4.警察?
カラム王国は、ラビリンセントラムから南の大半を支配する軍事大国である。
当ペルソン三世の治世は、安定しているとは言い難い。瘦せた土地のため常に食料不足に悩んでいるため、これまで四つの王国を侵略して領土を拡大した。
さらに後継者争いは熾烈を極めていた。
毒殺、事故死、王子や側室たちの陰謀は枚挙に暇がない。ペルソン王も実の兄を殺して王位を継いだのである。
陰謀が正常。
それを受け入れられない者は、過酷な宮廷で生き残れない。
――見通しが甘かった。
カラム王国第一王女、セフィリア・フォン・カラムは慙愧に絶えず、美しい顔を歪めて迷宮洞窟を走り続けていた。
今まで散々戦場に送られ最前線を指揮させられ、死線を掻いくぐり、敵だけではなく味方からの暗殺を防いできた。
数々の輝かしい戦果を挙げ、多くの騎士、兵士たちから信望を集めた。
母親はカラム王国に滅ぼされる前に政略結婚させられた亡国の王女。
セフィリアにはカラム貴族の後ろ盾はなく、宮廷では彼女の血筋を蔑む人間が多い。
排除したい気持ちは分からないでもない。が、よもや迷宮で魔物の小氾濫を起こしてまで、私の命を奪わんとするとは……
完全な条約違反である。主犯は有無を言わさず極刑。
我が国の犯行であると知られれば、大陸中の国々を敵に回す。
どこのどいつだ。
第二王子は、切れ者だ。それ故、手段を選ぶ。馬鹿ではない。
第一王子は……、無能のマザコンだ。虚栄心と猜疑心の塊である。あり得ないこともない。
第三王子、第二王女以下は、私を慕うものもいるが、家臣親類縁者を含めれば魑魅魍魎の集まりである。分かったものではない。
セフィリアは今回の小氾濫が人為的なものであると確信していた。通過して来た方角から魔物が溢れるなどありえない。
王族の視察ルートを決め、念入りに調査し、安全は確保されていたはずである。
その責任者である大使や役人は、真っ先にゴブリンどもの餌食となった。
――ロベルト、生きていてくれ……
彼女は神に祈りながら洞穴から日の降り注ぐ草原へと出た。
爽やかな風が吹き、あたり一面の草原が揺れている。
振り返ると、巨大な岩山に開いた縦長の割れ目。同じような岩山が新緑の草原の中にいくつもある。点々と佇立する姿は、まるで蟻塚のようである。そのはるか向こうには白雪に染まった山脈が見える。
騎士たちから、歓喜の声が漏れた。
迷宮第一門の浅層である。
来るときに入った岩山ではない。洞穴前で待機しているはずの馬や従者は近くには見えない。
コンパスを確認し、針先に目を向けると、草原の先に淡い光りが、極々小さく見える。異界門が、あの下にあるのだろう。
一時間も歩けば着くだろう。それを抜ければ迷宮都市へと帰還できる。
セフィリアは呼吸を整え、張り裂けそうな心臓を落ち着かせようとした。騎士の一人が彼女の脇に立った。
「殿下、ロベルト殿を待つとご命令ください」
――良い騎士だ。私の体力を察してくれる。
一時間近く、足元の不安定な迷路のような洞窟内を、魔物の気配のあるルートを避け、休まず走って来た。
休息が必要だ。彼女の鎧は軽量なミスリル合金製だが、それでもかなりきつい。
セフィリアは若い騎士に目を向けた。名前はエマソンだったか。騎士たちはチェーンメイルを下に着ている。相当な重量である。だが、彼らの顔はあまり疲れているようには見えない。普段から鍛えている賜物であろう。やはりカラムの若手精鋭である。
「いや、このままギルドに向かう。早急にブラックオーガの討伐依頼と、ロベルトらの救出依頼を出す……。が、流石にもう走れん。歩いて行く」
「はっ」
彼女らは草原を歩いた。
まだ異界門へ道半ばであった時、大気を震わせるけたましいしい咆哮が聞こえた。
咄嗟に振り返り、目を凝らすと、洞穴の前で黒いオーガが空に向かって吠えていた。オーガはこちらに顔を向けると、走り出した。
ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン……
地響きが急速に近づいて来る。
「んなっ!」
「ありえん」
深層の魔物がここまで追って来るのは通常ありえない。恨みを買ったわけでもない。そう思った時、セフィリアの脳裏にある考えが浮かんだ。が、今はそれ所ではない。
「走れ!」
彼女は全力で走る。すぐに気が付くが、騎士たちは付いて来ない。
三人は剣を抜き、迫りくるオーガに対峙していた。
迫りくるオーガの全身に無数の傷がある。
小さな左眼球にはロベルトの剣が根元まで突き刺さっている。いや、それなら脳にまで達しているはず。おそらく折れた剣で刺したのだろう。
ロベルトの斬撃は一振りで大木を切り倒し、岩を割る。騎士団でも彼に敵うものはいない。それでも……。
「馬鹿者! 来い!」
「殿下! 早く! この場は私たちが!」
騎士たちは腰を落とし、同時に剣を薙ぎ払い斬撃を飛ばすと、前方の草がオーガに向かって猛烈な勢いで刈られて舞う。
ガイィィィィィィィィィィィン!
