第102話 顔合わせは雪と共に
~大洋view~
二月八日、日曜日。
昨夜から南関東一帯は寒気で覆われ、一夜にして雪が降り積もった。
わりとしっかり積雪しており、一部交通麻痺しているところもあるらしいが、幸い電車は定常通り運行していて無事に目的の駅へと到着した。
「こんだけ積もるとしばらくロードは無理だな……」
隣を歩く大河が忌々しげに言う。
雪は言うまでもなく自転車の大敵だ。
「しばらくは我慢だな。まあインドアで頑張れ」
「……シクロがあれば行けるかなぁ」
「いや無理だろ」
「わかってるよ。冗談だ。たぶん俺には向いてないし」
自転車競技の中には雪中でも構わず開催されるシクロクロスというものがある。その競技は砂地や泥濘、雪道といったオフロードをはじめ、さらには崖のような急坂や階段といった自転車を担ぐ必要も強いられるように設計されたコースを周回して争われるレースだ。試合の展開が早く、アクション要素も多いので見ごたえがある。
「シクロクロスといえば、冬季五輪競技に採用されるかもしれないらしいぞ」
「え、そうなの? 今年のはないよな?」
それは初耳だった。
今年は冬季オリンピックイヤー。ミラノ五輪が先日開会したばかりだ。ミラノの種目にシクロクロスは無かった気がする。
「うん、ミラノではまだ無い。次回以降に期待だな」
「やるなら観てみたいな。冬季は観たい競技が多くて忙しいや」
アルペン、クロスカントリー、フリースタイルのスキー全般はもちろん、カーリングやバイアスロン、スピードスケートも面白い。夏季五輪より忙しいまである。
「大洋はほんとにスキー好きだな」
「当然」
スキーは良い。観るのも、滑るのも最高だ。
そんな話をしているうちに目的地へと到着した。
九音君とその家族が住むマンションである。来るのは夏にパソコンを直しに来たとき以来だ。
正面玄関をくぐってエントランスホールに入り、ゲートの前に立つ。さて、部屋番号を入力してと……。
「大洋、ちょっと待って」
「どうかしたか?」
「こ、心の準備が……」
見ると、大河は冬なのに汗を流しながら深呼吸を繰り返している。
俺達がここに来た目的は、九音君らのご両親に挨拶をするためだ。俺は九音君のクラファン企画に首を突っ込んでる件で、大河は花音君と付き合っている件について。
俺の方は気楽なものだけど、大河の方は心穏やかではいられないだろう。しかしビビりすぎでは……。
「この時点でその調子で大丈夫かよ……」
「だいじょばない……」
だめかー。
「今日はやめとく?」
「やめない……」
「やめないのね。じゃあ行くぞ」
「待って。もうちょっとで大丈夫になるはずだから」
「もうちょっとってどれくらいよ」
「あと三十分……」
全然ちょっとじゃねえよ。
「寒い。無理。もうボタン押すぞ」
「タンマ! タンマだ!」
とかいう不毛な押し問答をしていたら、曇りガラスのゲートが開いた。
「ほら、やっぱりここにいた。こんにちは、先輩と大洋さん」
「ほんとにいたのね……」
双子姉妹のお出迎えだった。
おかげで呼び出す手間が……いや、大河を落ち着かせる手間が省けた。
「こんにちは二人とも。ごめん。大河がグズってて」
「もう、先輩。気持ちはわかりますけど往生際が悪いですよ。緊張なんてしないで、呼び出しなんてしてきたお父さんにクレーム言うぐらいの気概で行きましょう。私もクレーム言うつもりですし。ほら、来てください」
花音君に手を引かれてエレベーターホールへと誘われていく大河。
さっきまでテコでも動かなかったのに、彼女の細腕だけでいとも簡単に動かされていく。なんとまあ仲のいいことで。
「大洋さんも、行きますよ」
「え、あっ」
気がつけば、俺も九音君に手を引っ張られていた。
どうやら俺も人のことを言えないらしい。
手を引かれながらも、気になったことを聞いてみる。
「どうして俺達が到着したってわかったの?」
「ああ、それはですね。あの二人、現在位置を常に共有してるらしいんですよ」
「え……ああー……」
俺も大河の位置はわかるように共有しているが、まさか家族以外ともやっていたとは。それだけ気を許せる相手ってことなんだろう。
「さすがはカップルってとこか……」
「しかも、付き合う前から共有してたらしいですよ」
「はぁ!?」
マジか。とっくに信頼関係MAXだったわけか。
しみじみと思っていると、前を進む九音君が振り返った。
「あ、あの。私たちも位置共有、してみませんか……?」
「えっ……?」
「あの、その……ほら。待ち合わせのときとか、便利そうですし……」
「それはその通りだろうけど……いいの……?」
「はい。大洋さんとなら、私は全然構わないです……」
「……そっか。じゃあ、その……あとで共有しようか」
「……はい」
まさかの提案だったが、合意に至れたことが存外に嬉しく思った。俺と同じく少し嬉しそうな様子の彼女に、胸の奥に妙なざわめきも感じながら。
