4 人違いだ、他を当たれ
あの頃と変わらない姿のスイの全身を素早く観察する。成年直前だった頃より成長しているようにも思えたが、それでもほんの2、3歳程度。あれから100年近く経っているというのに変わらないなど普通の人間ではあり得ない。そして何より深い海のような青い瞳の色が血のように紅く変わっていて、目の前の男が魔族であることを確信する。
ユーリは迷うことなく一歩踏み出して、そのまま重心を載せて目の前の相手に切り掛かった。
「ユーリ、俺は敵じゃない!」
「魔族は殺す」
それ以上のお喋りは不要だとばかりにユーリは鋭い太刀筋を繰り広げる。
「くっ、記憶がないのか」
防戦一方のスイはユーリと大きく距離を取ると、必死な様子で訴え始めた。
「俺はスイ、元祓魔士だ。100年前、聖女であるユーリと一緒に魔王と戦ったが、お前は命を失い俺は魔物に変えられた。俺は今度こそユーリを守るために――」
「光の檻よ」
不可視の結界がユーリとスイの周囲に張られ、閉じ込められた形になる。結界内において魔物は弱体化するが、人型の魔物の力をどれほど削ぐことができるか分からない。神力の消費も激しく、短時間で仕留める必要があった。
「ユーリ!俺の話を聞いてくれ。魔王が復活しお前を再び狙っているんだ。俺たちが争っている場合じゃない、っ!」
スイはユーリの攻撃を躱すが、結界に阻まれて思うように距離が取れず焦りの色が浮かんでいる。一向に攻撃を仕掛けてこないが、だからと言ってユーリが攻撃の手を緩める道理はない。
「ユーリ!」
「煩い。二度も殺されてたまるか」
その言葉でスイの目が大きく見開かれた。冷静で大人びた彼のこんな驚愕した表情を見るのは初めてだと頭の片隅で思ったが、その隙を逃すほど愚かではない。振りかぶった剣がスイの左肩を貫いて呻き声が上がった。
地面に膝をついたスイに止めを刺そうとした瞬間、強い魔力を感じて身を躱したのは反射的な行動だった。先ほどまでびくともしなかった堅固な結界が、崩れ落ちるように消滅した。肌を刺すような威圧感に嫌な汗が背中をつたう。
(よりによって今か)
度重なる戦闘で疲弊した状態で相対することになったことが悔やまれる。
「ああ、邪魔をしてしまったかな。早く君に会いたくて我慢ができなかった。ごめんね?」
暗闇の中でもはっきりと分かる黄金の目が楽しそうに細められている。足音もなく姿を現した男を見て嫌な予想が当たったことを知った。
「今度こそ僕の所有物になってもらうよ、聖女さま」
「私は聖女じゃない」
圧倒的不利な状況で少しでも時間を稼ぐために、魔王の言葉に反論した。力の差は歴然で魔王を倒すことなど頭になく、何とかこの状況を切り抜けて生き延びる手はないかと必死で頭を動かす。
「ふふっ、君は僕の聖女さまだよ。100年待たされたけど、その甲斐があったね。今も昔も君の魂はとても美しい」
「人違いだろう。当代の聖女は王都にいる」
聖女も祓魔士も数は少ないが、存在している。そして聖女の中でも枢機卿に認められた力を持つ特別な聖女がいて、死後その名を歴史に残すことになる。前世ではユーリはその候補に挙げられていたが、任命される前に命を落とすことになった。
「ん、あれには興味ないよ?だけどもし王都の聖女を手に入れようとすれば、大量の血が流れるだろうね。今なら君一人の犠牲で済むよ。だから大人しくおいで?」
「一度犠牲になったんだ。次は別の奴で我慢しろよ」
終始笑みを浮かべていた魔王だが、ユーリの発言を聞いて驚きに目を瞠った。
「え、聖女なのにそんな発言?……そもそも僕自身は君に手を出していないのに」
「きっかけはお前だ。分かったら他を当たれ」
ユーリはまるで犬を追い払うような仕草をして、嫌悪感に満ちた表情を崩さない。
「まあいいや。今回は前回のような過ちは犯さない。僕の城に連れて帰ってゆっくり壊してあげるから」
(監禁されるのも殺されるのもごめんだ!)
ユーリが祓魔士を志したのも、厳しい修行に取り組んだのも全ては生き延びるためだった。前世のような短い人生で終わりたくない、その生存欲求の強さは他の欲求をはるかに上回っていて、だからユーリは躊躇しなかった。
「スイ、いつまで座っているんだ。私を守ると言ったのは嘘か?」
つい先ほど自分が傷付けた相手であっても、生き残るためなら利用する。視界の端に映ったスイは呆然とした様子であったが、ユーリは気にしない。動けるならさっさと動け、ぐらいしか思わなかった。
「君を殺した元祓魔士を頼るの?おまけに僕が罰として魔物に堕としたから、聖女とは敵対関係にある立場だよね」
「他に手持ちがないからな。スイ、こいつを何とかしろ。できれば50年ぐらい私の前に姿を現さなければ許してやる」
願望をそのまま言葉にすると、魔王はさらに楽しそうに声を立てて笑った。
「あはは、酷いね。そんな面白い性格になっているとは予想していなかったよ」
満面の笑みを浮かべながら魔王が一歩踏み出すと、スイはユーリの前に立って庇うような素振りを見せた。
「…50年は無理だが何とかする」
左肩からはまだ血が流れているのに、そんなことを口にするスイにある感情がよぎったが、ユーリは何も言わなかった。