32 一筋の光明
こん、と背中に固いものが当たった感触にユーリが振り向くと、まだ若い女性が憎しみの感情を浮かべてユーリを睨んでいる。
足元に石が転がり、彼女からぶつけられたのだと分かった。
「あんたさえいなければ、うちの娘があんな目に遭うことはなかったんだ!この人殺し!」
「まさかミシェルが?」「まだ6歳だったのに…」
恐怖や怒りは伝播しやすい。犠牲になったのが、普段から可愛がられていた幼子ならなおさらだった。
「ユーリ!」
クラウドの声は人々の暴言によってかき消される。武器を持って詰め寄る男たちを援護するかのように祓魔士たちが詠唱を始めた。
その光景にユーリは自分の胸がすっと冷えていくのを感じていた。
(もう、いいんじゃないか?)
どれだけ命を削って護ろうが、誰もユーリの言葉など信じない。身を挺して魔物と戦ったユーリの行動よりも、聖女の立場であるセーラの言葉を正しいと思う人々を傷付けない理由などどこにあるのだろうか。
仄暗い感情が湧き上がってくる。
「怪我をしたくなければ、下がれ」
殺気立った人々にそう警告したのはユーリにできる最大限の譲歩だった。
「恵みの雨よ」
恵みというには過剰なほどユーリと対峙する男たちの上に叩き付けんばかりに水を浴びせる。
「っ、魔物以外に浄化の水が効くものか!」
一人の祓魔士が怯まずに神力を纏わせた剣を手に向かってくるが、ユーリは後ろに下がり距離を取りながら、別の祓魔術を行使する。
「雨と共に落ちよ、稲妻」
閃光が走り雷に打たれた男たちはいっせいに地面に倒れ込む。
本物の雷には遠く及ばないが、水を通した身体には効きやすい。殺傷力は低くとも逃げるための時間稼ぎにはなるだろう。
身を翻す前に一瞬だけクラウドと視線があった。そこに何の感情が浮かんでいたのか読み取る前に衝撃と鋭い痛みが脇腹に走る。
傍には誰もいないはずだった。少なくとも自分を害する可能性のある者はいないと認識していたからこそ、ユーリは一瞬だけ別の考えに気を取られたのだ。
呆然と視線を下げるとそこにいたのはレイだった。
「ひっ、うわあああああ!」
涙を流しながら怯えるレイをユーリは理解できない。脇腹に刺さったままのナイフはレイによるものだったのに。攻撃しておいて被害者のような態度を見せているレイを見て、刺された痛みよりも心が悲鳴を上げている。
キラキラと輝く目を向けていた表情や、妹の回復を喜び満面の笑み、そして気遣うようにパンと水を渡してくれた優しい少年だと思っていた。
(ああ、逃げないと…)
かろうじて頭の片隅に浮かんだ思考。だが何のために逃げるのかユーリにはもう分からなくなった。
ナギはユーリが血を流すことを厭う。ナギが現れればこの場にいる全員の死は免れない。それを止めなければと思うのに足が動かなかった。
逃げてもまた同じことを繰り返すだけなら、もう終わりにしても構わないのではないか。死にたくはないが、ユーリが生きているだけで人が傷つき命を奪われていく。
祓魔士が拘束というには強力すぎる神力の縄をユーリに放つ。頑丈なそれは身体を拘束するだけでなく、首を絞めるための武器でもある。
(このままナギが来る前に終わりを迎えてしまえれば、楽になれるのかもしれない)
そう思ったユーリから無意識に言葉が漏れた。
「スイ、最期に一度顔を見たかったな」
縄がユーリに届くと同時に青白い炎が立ち昇り、瞬く間に焼き尽くしていく。
「やっと、呼んでくれた」
背中に感じる温かい温もりと優しい口調に涙が溢れそうになるのをユーリは唇を噛みしめて堪えた。
「スイ」
「よく頑張ったな」
労わるように優しくユーリの頭を撫でるのは前世と変わらないことの一つだ。それだけで重かった心が嘘のように軽くなっていく。
安心したユーリは力強い腕に身を委ねて意識を手放した。




