名前だ。確か初音ミクを採用したっていうイーハトーヴ交響曲の作曲者」
「はい。彼は作曲家としても有名ですが、冨田勲と言ったらシンセサイザー演奏家としての知名度が世界屈指のレベルです。彼はアナログシンセサイザーの黎明期、まだシンセサイザーが“変な音を出す機械”ぐらいにしか思われていなかった時代に、ちゃんとした“曲”にして、ベストセラーを輩出したんです」
「ちゃんとした曲にするのが大変だった時代……」
いつの話だろうと思っているようだ。
「だいたい五十年前ですかね。黎明期のアナログシンセサイザーって、音を作るところから始めなければいけなかったので、今の時代から見れば想像を絶する苦労があったようです」
「音を作る?」
「そうですね、例えば……。ボーカロイドもシンセサイザーの一種ですが、ボカロのいわゆる“調教”とは全く別次元のものです。ボカロには声優からサンプリングされた音声ライブラリがあって、それを奏者……ボカロPが音程やビブラートなどを入力することで歌になりますが、アナログシンセサイザーにはそもそも音声ライブラリのようなものがありません。無から波形を作って音色を合成し、さらにそこから和音を作るにはより大規模な電子回路が必要でした。知識もお金も桁違いにかかったので、とても普通の人には手に負えなかったでしょうね」
「それはとんでもないな……」
「今流れている汽笛のような音やラッパみたいな音も、弦楽器みたいな音も全部、ゼロから電子回路の配線やらなにやらで再現したのだと思うと、趣深いですよね」
「もっと聴いてみたいな。他にもある?」
「もちろんですよ! そうですね……やっぱり出世作の『月の光』は外せませんね。次はこれを流しましょう!」
そんな感じで音楽談義に花を咲かせながら、クルマは順調に南下していった。
【筆者注】
パシフィック231、いい曲なのでぜひ聴いてみてください。ようつべに転がってるので。




