第98話 家族会議②
~九音view~
「九音」
「うん?」
難しい顔をしたお父さんが、ゆっくりと口を開く。
「父さんは大学時代、何をやっていたか知ってる?」
「聞いたこと無いけど……」
「そうだね。教えたこと無いからね」
突然の話題転換に私は戸惑いを感じた。
「えっと、何やってたの。大学時代」
「鳥人間。人力飛行機の大会に参加してたんだ。サークル活動で」
「へえ……」
大会自体は知ってる。たしか琵琶湖でやってるやつだ。
手作りの飛行機で湖上を飛んで飛距離を競うやつ。ペダルを必死に漕ぐパイロットの雄叫びがネットミームになってるからそれで知ってた。
でも……。
「お父さん、うちでは一度もテレビで観てないよね。それ」
そうなのだ。お父さんがその大会を視聴している姿を、私達は一度だって見たことがない。それゆえに、私達もその大会の番組は一度も最初から最後まで観たことがない。ネットでたまたま目に入ったショート動画を見た程度だ。
経験者ならば、普通は注目するはずだと思うのに。
「そうだね。一度も観てないよ。父さんにとってあの大会は後悔の象徴なんだ。観ると辛くなるから……」
「…………なにがあったの?」
「大した話じゃないよ」
と前置きしつつ、お父さんは語り始めた。
工学系の大学へ入学したお父さんは、大きくて精密なものを作りたいという動機で人力飛行機の門扉を叩いた。
お父さんが所属していた大学チームは、強豪とはいかずとも中堅どころだったという。
初年度は先輩たちの下っ端としてこき使われながらも機体を完成させ、順当と言える結果を残した。
二年目は最初から本格的に機体製作に携わり、多くの範囲で製作に貢献した。
「あの年は大変だったよ。スケジュールが押してて徹夜して組み上げても、直後のテストフライトで壊れたところをまた徹夜で直して。参加率の低いメンバーとのケンカもよくやったなぁ。人手が足りないのにお前らはって。若かったな、あの頃は」
チーム内での衝突や過密スケジュールの危機を乗り越えて、出来上がった機体はチーム記録を塗り替え、大会上位を記録した。
チームの団結力は増し、修羅場も乗り越えたという糧を得たお父さんは、三年目にして機体製作を指揮する立場に就いた。
好成績を残した功績によってか従来より多くの新入部員を得る追い風も受けて、新体制で更なる記録更新、大会入賞……いや、優勝を目指した。
これまでのノウハウを注ぎ込み、工作方法を改善し、設計士の要求を全て実現してみせた。
とても美しく、強豪チームと遜色ない風体の機体が姿を見せ、テストフライトでも手ごたえを感じていた。
そんなときに悲劇は起きた。
「本番前最後のテストフライトで、突風にあおられた機体は横滑りして失速、墜落してしまったんだ。プロペラとギアボックス、主翼の桁が壊れた。パイロットも怪我をした。大会出場が一気に危ぶまれて、幹部が集まって対応を協議したんだ。代表は本番に間に合わせるギリギリの工程表を作ってきて難しい顔をしていた。そのスケジュールはチームが総力を挙げて、相当な無理をしてようやくという内容で、そこまでの負担をメンバーに強いていいものか葛藤しているようだった。パイロットは怪我を押してでも出ると気を張っていた。でも父さんは、棄権を提言した……」
「…………」
お父さんは冷めてしまったコーヒーで口を湿らせる。普段エスプレッソも美味しそうに飲む人なのに、苦そうな様子が伝わってきた。
「あの墜落の瞬間、父さんは真横を並走していたんだ。カーボン桁が折れたときの悲鳴のような断末魔がずっと耳に残っていて、夢に見るほどだったんだ……。メキメキと、炭素繊維の桁が割れて、スタイロのリブが弾け飛んで、手塩にかけて作り上げた翼が、プロペラがぐしゃぐしゃになって……。またイチから作り直して、果たして同等のクオリティーが出せるのかわからない。荷重試験もクリアできるかわからない。テストフライトする余裕はないからぶっつけ本番は免れない。だったら来年に向けて立て直そうって、そう言ったんだ」
またひと口、コーヒーに口をつける。
