17 約束と契約
「ちょっと遊んでくる」
止める間もなく部屋を出て行くナギを追いかけるべきか迷ったが、それよりも話をするほうが先だと思ったユーリはスイに向き合う。
魔王を野放しにする危険性よりも今後の話をしておかなければならない。
「クラウドに――私の後見人に連絡を取る。だからお前はもう私の傍にいなくていい」
魔の森にいた時からクラウドに前世も含めて全て打ち明けることを決めていた。その場合問題となるのはスイの存在だ。クラウドは変わった性格をしているため、きちんと話せば理解してくれるような気がする。だが普通の教会関係者から見ればスイも倒すべき魔族にすぎず、攻撃対象となるだろう。
教会の祓魔士を全員集めたとしても魔王に敵わないとは思っているが、そんな状況で貴重な戦力を減らされたくはない。
魔王の存在は教会に衝撃と混乱をもたらすことになるだろうが、ユーリ1人で抱えておく案件をはるかに超えている。
「今のお前は自由に動けないだろう。あれがユーリを逃すとは思えない」
直接会うことができなくても関係者経由で連絡を取ることはできる。ユーリ自体は快く思われていないが、准枢機卿であるクラウドへの手紙を握りつぶすような馬鹿は流石にいない。教会がいつ動くか分からないがスイを傍にいれば必ず巻き込まれる。だからその前に離れておく必要があった。
「逃げない。でもお前がいると邪魔だ」
生きるために戦うと決めたのはユーリ自身だ。今逃げれば一生逃げ続けなければならない。
(そんなのはごめんだ)
どうして自分が、と思う気持ちはある。けれどそうやって自分を哀れんだところで物事は改善しない。死が逃げることと同義なら、前世の清算をする機会を与えられたということだろう。たとえ勝算はなくとも諦めたくないという気持ちがユーリを生かしているのだ。
「ユーリを護ることだけが俺の存在理由だ。だが今の俺にその力が及ばないのは分かっている。一時的に傍を離れるが、必ず戻ってくるから最後まで諦めないでくれ」
スイは忠誠を誓う騎士のように片膝をついてユーリを見上げる。その瞳は懇願の色を帯びていて無意識に手が動いた。
わざと乱雑に頭を撫でて視界を塞ぐと、一言だけ返した。
「……待ってる」
陽光も通さない魔の森の最奥部に転移したナギはどこへとなく彷徨っていた。
「面白くないな」
口に出すと不快感とともに破壊衝動が湧きおこる。遠巻きにこちらを窺っている魔物を魔術で切り裂く。絶叫を上げる間もなく絶命した魔物の残骸をナギは冷めた目で一瞥した。
「簡単すぎてストレス解消にもならない」
もともとユーリが簡単に堕ちてくるとは思わなかった。それよりも変わった性格の彼女を観察しているほうが飽きなかったから、戯言程度で済ませていたのだ。
わざわざ準備した幼体のドラゴンは使い物にならないし、親ドラゴンをおびき寄せたもののユーリはナギに縋ることなく、あっさり死にかけた。楽しみを奪われそうになったためその原因となったドラゴンを腹立ちまぎれに殺したが、気分は晴れない。
元々の思惑通り人口の多い都市に連れてきたのはいいが、目覚めるなり警戒しスイの姿を探している様子に苛立ちを覚えた。
「ドラゴンを処分したのは僕なのにね。手を出さないなんて言わなければよかった」
素直に感謝されるとは思っていなかったが、他の男に信頼を寄せ頼ろうとする姿は不快で仕方がない。目の前で殺してやりたかったが、一応契約内容に含まれているため牽制程度に押さえておいた自分はかなり我慢したほうだと思う。
餌を与えたり、薬を作って看病をしたのにユーリはちっともナギに関心を払わない。あの時ナギの差し出した食事を拒否していたなら、そのまま城に持ち帰っていたかもしれない。
(契約内容に身体の拘束は含まれていない。彼女が賭けに勝ったら解放するとは言ったが、期間中については何も定めていなかったからね)
不穏な気配を感じ取ったのか、ユーリは渋々といったように匙を取ったものの挑むような目でナギを見ていた。その瞳に自分だけが映し出されたことで、苛立ちが薄れたためやめてあげたが――。
「そろそろ契約を履行させようか。そのほうがきっと楽しめる」
甘くてほのかに苦いユーリの血の味を思い出して唇を舐めた。
昏い笑みを浮かべるナギの姿は暗闇に紛れて、誰の目にも留まらなかった。




