第16話 汽水域
~大河view~
「花音いる?」
「あ、来たね九音」
来訪者は九音さんだった。
「やっぱり先輩もいたんですね」
「そりゃなあ」
「先輩はいつもここにいるんですか?」
「だって居心地良いし」
というより、ここ以外の居心地が悪い。
「コーヒー飲むか?」
「いただこうかしら」
「ちょっと待ってろ」
席を立って紙コップを取り出し、電子ケトルのお湯でインスタントコーヒーを淹れて持って行ってやる。
「はいよ」
「ありがとうございます」
紙コップを受け取った彼女は、小さな口でふーふーと少し冷ましてから、ミルクもシロップも入れずに口をつけた。
「ブラックが好きなの?」
「そうですね。原稿が修羅ってるときとかに飲んでいたら、ブラックに舌が慣らされましたね」
「へえぇ」
「九音はカフェイン中毒気味なんだから、控えなよっていつも言ってるんですけどね」
花音さんがあきれ気味に言う。
「職業病みたいなものよ。先輩だって経験あるんじゃないですか?」
探るような視線。原稿デスマーチ時代があるのだろうという追及か。
「いや俺コーヒーあんま飲まないし」
「しらばっくれるんですか?」
「苦いのは苦手なんだ。マッ缶ぐらい甘いなら飲むけど」
というかカフェインに頼るときはいつもエナドリだ。藪蛇になるから言わないが。
「じゃあ、今飲んでるのは何ですか?」
俺の手元にあるマグカップを見て指摘してくる。
「これ? ホットミルク。もう冷めて人肌だけど」
「えっ! 先輩がさっきから飲んでたのコーヒーじゃなかったんですか!?」
なぜか花音さんがショックを受けている。
「コーヒー苦手だった?」
「いえ、どちらかと言えば好きな方ですが……」
なのになぜか恨めしそうな視線が俺のマグカップに注がれている。これはどういうことだろうか。
「……飲む?」
「次からお願いします」
「ちょっといい牛乳用意しておくよ」
「忘れないでくださいね」
「いつでもおいで」
その答えに花音さんは満足したのかニコっと笑った。とりあえず彼女の機嫌は直ったが、今度は九音さんがジト目で睨みつけてくる。何なのだこの双子は。
「仲がよろしいようで」
「君もホットミルクがご所望で?」
「いえ、私はカフェイン大好きなので」
ブラックコーヒーをぐいっとあおる。男前な後輩だ。
「で、原稿もせず、授業も受けずの先輩は何をやってたんですか?」
「勉強だ」
手元のノートをトントンと叩いて見せる。
「授業サボって勉強って矛盾してませんか?」
「必要な授業なら受ける。不要な授業は受けない。空いた時間は自主勉。真面目に晴耕雨読をやってる。矛盾は無い」
「そういえば先輩って受験生でしたね。受験勉強ですか」
「いや、これは試験勉強」
「試験勉強? 試験はこの前終わったばっかりよね? 模試ですか?」
「違う違う。そんなんじゃない。国家試験」
「国家試験!? 何を受けるんですか? ていうか受験勉強はいいんですか?」
「いいもなにも、俺内定取ってるし。来年就職」
「「……え?」」
さすが双子。きれいにハモった。
「あれ、知らなかった? 泉美から聞いてないのか」
「聞いてませんよ! なんていう会社に入るんですか?」
花音さんのほうが食い気味に聞いてくる。
「聞いたことないと思うけど、アトリエ吉野っていうデザイン事務所」
「デザイン事務所ってことはデザイナーさんですか! へー! 何をデザインするんですか?」
「俺が何を任されるかは知らないけど、会社としてはクルマとか家具とか船とか、鉄道なんかも実績があるとこだよ。新幹線も手掛けてる」
「新幹線!」
こういうとき、一般人にも通りの良い実績のある会社で助かる。
「乗り物系が得意な会社なんですか?」