衝撃がオーガの脛に走り、若干、走る勢いが落ちる。三人は近づきながら何度も斬撃を飛ばすと、やがてオーガは面倒くさそうに立ち止まった。
「今だ!」
騎士たちはオーガを取り囲むと、四方八方から斬りつける。その動きは凄まじい。
だが、剣の刃がたたない。髭剃り後のような浅い傷をつける事しか出来ない。
オーガは腕を振りまわし、騎士たちを叩き飛ばそうとするも、彼らは巧みに回避して腕に脛に傷をつけていく。
オーガは傷に頓着せず、やがて攻撃を止めると、王女が遠ざかっていくのに気づいた。
「うごぅおあおおごぶおおおお!」
巨大な腕を地面に突き刺す。そしてそのまま腕を、剣を振りかざし迫りくる二人の騎士に向かって振り払った。
爆発のような大量の土砂の衝撃が騎士を襲った。マントや服に無数の穴を開けながら、彼らは十メートル飛ばされ、大地に転がりそのまま動かなくなった。
オーガは大地を握ると、残った騎士に向かって礫弾を投げつけた。回避しようとするも彼もまた吹っ飛ばされ動きを止めた。
「うごぅおあおおごぶおおおおぼぼぼぼぼぼぼぼぅ!」
ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン……
一人全力で逃げていたセフィリアは、後ろを見て顔色を変えた。異界門はまだ先。すぐに追いつかれる。
――ここまでか……、皆、すまん……
悔しさが込み上げる。己を守ろうと犠牲になった騎士たちの努力がすべて水泡に帰すのだ。が、歯噛みしている場合ではない。
ただでは死なん。一太刀でも報いてやろう。
奴の残った右目でもいただこうか。ゴブリンどもに犯されなかっただけでもマシだ。
彼女は立ち止まり、オーガに身体を向けると、静かに抜刀した。
腰を落とし、剣に魔力を込めると、それは青白く発光した。
ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン、ズウン……
凄まじい圧力。覚悟を決めたはずだが、身震いする。
オーガが十メートルに迫った時だった。
オーガの背後から誰かが叫んだ。
「目と耳を塞げ!」
セフィリアは何事かと思う。
が、小さな物体がオーガの頭を超えて飛来して来たのを見て、咄嗟に手で耳を覆った。
なぜそうしたのか分からない。声に不思議な力があったのかもしれない。
彼女は目を瞑って、迫りくるオーガを避けるため大きく右に跳んだ。
オーガの頭を超えて来たのは、M84閃光発音筒スタングレネードだった。
オーガの眼前で爆発すると、走っていたオーガは目を両手で抑え、豪快に転がって叫び声をあげた。
「ごうぎゃおおおうえああえええああ!」
ふらつきながら立ち上がろうと藻掻くが、平衡感覚を失っているようだ。
セフィリアは何が起こったのかと、目をおそるおそる開けた。
オーガに走り寄ったのは、奇妙な出で立ちの男? 黒と濃紺の服に、ガラス?のついたヘルメットをかぶっている。顔は見えない。先ほどの声から判断すると男だろう。
彼は臆することなく、ふらつくオーガの前に立つと、黒い杖(H&K MP5F)でオーガの両膝下に発砲した。
「パパン」と乾いた音が響くと、オーガはたまらず倒れ、膝と腕をついた。
男はすかさず目前に降りてきたオーガの眼球から折れた剣を左手で抜き取ると、右手で持った短機関銃の銃口を、同じ場所に突き刺した。
ババババババババババババ!
超近接連射により、オーガは眼球から粘液を噴出させ、全身を激しく痙攣させる。四つ這いから五体投地の体制になり、ピクピクと四肢を震わせた。
男は観察しつつ、最後に一発撃つ。
そして肺や動脈部の拍動が止まっているのを目視で確認すると、銃を抜き取った。
セフィリアは唖然として、歩いて近づく男を見つめた。
――な、なんなんだ、この男は……
精鋭騎士たちが為すすべなく倒されたオーガを、剣鬼ロベルトが足止めすらできなかったオーガを、一瞬で、無傷で殺した、だと? ありえん。
いや、目の前で起きた事実だ。事実は受け入れねばなるまい。
いったい彼は何者か?
何故、私を助けたのか?
男は彼女を見下ろすと手を差し出した。
「怪我はないか」
「……」
「怪我はないか?」
「……あ……ああ……、大丈夫だ……」
セフィリアは男の手を取って立ち上がった。
「たいちょー! まだ生きてるよおー!」
「わんわん!」
離れた場所で、犬人族が倒れた騎士の応急手当をしている。頭部は柴犬、子供くらいの身の丈だ。
「わおおーん!」遠くから別の声が聞こえる
「待ってよおー、こっちゃ重いんだってーの」
目を向けると、草原の向こうから、四人の犬人族が担架を持ち、「エッサ、ホイサ、わんわんわん」と走ってくる。
担架には、右膝に止血帯を巻いた初老の騎士が横たわっていた。膝下は切断されてなくなっている。
彼はセフィリアの姿を認めると、ほっと眦を下げた。
――ロベルト……
彼女はわずかに目を潤ませたが、すぐに凛々しい顔つきに戻り、男に手を差し出した。
「おかげで助かった。感謝する。わたしはセフィリア・フォン・カラム、カラム王国の者だ。そなたは?」
「……カズヨシ・ケンザキ、警察の者だ」
セフィリアは握手をしながら、「ケイサツ?」と内心首を傾げた。
一キロほど離れた岩山。
洞穴から黒いローブをまとった人間がよろめきながら出て来た。力なく岩壁に背を預けて、戦いの跡に目を向ける。
突如、大量の鼻血が垂れてくると、汚れた手拭いで鼻を押さえ、地面に膝まづいた。