10 祓魔術
視線を感じなくなって、ようやくユーリは詰めていた息を漏らした。周囲への警戒を怠るつもりはないが、久しぶりに一人になった解放感でずっと気を張っていたことに気づかされる。
頼れるのは自分だけ、そう思って生きていたせいか他者が常に一緒にいるという状況は思いのほかストレスになっていたようだ。
(たった10日、いやもう10日というべきか?)
魔王や元想い人とともに過ごす日々は苦痛というより戸惑いの方が大きい。記憶の中のスイも100年経て少なからず変わっている部分もあり、その差異とかつての関係性から居心地の悪い思いをすることもあった。
スイだけを頭から糾弾するのは間違っていると思う一方で、最期の記憶は鮮明でなかったことにはできない。下僕扱いされても従順な態度を示すスイにどう接していいか分からず冷たくあしらってしまう。
(あいつはどうして…)
微かに地面を踏みしめる足音と魔物の気配に、ユーリは物思いを中断し剣に手を掛けた。気づいたことを察知したのかユーリの前に二匹の魔物が現れる。一匹は炎を吐くサラマンダー、もう一匹はサラマンダーに似ているが赤い身体に黒い斑点が混じっていて毒々しい色合いだ。
シューシューと威嚇音を鳴らすと、舌から唾液が滴り落ちて草が音もなく変色していく。
(サラマンダーの亜種で毒持ちか。厄介だが攻撃する前に分かったのは幸いだった)
サラマンダーは以前も倒したことがある魔物だが、属性が違う2体とあれば慎重に動いたほうが良さそうだ。炎と毒を吐き出す相手ならば迂闊に近づけば、こちらの身が危うい。じわりと距離を測っているとサラマンダーが焦れたように炎を吐き出したが、離れていたためユーリは難なく躱した。
「恵みの雨よ」
浄化作用のある雫は魔物にダメージを与えることができるが、致命傷を与えるものではない。それゆえに降り注ぐ雫を身体に受けたサラマンダーの威嚇音が大きくなり嫌がる素振りを見せるが、撤退する様子はない。そのままの状態を維持したまま、ユーリはさらに神力を込めて新たに詠唱を重ねた。
「氷の刃となりて敵を貫け」
降り注ぐ雫が空中で鋭利な氷柱状に変わり、勢いよく降下した。ギュィィィとけたたましい呻き声が響き、地面をのたうち回る一匹に駆け寄るとユーリは刃を振り下ろす。
もう一方が頭を逸らしたのを見て、瀕死のサラマンダーを勢いよく蹴り上げて距離を取る。仲間の身体に思い切り毒液を吐いた後の無防備な一瞬を狙って首をはねた。
そのまま少し様子を見るがどちらも息絶えており、他の魔物が寄ってくる気配もない。そこでようやく息をつき、改善点を頭の中で整理して次の獲物を求めて、ユーリは森の奥へと向かった。
「……今日はここまでか」
あれから蜂、熊、猪などの魔物を祓魔術の組み合わせを試しながら倒した。いつもより多く術を行使した結果、集中力を要したため精神的な疲労のほうが大きい。
小屋に戻るまで日は沈まないだろうが、疲労は視覚的な視野を狭めることもあり撤収を決める。
今日の成果は上々だとユーリは思った。普段の戦いでは神力の消費を抑えるため剣を振るうことが多いが、鍛錬を重ねることで消費量を抑えた状態で祓魔術を使うことが可能になる。
前世の記憶から防御系の術については、問題なく使えるが攻撃系はイメージと集中力の点で同じように行使するにも消費量が全く違う。障壁や浄化も必要な術だが、守りだけでは生き延びられない。
クラウドのおかげで祓魔術の基礎を学ぶことはできたが、女でありながら祓魔士を目指すユーリの存在は浮いていて、共に学んだ祓魔士見習いからも教師役の祓魔士からも快く思われていなかった。必要な事項をわざと教えられないなどの嫌がらせは日常茶飯事で、ユーリの祓魔術は書物と実戦によって身に付けた部分も多いため荒削りの状態だ。
(そういえばあいつも元祓魔士だ。あいつに習えば早く上達するのでは?)
ふと浮かんだ考えを振り払うようにユーリは首を振った。
元祓魔士で成り行き上自分の下僕となったとはいえ、今は魔族の男を頼るなど正気の沙汰ではない。
下僕として扱うが信頼はしない、もう二度と裏切れて命を落とすのはごめんだ。そう自分に言い聞かせていると、迎えに来たのか視界に黒髪の男が待っているのが映る。
途端に苛立った気持ちを抑えるように深呼吸をして、ユーリは小屋に戻るため淡々と足を動かした。




