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第99話 家族会議③

~九音view~


「クラウドファンディングを利用するつもりなのはわかったよ。真っ当だし悪くないアイデアだと思う。その大洋君はいい発想力を持っているね」


「大洋さんは頼りになる人だから」


「でも本当に二百万円は集まるの? 集めたお金で絵を買って私物にするんでしょ? 収益の使い道は個人の自由だとしても、クラウドファンディングとしては良くないわよね?」


 お母さんの指摘は正しい。先生の絵の購入資金集めのための賛同者を募るのが今回の目的で、これに対して出資者が賛同するかどうかが成功の鍵を握るはず。

 安直にグッズで釣るだけでなく、そのためならばと思ってもらわなければならない。

 でもこれに対する回答はちゃんと用意してある。


「お母さん。私はこれで買った絵を私物にはしないわ。多くの人に見てもらえる特等席に託すの」


「特等席? それはどこ?」


「西園高校よ。絵は学校に寄贈するわ。西園は先生の母校でもあるから」


 そう。豊橋先生は西園のOGである。これを大義名分に利用させてもらう。


 私達の計画の全容はこうだ。

 まず〈イクス〉名義でクラウドファンディングを立ち上げ資金を募る。その目的は『〈イクス〉の恩師である画家・豊橋幸子最後の作品を彼女の母校に贈りたい』とし、グッズをリターン品に目標額を集める。資金調達の目処が立ったら先生を説得し、絵を仕上げてもらう。買い取った絵は〈イクス〉名義で生徒会を通じて学校へ寄贈し、校内に展示するよう手配する。


「これなら収益を私物化したなんて後ろ指をさされることはないはずだし、先生の約束を果たせる。ベストな方法だと思う」


「なるほどね。そこまでちゃんと考えてたわけだ」


 私と大洋さんとで考え出したベストな方法だ。しかし、この方法でもどうしてもクリアできない問題があった。


「でもね、お父さん。私はひとつ許してもらわないといけないことがあるの」


「うん、なにを?」


「このクラウドファンディングはリターンの無い寄付型じゃなくて、販売型の形式になる。この場合に得られた収益って、税制上は所得になるらしいの。だから……」


 初めて確定申告をやったあのとき、私はお父さんとひとつの約束を交わしていた。扶養から外れないこと。それは同人活動を続ける条件だった。


「そうか。九音はあの約束を破るんだな」


「ご、ごめんなさい……!」


 低い声で凄まれて、私は萎縮してしまう。


「お父さん……その、やっぱり駄目……ですか?」


「…………」


「……お、お父さん?」


「九音。九音が扶養から外れると、いくらの控除額が無くなるかわかってるかい?」


「……三十八万円です」


「正解だ。つまり父さんは、九音の我がままのせいで三十八万円分のタダ働きをしなきゃいけない。それは理解しているかい?」


 冷や汗が額に浮かぶのがわかる。私は今、お父さんにとんでもないことを言わなければならない。


「……はい」


「だからこそ父さんはあの約束をさせたし、それが守れるなら好きに同人活動していいと許可した。その約束を安易に反故にすると、そう言うんだな?」


「……ほ、反故にすることになるのは、本当にごめんなさい。でも決して安易な判断じゃないつもりです……」


「安易じゃないかどうかなんて、父さん達にはわからない。結局は甘えなんじゃないのかい? 約束事の大切さを本当に理解しているのかい? それでもやると言うのかい?」


 理解はしている……つもりだ。約束を破ることがどれだけ信頼を失墜させるのか。今もお父さんからの信頼関係が崩れる音が聞こえてきそうなほどに痛感している。

 お父さんからの詰問は痛いところを突いていて、もう私はわがままが過ぎたと謝って無かったことにしたくなる。

 でも、ここで引き下がるわけにはいかない。

 ここで私が折れたら、何もかも手遅れになるのだから!


「やる……! やりたいです! 今だけ許してもらえるなら高校卒業まで……いえ、大学卒業まで同人活動を休止しても構いません。だからどうか、どうかお願いします!」


「…………」


 勢いよく立ち上がって頭を下げた私の頭に、重苦しい沈黙がのしかかる。

 時計の針の音が聞こえてくるほどしんとした空気だ。

 微かな衣擦れの音がして、それからテーブルがコトリと鳴った。お母さんかお父さんのどちらかがカップを上げ下げした音だろうか。私はずっと頭を下げたままなので状況がわからない。