**
〜飯山康介view〜
「いらっしゃい。足元悪かったのに来てもらっちゃってごめんなさいね」
玄関のほうから、妻の智子が客人を出迎える声が聞こえる。
ついに今日のメインゲストがやって来たらしい。急に落ち着かなくなってきた。
程なくして、手土産と思われる茶菓子か何かの紙袋を手に下げた智子を先頭に、二人の青年を伴った娘達が、ここリビングルームに入室してきた。
中学までは男っ気の無かった娘が、いきなり二人揃って青年を連れてきたこの状況。しかもこの二人も双子だと聞く。なんて数奇なんだろうか。
「はじめまして。秋谷大洋です。お招きくださりありがとうございます」
「は、はじめまして……! 秋谷大河です。お、お会いできて光栄です……」
自然体で淀みなく挨拶したほうが、九音のクラウドファンディングをサポートしてくれている弟の大洋君で、緊張した様子の方が花音の交際相手である兄の大河君だという。
双子という割には、うちの娘達ほどには似ていない。兄の大河君のほうは弟の大洋君よりほんの僅かに小柄に見えるし、顔つきも微妙に違う。
「いらっしゃい。そんなに畏まらなくていいよ。とりあえず座りなさい」
客人をダイニングに腰掛けさせると、娘二人がお茶を運んできた。
率先して来客対応できるようになったことを喜ぶべきなのだろうが、その相手が同世代の男というのは少々複雑な気持ちになる。
「私は飯山康介。いつも娘達が世話になっているようで、ありがとう」
「「いえ、こちらこそお世話に……」」
二人同時に同じセリフをハモってしまって気まずくなったのか、言葉尻が途絶えたがそのタイミングも同時ときた。
ああ、うん。この二人は紛れもなく双子なんだなと、先ほどまでの緊張感を忘れてしまったような呑気なことを思ってしまった。
「うふふ。似たもの兄弟ね……。私は飯山智子。私からも娘達のこと、ありがとうね。あ、大洋君に用があるのは私だから、大洋君と九音はあっちのローテーブルのほうへ行きましょうか。あなたは大河君と積もる話を済ませてね」
「あ、おい……!」
止める間もなく智子は二人を連れて席を移動してしまった。
たしかに元々大洋君を呼び出したのは智子で、大河君に用があったのは僕なのだからおかしなことは何もないのだが、いきなり分断しないでほしかった。大河君と同じように、僕だって内心緊張しているのだ。
しかし大人の僕も余裕がないことを悟られるわけにはいかない。仕事で重い会議に出るときのごとく、覚悟を決めて気を引き締める。
いや、そもそも彼の人となりを知るためだけの場なのにどうしてこんなに緊張するんだ。
落ち着け僕。ただお話するだけ。ただお話しするだけ……。
「ねえお父さん。そっちまで緊張して話せなくなるぐらいなら私の先輩を呼び出さないでほしいんだけど?」
怒りのオーラがにじみ出ている娘の鋭い一言が突き刺さる。緊張もバレバレだったらしく、いきなり立場が悪くなってしまった。
「か、花音? いきなり喧嘩腰はやめようか? 緊張で口が回らないのは俺も同じだし……」
大河君ですら花音の様子に慌てている。
「先輩だって文句のひとつぐらい遠慮なく言ってやってください。そんな緊張するほどの相手じゃないですよ」
「いや、俺は別に文句なんて無いし、あっても普通言わないでしょ……」
「花音、たしかに彼を半ば強引に呼び出したのは父さんが悪かったと思うけど、娘が顔も知らない男と仲睦まじくしているというのは気が気じゃなくてね……?」
「お父さんは娘が信用ならないと?」
「いや、そういうわけじゃなくてだな……」
「花音……それはきっと父親としては一般的な心境だと思うよ……?」
「先輩はどっちの味方なんですか」
「……ごめん。父さんが悪かったから、大河君まで困らせるのはやめてあげようか?」
挨拶もそこそこに、娘の彼氏とのファーストコンタクトは、花音の御機嫌取りをすることから始まるのだった。
**
〜九音view〜
「では、ストレッチゴールは無しで。終了後のお金の処置に関してはそちらで対応頂くという流れでよろしいですね」
「はい。それで大丈夫よ。ごめんなさいね。お金以外のことはほとんどお任せしてしまって」
「いえ、元はと言えば自分が言い出しっぺですので、これぐらいは……」
ローテーブルを囲うソファーに座って、お母さんと大洋さんが和やかに打ち合わせを進めている。私はほとんど相槌を打つだけだ。
一方で、ダイニングのほうでは何やら雲行きの怪しい会話が漏れ聞こえてくる。あれ放置してていいのかしら。
「ほう。大河君は技術士試験に挑戦してるんだ。私も持ってるよ。技術士資格」
「え!? 本当ですか!」
「うん。他にもエネルギー管理士にQC検定一級なら取ったなぁ」
「すごいじゃないですか! ねえ花音、花音のお父さんって優秀なんだね」
あれ? いつの間にか仲良くなってるっぽい? ならいいのかしら?
