プロローグ 全ての始まり
「ユーリ!」
猛威を振るう炎や割れるガラスの音に混じって、遠くから自分を呼ぶ声がする。彼の声に応えたいのに目の前の存在がそれを許さない。
「ああ、まだ生きている者がいるのか。いい加減鬱陶しいかな」
「私を殺すなら、さっさと殺せばいいでしょう」
目的が自分であることは分かっている。聖女は魔王を滅することが出来ると言われており、魔族にとっては目障りな存在でしかない。魔に対抗する聖なる力を持って生まれた者は、男は祓魔士として女は聖女として育てられる。
他の聖女より少しばかり力が強いユーリだが、まさか魔王自ら
命を奪いに来るとは思わなかった。力量の差は明らかで襲撃を受けた教会は今まさに壊滅寸前状態、これ以上犠牲を重ねるつもりはない。
(怖くないといえば嘘になるけど)
大切な存在が脳裏をよぎる。誰よりも大切で愛しい人を守れるのなら、これ以外に道はない。
「僕は君を奪いにきたが、殺すわけではないよ?絶望に染まった君の魂ごと僕の物にしたいからね」
黄金の瞳が細められて歪な笑みが浮かんでいる。捕食者に狙われた獲物のように身体から力が抜けていく。魔王の言葉を完全に理解したわけではなかったが、ただ殺されるだけよりももっと酷い目に遭うことを悟った。
敵わないと知りつつも神に祈りを捧げつつ、防御壁を展開したのは本能的なものだった。
そんな必死のユーリの術は完成すると同時に霧散する。
「まだ抵抗するだけの気持ちが残っているんだ。じゃあこうしよう」
逃げ場をなくすように燃え盛っていた炎がたちどころに消え、崩れ落ちかけていた扉がけたたましい音とともに弾けとんだ。
「ユーリ!!」
聞きたくて聞きたくなかった声にユーリは魔王の意図を理解し、強張った身体を必死で動かした。魔王がユーリに絶望を与えたいのなら、格好の人物が現れたからだ。
「スイ、逃げて!」
身を投げ出すようにスイの前に立ち、最大限の神力を使って防御壁を展開するも攻撃を受け止めるとすぐに砕け散ってしまった。
その様子を見たスイの息を呑む音が聞こえた。攻撃においては祓魔士であるスイのほうが優れているのだが、純粋な神力ではユーリの方が上なのだ。
「魔王の目的は私の魂、だから一旦引いて」
「ユーリの命を犠牲にして逃げ出せと?!そんなことできる訳がないだろう!」
スイがユーリに好意を抱いてくれていることは気づいていた。こんな絶望的な状況でもユーリを守ろうとするスイの言動は涙が出そうなほど嬉しい。だからこそスイには生きてほしいと思うのだ。
「ふふ、心配しなくても殺さないよ。ただ永遠に僕の所有物として傍においておくことになるだけだから。そのためには君に死んでもらわないとね」
「ユーリが、魔王の所有物……」
小さな呟き声は感情がそぎ落とされたような響きがあった。
魔王が一歩踏み出すのを見て、ユーリは最後の力を振り絞って転送を試みようとした。スイだけは守りたいと願ったから。
「ユーリ、ごめん。愛してる」
その言葉を喜ぶ間もなく胸に灼熱感が走り、続いて今まで経験したことのない痛みに襲われた。視線を落とせば左胸から刀が突き出ていて、ユーリの思考は混乱と疑問で埋め尽くされる。背後にはスイしかいなかったのに、どうして自分は刺されているのだろうと。
振り向こうとするが、力強い腕に背後から抱きしめられているのが分かった。急速に熱を失っていく身体にその温もりだけが心地よい。
「お前、邪魔だ」
衝撃とともに床に叩きつけられると視界がかすんだ。
「せっかくあと少しで僕のものになるはずだったのに…」
冷ややかな口調の中に激しい怒りを感じ取って、ユーリはスイの姿を探した。
「祓魔士が聖女を手に掛けるなんて、想定外もいいところだ。お前にはその責を取ってもらう」
(スイが…私を刺したのはスイなの?)
無意識に考えから除外したが、冷静に考えればあの状態でスイ以外にそれができるはずがなかった。
その言葉に激しい衝撃を覚えて、ユーリは悲しみと苦しさを抱えながら意識を手放した。




