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第18話 私をデートに連れてって

~花音view~


「お、花音さんもいたのか。いらっしゃい」


 声が聞こえた方へ顔を向けると、髪がややしっとりした大河先輩がいた。シャワーを浴びた後かな。


「あ、お邪魔してます」


 大河先輩はホットミルクを運ぶ優美さんと入れ違いに台所へ入っていく。見覚えのあるプラスチック容器に牛乳と、粉末状のなにかを入れてシェイクしている。なるほど、あれはプロテインか。


「先輩、ツイッターで『試走』って言ってましたけど、何してたんですか?」


「ん、ああ。来週ブルベってイベントがあって、それの試走をしてた。秩父の方まで行って帰ってくる二百キロ」


「え? 二百……?」


 聞き間違い?


「お、久々に見る反応だ」


 大洋さんが愉快そうに言う。


「二百キロって、二百キロメートルですか? 自転車で?」


「もちろん」


 そう答える先輩は涼しい顔でミルクレープを食べている。他の秋谷家一同も微笑ましく私を見ている。どうやらこの一家にとって非常識な距離ではないらしい。


「そんなに走って、疲れてないんですか?」


「全然。二百程度で疲れてたらブルベじゃ話にならないよ」


「その……ブルベってなんですか?」


「簡単に言うと、自転車のロングライドイベント。決められた長距離コースを走って制限時間内に完走を目指すんだ。一番短いのが二百キロで、他に三百とか四百とか、六百とか千キロもある」


「二百キロが一番短いんですか……」


 千キロって何日がかりなんだろう。


「じゃあ来週はそのレースに出るんですね」


「いや。俺は出ない。というか出られない」


「出られない?」


「年齢制限があるんだ。二十歳以上じゃないとエントリーできない。あとブルベはレースじゃないよ」


「競走するんじゃないんですか?」


「『ブルベ』っていうのはフランス発祥のイベントでね。フランス語で『認定』って意味なんだけど、フランスに本部がある団体が『あなたはこの長距離を走り切りました』っていうお墨付きを与えるのが趣旨のものだったんだ。だから順位は付かないし、一番にゴールしても賞品も表彰台も無い。時間内に完走した全員が等しく勝者ってことになるかな」


「へええ……」


「ちなみに百年近い歴史がある」


「百年!?」


「今じゃGPSで軌跡を記録したログデータとか、走った距離の証明方法はいくらでもあるけど、百年前はそんなもの無かっただろうからね。何百キロ走ったなんてことを証明してくれる認定機関が生まれたんだろうな」


 百年前の自転車ってどんなのだろう。大正時代だよね? 道だってきっとアスファルトじゃないと思うし、そんな時代に何百キロも自転車で走ろうとしていた人達がいるだなんて信じられない。


「なんか、いろいろ衝撃です」


「まあブルベとか一般人からしてみれば異常行動だからなぁ」


 異常行動って……。


「あれ? 先輩はまだエントリーできないんですよね。なのになんで試走なんてやってるんですか?」


「主催者に頼まれたんだ。ブルベって開催の少し前に関係者がコースを試走して、危険な箇所とか道路工事で通行止めになってないかとか、そういうのを調べるんだけど、それを任されて。認定関係なければ試走は誰がやってもいいから」


