9 修行にならない
「ユーリ」
短い呼び掛けに答えることなく無言でタイミングを図る。飛びかかってきた魔物を一閃するが、僅かに踏み込みが浅く致命傷には届かなかったようだ。小型の猫科の魔物は遠吠えのような鳴き声を上げると、茂みの奥に消える。
「駄目だよ、ユーリ。フェリーデは仲間が傷つくと群れで反撃する習性があるんだ。何匹集まるか楽しみだね」
仕留めそこなったところに余計な情報を告げるナギの言葉に苛立ちが増す。
「鍛錬にはちょうどいい」
負け惜しみだと分かっていながら呟くと、楽しそうな笑い声が返ってきた。
「ユーリ、構うな。来たぞ」
気遣わしげなスイの声にも苛立つが、呼吸を整え目の前の魔物に集中した。
フェリーデは俊敏なうえに跳躍力があり、小柄な体躯は逆に仕留めづらいため思いの外、ユーリは手こずる羽目になった。スイは基本的に剣を使うが、時折ユーリを護るように魔術を使っている。背後で焦げた匂いと獣の叫び声を聞きながら、それを実感するユーリは複雑な思いのまま目の前の魔物を屠った。
「スイ、お前がいると修行にならない。午後は別々に動くぞ」
「…目を離すのは危険だ。手を出さないから付いて行く」
喉を潤し携帯食をかじりながら宣言すると、スイはナギを一瞥してから拒否した。確かにナギの行動は読めないし、魔物とナギ両方を気にしながら戦うのは難しい。それでも護られながらの戦いは成長の妨げになる。
「僕は誰かさんと違ってユーリに危害を加えたりしないよ?僕の可愛い聖女さまが傷つかないよう見守っているだけだしね」
何もない空間からティーセットを取り出し、優雅に紅茶に口を付けるナギはにこやかな笑みを浮かべている。
「こいつは契約があるから私を殺さない。それ以外で死ぬようなことがあれば、それは私が力不足だっただけのことだ」
生き延びるつもりはあるが、強くなるために魔の森に来たのだ。それで命を落とすのは自業自得、祓魔士を目指した時からその覚悟は出来ている。
我慢できないのは前世と同じ結末を迎えること、魔王に何一つ奪われたくないということだけだ。
「小屋で待っててあげてもいいよ?ユーリの怪我を僕に手当させてくれるならね」
怪我をする前提であることに猜疑心が芽生えるが、ナギを気にせず魔物退治できるのは正直精神的に楽だ。
(食べ物の次は手当か…)
薬草や包帯を使って怪我の手当てをしているところをナギは興味深そうに眺めていた。自身が治癒魔術を使い、怪我をしても治りが早い魔族とは異なる点が面白いらしい。
薬の調合は得意だと言うナギだが、得体の知れない素材を煎じているのを見ているため断り続けていた。相手の望み通りに動くことも癪だが、ナギが自分に付きまとっていてはスイも別行動しないだろう。下僕だと自分で認めた割にこういうところでスイは頑としていう事を聞かない。
「……妙な素材の薬は使うなよ」
ユーリの言葉に素直に返事をしたナギはさっさと小屋の方向へ戻って行った。
これで文句はないな、と視線で問えばため息が返ってくる。
「分かったから、これを持っていてくれ。あまり離れすぎると効かないが、危険な状況になったら呼んでくれれば分かる。俺のことは生き延びるための道具として使え」
そう言って渡されたのは鎖を通した錆びついたコインだった。不意に込み上げる懐かしさにかつて祓魔士として使用されていたものだと思い至る。
「魔に堕ちた俺が持っていて良いものではなかったが、人であった頃の、お前との関わりを失いたくなくて捨てられなかった」
スイが過去について話すのは再会した時以来だった。過去の出来事にわだかまりを抱えながらも、あえて互いに避けていたのだ。話してしまえば今の曖昧な状態を保てなくなる。
そう思ったからユーリはそれを無視することにした。
「…一応持って行く。ついてくるなよ」
それだけ伝えるとスイの視線を感じつつ、ユーリは森の奥へと入っていった。