「乗り物には限んないけどね。工業デザイナー集団だから」
「工業デザイナーって、普通のデザイナーとは違うんですか?」
「ちょっと違うかな。工業製品って自由に形を決められるものじゃなくて、内部の構造だったり求められる力学的要件、適用される法規制を考慮した上でデザインしなきゃいけないから、専門知識がいるんだ。そういった案件を請け負うのが工業デザイナーの仕事。ざっくりした説明だけど」
「へ〜……じゃあその試験勉強もそれがらみですか」
「そ。社長から受けとけって言われてて」
「どんな国家試験ですか?」
「技術士」
「技術士……」
聞いたことないって顔だ。まあ普通の女子高生が知ってるはずがなかろう。
「簡単に言うと、技術者としての能力を証明する資格かな。士業だからかなり権威があって、業界人相手に仕事するときにこれがあれば舐められなくなるらしいよ」
絶賛勉強中だが、かなり難度が高い。大学レベルの知識が必要で、わからないところは父さんや大洋に教えてもらいながら進めている。大洋からテキストを借りたりもするが、高専という学校がいかに理工系で先行しているのかが知れて驚く。
「先輩、もうそこまで進路が定まってるんですね……なんか、大人です」
「まあ高校一年生にとって就職なんてずっと先に思えるのはわかるけど、十八にもなれば将来が見えてるやつの一人や二人出てくるもんだよ。俺自身全然大人の自覚なんて無い。他の生徒よりちょっとだけ長く在校してるだけの若造だよ」
大人の輪の中に入れば俺はぶっちぎりのガキだ。彼ら彼女らは皆それぞれ人生経験豊富で、たくさん責任を背負ってて、仕事や家庭を持ちながら暮らしている。そんな人たちに俺はいつも甘やかされている。
「でもやっぱり、私からしてみれば大人だなって思いますよ」
「若いねぇ」
「急にオッサンくさいわね……」
妹のほうはいちいち失礼だ。
「そろそろ昼休み終わるぞ。戻ったほうがいいんじゃないか」
「あれ、もうこんな時間。戻ろっか、九音。コーヒーごちそうさまでした、先輩」
「そうね。ごちそうさまでした。先輩は戻らないんですか?」
「俺? この後は世界史だし、これは単位取ってあるし将来使うことは無いからサボるぞ」
進路が決まっている俺にとって、授業を受けるかサボるかの基準は将来役立つかどうかだ。そのあたりの取捨選択は社長にシラバスを見せて相談して決めている。
「なるほど。無意味にサボタージュしていたわけじゃなかったんですね」
「その通りだ。お前らは真似すんなよ」
「しないわよそんなこと。では失礼します」
双子が部屋を出て行って、再び静寂が訪れる。
「大人、か……」
学年でただひとりの留年生である俺は、在校生の中では最年長だ。ぴかぴかの一年生や青春を駆け抜ける二年生、受験勉強に明け暮れる三年生を見ていると、なるほど確かに、子供を見るような気持ちになる。
しかしツイッターで知り合った自転車仲間は皆社会人で、若くても二十五歳、上は還暦越えも二人いて、子供扱いはおろか孫のように扱われることもしばしばあるくらいだ。
去年まで学び舎を共にしていた同級生たちは大学などへ散らばって行って、各々キャンパスライフを満喫しているようでほとんど絡みは無くなってしまい、同い年との交流は弟ぐらいしかない。年上か年下か、ふたつの交友関係の狭間で俺という存在は相対的に揺れ動く。
チャイムが静寂を破る。昼休みが終わる。
――大人か、子供か。
手元にはホットミルクのマグカップ。向かいの机にはブラックコーヒーの残り香が揺蕩う紙コップ。
十八歳と四ヶ月の今、俺は大人と子供の汽水域で孤独に泳ぐ一匹のボラだった。
【筆者注】
大河と大洋の誕生日は一月二十八日です。