「パイロットの気迫で上がりかけていたムードは父さんのひと言で一気に消沈し、棄権が多数派になった。最終的に代表が棄権を決断して、同時に四回生の引退が決定した。パイロットは涙を流していたよ。父さんたちは先輩方から機体と夢を翌年に託された。そして翌年の春、チームは書類選考落ちで出場が叶わなかった」
落選を通知するだけの薄っぺらい封筒を前にして、お父さんたち最上級生は何も成せずして引退となった。残された三回生以下のメンバーは、失われた目標という現実に途方に暮れていた。
「あと一年あるなんて日和った考えの罰が当たったのかな。あのときもし弱気な選択をしなければ、本気で困難に向き合えばこんなことにはならなかったのかな。誰も後悔せずにいられたのかな……」
お父さんはまたコーヒーに口をつけようとして、しかしカップが空になっていることに気が付き、ますます気まずい顔になった。気を利かせたお母さんがコーヒーを淹れなおしに動く。
「後悔だ。本当に大きい後悔だった。その後の大会のテレビ放送を一度も観れなくなったぐらいに辛かった。あの経験はきっとそれからの人生の糧にもなったと思うけれど、できるならあんな思いはしないほうがいい。若いときの失敗ならまだしも、高齢になってからの不成功体験なんて不幸にしかならない……」
「……うん」
「わかったよ九音。九音の言うとおりだ。先生にまだ余力があって、諦められない気持ちが少しでも残っているのなら、それを支えてあげるんだ。母さんもそれでいいか?」
「そうね。私もそうするべきだと思う」
よかった。二人ともわかってくれた……。
「ありがとう。お父さん、お母さん」
「ただし、先生にちゃんとその意志と体力があるのか直接確認するんだよ」
「うん。それは必ず」
「それで、話は戻るけど二百万円はどうするんだ?」
次はこのことを説明しなければならない。
私は今一度気を引き締め、言うべきことを伝える。
「二百万円は今から集めます。クラウドファンディングで」
**
「クラウドファンディング?」
水族館の後、大洋さんからの提案は盲点で、思わず疑問符で聞き返してしまった。
「そう。クラウドファンディングを使うのがいいと思うんだ。今回の場合、できるだけ早くまとまったお金が必要になる。君の〈イクス〉としての実績と実力があればまとまったお金を稼ぎだすことは可能だと思うけど、すぐには集まらないよね」
「ですね。冬コミも終わったばかりですし……」
直近で大きなイベントはないわけではないけど、参加申し込みは当然していないので出られない。今から申し込んで出られるイベントとなると当分先か、あるいは小規模なものだけだ。
「そこでクラウドファンディングだ。不特定多数から資金提供を募るこの仕組みを使ってお金を集める。開始も終わりも任意のタイミングにできるから、特定のイベントを待つ必要は無い。グッズを作ってリターン品にしよう」
「リターン品ですか……。それで二百万集まるでしょうか?」
「九音君のサークルはお父さんとの約束で売上を絞ってるから、今年度は本しか作ってなかったんでしょ? グッズの潜在需要は高いはず。あとは集めた資金の使用用途がどれだけ賛同を得られる内容であるかと、PR次第かな。リターンのない寄付型だったら二百万円は厳しいだろうけど、販売型のクラウドファンディングなら君の武器を使って集められる見込みがある」
「大洋さん、クラウドファンディングに詳しいんですね」
「ああ。アイデア商品をクラファンで売って小遣い稼ぎしてるクラスメイトがいて、ちょっと手伝いをしてたから一連の流れは経験してるんだ」
「大洋さんはご友人も個性的なんですね……」
「そうかな? まあ事務的なところは任せてもらっていいから、九音君はグッズに注力してほしい。描き下ろしがあれば上等だけど、いける?」
「当然です」
「オーケー。あと問題は……」
**
大洋さんとの作戦会議を反芻する。
大丈夫。話し合ったことと要点は理解している。
ここからが正念場だ。私はこの件に関して謝罪しなければいけないことがある。このわがままを許してもらうためにも、せめて目の前にいる両親から目を逸らさないように、すべて伝えきるんだ。