「その主催者さんとはお知り合いですか」


「もちろん。俺の師匠だ」


「師匠! ということはその方も速いんですね」


「いや、師匠はそこまで速くは無いよ。あ、でもこの前の二百キロは十二時間ちょいぐらいで完走してたし、年齢的には速いかも……」


「年齢的……。その方、おいくつなんですか?」


「何歳だったかなぁ。たしか六十の半ばぐらいいってたはず……」


「六十!?」


 高齢者で二百キロも自転車で走るって信じられないんだけど……。


「信じられないって顔してるけど、ロングライドの世界だと高齢者もガンガン走ってるよ」


 世の中にはまだまだ知らない世界があるんだなぁ……。


「そのお師匠さんの二百キロが十二時間ちょっとですよね。今日先輩が二百キロを走り始めたのって今朝で、今は十五時半だから……」


「六時出走で、完走タイムは八時間半だったな」


 八時間半で二百キロも走れるんだ……。


「なんだか感覚が追いつかないんですけど、八時間半って早いほうですか?」


「グロス平均時速二十四キロだから早いほうかな。もっと田舎の信号の無い道だったらより速く走れただろうけど」


「グロス?」


「ああ、ごめん。用語だからわからないよね。グロス平均っていうのは、スタートからゴールまでの間、停止時間も含めての平均のこと。信号待ちとかコンビニ休憩とか必ず入ってくるから、実際の走行スピードは二十四よりずっと速くて、だいたい三十は超えて走ってる感じ」


「すごい……」


「そんなことないよ。レースじゃないんだし、限界まで追い込んでるわけでもないし」


 謙遜しているが、全くそうとは思わない。原付に乗っている私にとって時速三十キロは想像しやすいスピード感だ。あのスピードを自分の脚で出して、それを八時間以上も続けて、それでも本人は今も平気な顔をしてケーキをつまんでいる。先輩が本気で走ったら、どうなってしまうんだろうか。


「先輩が全力で走っているところ、見てみたいです」


「俺の全力走?」


「大河兄の全力って、あたしも見たことないや。洋兄はある?」


「まあ、通学んときに戯れでスプリント合戦したときぐらいなら。でもレースぐらいガチで本気のは俺も見たことないな。ネットに動画とか上がってないっけ?」


「動画かぁ。そりゃあ、アクションカムでオンボード映像上げてる選手はいるけど、その中から俺を見つけるのは一苦労だぞ。それに映っててもたぶん一瞬だと思う」


「そうですか……」


 動画で観られるならと思ったけど、期待外れらしい。残念。


「ねえねえ、花音って原付乗ってるじゃん。あれなら後ろから追っかければ生で見れるじゃん。今度見せてもらいなよ」


「え?」


「泉美、そうは言うけどあの原付って一種だから時速三十キロ制限だろ。全力で走ったら千切(ちぎ)っちまうって。でもまあ、ヒルクライムなら問題はないだろうけど」


「いいじゃんヒルクライム。連れてってあげなよ」


「泉美お前な、簡単に言うけどこの辺でヒルクライムできるとこなんてどこも遠いぞ。原付で行こうとしたら登り口に着くまでに疲れるって」


「いや、そんなの途中までクルマで行けば解決じゃん。原付ぐらいうちのなら載るでしょ」


「クルマ使うなら使っていいよ。来週はクルマ空いてるし」


「父さんまで……」


 ナチュラルに泉美に加勢した大貴さんを、先輩は驚いたように見る。


「もちろんクルマは貸すだけだから、運転は自分でするんだよ」


「わかってるけどさあ……」


「先輩、クルマの運転できるんですね」


「まあ、春休みに大洋と合宿免許取ったからね」


 そうか。高校生にもなればクルマの運転できる人がいてもおかしくないんだ。

 原付免許を取って少し大人になった気分だったけど、やっぱり自動車免許となるとより大人っぽい。


「いい機会だしヤビツ峠にでも行ってきな。父さんのETCカード使っていいから。燃料も満タンにしておくから、給油しなくていいよ」


「父さん、なんか気前いいね……」


「なんてったって息子の記念すべき初デートなんだ。応援したくもなるさ」


「ぶっ!」


「でっ!?」


 デート……!?


「ちゃ、茶化すなよ父さん! ただツーリングするだけだろ!」


「ごめんごめん。からかいすぎた。花音さんも慌てさせちゃってごめんね。でもどうかな? 手前味噌だけど、大河はこれで甲斐性はあるから、きっと楽しめると思うよ」


「あ、その……はい。先輩が良ければ、行きたい、です……」


 なんだか恥ずかしくなって、しどろもどろになってしまった。


「じゃあ、うん。行こうか……来週、天気が良かったら……」


「あ、ありがとうございます。天気、晴れるといいですね!」


 顔を赤くして答える先輩がご両親にからかわれているのを横目に、私は来週の晴天を祈った。

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