 少しでも腰を起こせば前が見えるはずだけれど、今ほんの少しでも動けば台無しになるような、そんなギリギリの緊張の糸の上にいるような恐怖で、私は硬直し続けた。


 秒針の音の間隔が三十秒ぐらいに感じられ始めたぐらいに、その沈黙は破られた。


「九音。顔を上げなさい」


 恐る恐る顔を上げると、目の前にはお母さんとお父さんの微笑む顔があった。


「いいよ。やるだけやってみなさい。同人活動も続けていい」


「ほんとにいいの……?」


「大事なことなんだろう。手遅れになりそうなんだろう。覚悟もわかった。ならば、娘の願いに応えるのが親の務めだ」


 その言葉を聞いて、緊張で強ばっていた体の力が抜け、私のお尻はぺたんと椅子に着地した。


「……私、すごい滅茶苦茶なわがまま言ってるんだけど……」


「気にするな。九音は父さん達を気遣う気持ちも、先生を思いやる気持ちも、ちゃんと持ってくれている。そんな九音だから、応援したくなるんだよ」


「九音、母さん達のことは大丈夫だから。扶養家族が一人減った程度で、我が家の家計は傾かないわよ」


「で、でもっ」


「そんなに後ろめたい?」


「…………」


 図星を突かれ、黙りこくってしまう。


「……まったく。最初からこうするつもりだったんだろうに、いまさら罪悪感なんて覚えちゃうなんて。難儀な子ね」


「すまん、俺が言い過ぎたか?」


「あなたはあれでいいのよ。でもそうね。出世払いにしてもらうつもりだったけど、九音が悪いと思っているならこういうのはどうかしら」


「な、なに?」


「うちの洗濯機、もう十年以上使ってるの。最新のに買い替えれば、みんな洗濯が楽になって便利になると思うのよねぇ」


「か、買うよ私! 最新の洗濯機!」


「……九音? 母さんはこう言ってるけど無理しなくていいんだぞ……?」


「大丈夫よ。任せてお父さん。お父さんだって洗濯が楽になったら嬉しいでしょ?」


「それは……まあ……」


 家族で一人だけの男性であるお父さんは、自分の分の洗濯は自分でしている。別に私達が拒絶したんじゃなくて、お父さんが自発的にし始めたんだけど。

 私は別にお父さんの下着とかと一緒に洗濯されても構わな……くも、なくも、なくなくない? いやまあでも、仕事で黒く汚れた作業服を持って帰ってくることも多いから必要な措置よね?

 まあそんなわけで、当然洗濯機の更新はお父さんにとってもメリットが大きい。


「私が洗濯機を買えば家族みんなの家事が楽になる。私の気も晴れる。ウィン・ウィンでいいことづくめよ。ね? 私なりの親孝行だと思って受け入れて」


「……わかったよ九音。お前は父さんたちにはもったいないほど優しい子だよ。ありがとう。絵のことも応援するから、困ったら相談しなさい」


「九音はどんな洗濯機を買ってくれるのかしら。期待してるわね!」


「こら母さん! 娘相手にあんまり調子に乗るなよ」


「任せて! 最新のやつ買ってあげるから!」


「よろしくね九音!」


「はあ、まったく……」


 あきれたようにため息をつくお父さんだけど、その表情はどことなく嬉しそうだった。


「これからどうするの?」


「まずは先生に会って話をしてくる。先生の意思が確認できたらクラファンを立ち上げて、その宣伝とか返礼品の制作って感じね」


「コミケのとき以上に大変そうね」


「うん……。でも頑張る」


 先生を口説き落とせる確証もないし、二百万円を集めきれるかもわからない。ひとつ確かなことは、私が頑張らなければどれも叶わないということだけだ。

 でも、今日のこの家族会議は乗り越えられた。ならば、この先に続く関門も乗り越えられると信じて突き進むだけだ。


「頑張ってね」


「頑張れよ。九音」


「ありがとう。お母さん、お父さん」


 私は席を立ち、リビングの出口へと向かった。

 そこでふと頭によぎったことがあり、私は振り向いて声をかけていた。


「ねえ、お父さん」


「なんだい?」


「お父さんも、後悔を後悔のままにしないほうがいいと思うよ」



 **



~花音view~


 ダイニングのほうから聞こえてくる家族会議が終わりに近づいていた。

 どうやら九音は、この難関を無事突破したみたいだ。

 この歳ですでに大金を稼ぎだすポテンシャルを持っている九音だからこそできる交渉だ。普通の高校生や、もちろん私にもできないことだった。


「すっごいなあ。九音は……」


 律儀なことにお礼に洗濯機まで買う約束までしている。末恐ろしい妹だ。

 ダイニングチェアが動く音が聞こえてきた。話し合いは終わったらしい。


『お父さんも、後悔を後悔のままにしないほうがいいと思うよ』


『っ…………そう、だな……』


 九音のその一言に対し、苦し紛れなお父さんの返答が聞こえてきた。


「九音、それは酷だよ……」


 九音は強い娘だ。正しいことを正しいと思って疑わない超人思想者であるからこそ、毒にも薬にもなる一刺しを打ち込んでくることがある。

 お父さんに向かって放たれたこの一撃は果たしてどちらになるのか。私にはとても良薬になるようには思えなかった。

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