と言うか、お父さんって先輩が取ろうとしてた資格持ってたんだ……。知らなかった。
「九音のほうから何か話しておくことはある?」
「えっ?」
不意に隣のお母さんから名前を呼ばれて我に返る。
「ぼーっとしてたの? 一応真面目な話なんだから、ちゃんと聞きなさいよね」
「ご、ごめんなさい……。えっと、大洋さん。グッズ用の絵は二種類が描き上がってます。生産数がわかってるぶんは業者に入稿しました。他のグッズ用の絵も今月中には。ただ、サイン入り色紙十枚は来月になりそうです……」
「うん。それで大丈夫だと思う。クラファンは先払いなんだし、納期は多少ルーズでも平気だよ。それよりも出資者が納得してくれるクオリティーにするのが重要だからね。責任重大だよイクス先生」
「は、はい!」
今のセリフは大洋さんなりの激励だと解釈する。
実際その通りだ。私がするべきことはシンプル。人を笑顔にする絵を完成させることだ。
「ああ、そうだ。目標額達成おめでとう。本当に三百万円集めきったね」
私達のクラウドファンディングは、昨日ついに目標額の三百万円に到達した。
先生の絵を買い取る予定の金額は二百万円だけど、グッズのための原価やクラウドファンディングサービス手数料を上乗せして三百万円を目標額に設定していた。
今は最初に設定した終了日までの残り数日を待つのみとなる。
「達成したらこれを渡そうと思ってたんだよ。元々約束してたものだけど、お祝いも兼ねて。はい」
「あ、これ……」
そう言って大洋さんが鞄から取り出したのは、ふわふわした座布団……ではない。
マンタの編みぐるみだ。
思ったより大きくて驚いた。たぶん幅三十センチぐらいあると思う。
糸巻きやエラの造形もなかなか凝っている。コバンザメっぽいのまで面ファスナーでくっついていて芸が細かい。
そして何よりも気に入ったのは、手づくり特有のあたたかみがあるところだった。
「すごい……こんなにかわいいのが作れるなんて。大洋さん、ありがとうございます」
「どういたしまして。よかった。気に入ってもらえたみたいで安心したよ」
「へえ~。大洋君は編み物できるんだ。すごいじゃない」
「お母さん。大洋さんは手先が器用なの。学校でも工学の勉強をしてるんだから」
「あら、じゃあうちの旦那と同じね。工学部卒だから。きっと話も合うんじゃない?」
ねえお父さん、とダイニングのほうへお母さんが話を振ると、向こうの三人もこちらの会話に加わってきた。
それからは私達家族と秋谷兄弟との談話となり、なんだかんだで親睦を深めるというお父さんの目的は果たされたみたい。ちなみに、男性陣の工学トークはディープすぎてついていけなかった。なんなのテオヤンセン機構とかいうのが萌えるとかどうとかって……?
**
「今日はありがとうございました」
私と花音とで、帰宅するお二人を見送りにエントランスホールまで来ていた。
「どういたしまして。というか、ごめんね。最後らへん俺達だけで盛り上がっちゃって」
申し訳なさそうにする大洋さん。別に気にしなくていいのに。
少し離れたとこでは大河先輩と花音も二人で何か話をしている。二人の距離はなんだかんだでカップルらしく、私達よりもちょっと近い感じで、私にはそれが羨ましく思えた。
あの二人は学校でも放課後でも一緒の時間が多い。学年は違えども、たかだか学年が違うだけだと言わんばかりに先輩が花音に逢いに行くようだ。
一方で大洋さんと私は、一緒の時間を過ごしたのはそれほど多くない。だって学年はもちろん学校まで違う。当たり前だ。そもそも付き合ってるあの二人と比べるなんておかしいか。
……でも、やっぱり寂しい。
お願いしたら、彼は学校での私に会いに来てくれるだろうか。
そんなことを思ったからか、私の口は無意識に動いていた。
「大洋さん。もし来週末お暇でしたら、一緒に来てもらえませんか?」
「来週末? もしかしてそれ、大河達も行くはずの……」
当然彼は知っていた。なぜならそれは先輩や泉美も参加する、西園高校生徒会主催の一大イベント。
あの木犀祭のドタバタ劇の原因にもなったアレ。すなわち――
「はい。西園高校スキー合宿です」
【筆者注】
執筆期間が長引いてしまった九章を終え、十章に突入したところで今年最後の更新です。
皆様よいお年を。




