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あおいクリームソーダ。

作者: はれる

 私を都心から田舎へ運ぶ真っ黒な車の中から見えた海の波の泡立ちが、ホイップクリームのように見えた。もしくは、ブルーのシロップに甘い炭酸を注ぎ込んで、その上に乗るアイスクリーム。底は濃紺、表面に近づくほどエメラルド色の蒼に変わっていく。その上に着色料で赤色に染まったさくらんぼを置けば、クリームソーダの出来上がりです。

 

 濃紺がよく見えるのは空が薄い青だからで、グラスが透明だからです。

 色を際立たせて美しく鮮やかに見せるためにはね、反対色を使うと良いんだよ、と、いつか色相環を見せられながら教室で教わったのに、海は青、空も青、波打ち際も青く、それなのにどれもが鮮やかで美しかった。

 そして、地上との境界線はしなやかに、やわらかくグラデーションして、アイスクリームがソーダにゆっくり溶け出すように、泡立っていきます。やがて、その泡立ったホイップクリームが溶けて、青を霞ませてしまう前に、また新しい青いシロップが追いかけてきて、その甘そうな純度の高い白を、また青に塗り替えて、新しく泡立て直したホイップを砂浜に置いていくのです。 

 

 そこにある色はとてもシンプルで、その景色のほとんどが青色と白色なのだけど、ひとつひとつの色は違っていて、それを表現しようとした時、自分がいかに色についての言葉や表現を知らないことに気がつきました。

 

 あの「あお」を、どんなふうに表現したら良いか、このあおの美しさを、どう言葉にしたら伝わるか。

 青、蒼、碧、群青、空色、水色、たくさん思い浮かべた言葉の中に、最も当てはまる最適な言葉はないような気がして、それがなんだか悔しかったのです。

 

 だから私は海のことを、青いクリームソーダと心の中で呼びました。私がいま、あの波打ち際を指差してそう言ったとしても、誰も理解してくれないだろうと、私は勝手に決めつけていました。実際、私が車窓の外の景色を見ながら純喫茶に並ぶような青いクリームソーダのことを思い出しているなんて、きっと誰も思ってはいないでしょう。

 

 だったら、このクリームソーダは私の中に留めておきたかったのです。純喫茶で、黒い制服を着たウエイターさんに差し出された、美しく艶やかで鮮やかなクリームソーダに口をつけるのを躊躇うように、溶け出してしまう前に写真の中に収めるように、誰かのためではなく、私自身のためだけに存在する果てしないクリームソーダを、その感触を、大事にしまっておきたかったのです。

 

 私の世界を、私の世界に閉じ込めておきたかったのです。

 

 どこに境界線があるわけでもなく、ゆっくりとやわらかに、淡い青と濃い青が共存し合う、あのグラスの中。

 それが一番、私がみた景色に近いような気がしたのです。

 透明な一枚のガラスさえ、海と空を分ける一筋の水平線と重なって見えたのです。

 

 もし、あのキラキラ光るクリームソーダの海に、最もふさわしい言葉があったとしても、それ以外の言葉で表現されてしまうことがたまらなく嫌に思えた。   

 

 波打ち際に溶け出したのはアイスクリームなのか、ホイップクリームなのかどちらなのかは正直知りたいけれど。

 

 私が見たのは青色のクリームソーダだったけれど、決してそうではないことは知っています。私が見たものが海だったことくらいわかっています。

 

 だって、いくら混ぜても濃紺と淡い青は混ざることはなく、それぞれの存在を主張しているし、どこを掬っても同じ濃度の海水で、舐めたら塩辛く、決して混ざりはしない。シロップと甘いソーダとアイスクリームではない。

 

 でももしかしたら、あの波打ち際の白いホイップクリームを指で掬って舐めたら、もしかすると甘いかもしれない。実際は思い込んでいるだけで、海の水はクリームソーダなのかもしれない。

 私があの塩辛さを感じたのは随分と昔のことで、あの頃は塩辛かったけれど、今はもしかしたら甘くなっているのかもしれない。

 

 だって、あの頃飲めなかったブラックコーヒーを私は今おいしく飲んでいるのだから。


 だけど、だからこそ、それを掬って舐めてみようとは微塵も思いませんでした。だって、それであのホイップクリームが塩辛かったら、私の世界が一つなくなってしまうから。

 私が見ていたあの一瞬、私が車で通り過ぎたほんの数秒、私の視界におさまっていた時だけは、紛れもなくそれはクリームソーダだったと信じたかったのでしょう。

 

 みんながクリームソーダの中に飛び込んでいました。上澄みの透き通ったソーダの上を、サーフボード浮かべていました。

 きっと、奥の濃紺、青いシロップとソーダをかき混ぜるためでしょうね。

 たったひとつ足りないとすれば、グラスの外側についた水滴と、場違いなところに突然放り込まれて動揺している真っ赤なさくらんぼくらいでしょうか。

 

 私がさくらんぼを探しているうちに、車は角を曲がって、クリームソーダは見えなくなり、その瞬間に私のクリームソーダは海に戻りました。

 

 ただの海水に。

 塩辛い水に。

 

 …やっぱりさっきのはクリームソーダじゃなくて海だったのかもしれない。それが見えなくなった瞬間、さっきまで満ち溢れていた自信はあっという間に消え失せてしまいました。

 

 まさかクリームソーダのはずがない。

 何を考えていたんだろう、私。

 馬鹿みたい。

 

 そう思って諦めた瞬間に、隣を真っ赤なポルシェが通り過ぎたのです。

 着色料で真っ赤に染まり、シロップでさらに艶やかになって、本当のさくらんぼよりももっと赤い色をした、少し居心地が悪そうな、でも確かなプライドと存在感が同居する、赤色。

 


 やっぱりさっき私が見たのは、クリームソーダだった。

 


 隣を颯爽と走り抜けていったポルシェのハザードランプを眺めながら、私は青くて甘ったるい、グラスの底に残ってしまったシロップの味と、あの子の青く染まってしまった舌を見せる悪戯な笑顔を思い出して、都会を去る寂しさの残る心の隅が少しだけ温かくなるのを感じました。

 

 だから余計に、あのクリームソーダのことは私の心の中だけにとどめておこうと思ったのです。


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