1.迷宮
原初の大地は神々が支配していた。
次に大地を支配したのは、神の代理を自称した、か弱き人間であった。
今世、大地の支配者は、神々の力を身に付けた人間である。
(ハーラース・ジャリム『カラム王国史』第三巻、第二章)
迷宮は有史以前から存在していた。
巨大な円形の建築物。周囲は「凱旋門」に似た門が九つ存在する。
三千年の星霜を経て、朽ち果てることなく、いや、初めて見る人間に、今日が落成であると言っても信じるであろう、傷一つなく悠然と佇む巨大な門の集合体。
石造に見えるが、資材、建築法、一切が不明。
いったい誰が造ったのだろうか?
神々が造った、あるいは、悪魔が造ったと記す文献が存在するが、その真実は不明である。
『ベルベミ風土誌』には「暗黒の門」と記載されている。
『アンタロス南征記』には「ネスト」
『西方見聞録』には「魔の間歇泉」
『カルロリス史話』には「大地神のコロッセオ」
『サルーン大冒険記』には「プロラビリンス」
古来様々な名称を持った迷宮だが、そう呼ばれるには訳がある。
ひとたび門に入れば、そこは別世界。
海あり山脈あり、草原もあれば、洞窟もある。遺跡のような都市。天空の島。
そして、それらのどこかしこも凶悪な魔物の巣窟。
過去、数年から数十年に一度、迷宮から魔物が溢れ出た。
それは数えきれないほど多くの村落、国家を飲み込み、人々はそれを「大氾濫」と呼んだ。
古来、迷宮は畏怖、忌避の対象だったが、文明が発展し、人類が魔物に抗う術を身に付けるに従い、その価値は変貌した。
冒険者や学者、盗賊などが迷宮内を探索し、数々の宝物、金銀財宝、宝石や装飾品、武器防具、古代文明の物と思われる魔法道具、書物などを発掘した。
とりわけ不可思議な現象は、魔物を倒すと、超常の力を得る事ができることである。その力は魔物を倒せば倒すほど向上する。
その能力により、迷宮を探索することが容易となり、また、他国との戦争を有利にすることが可能となった。
人々はその力を「迷宮の恩寵」と呼んだ。
各国は迷宮の富と力を独占しようと、熾烈な争いを続けた。
古来、迷宮の存在する大陸西部、ベルベミ地方に好んで入植しようとする国はなかったが、何度か、一国の支配下に置かれたことがある。
その一つ、ファトゥース帝国は、迷宮を壁で囲ってその富を独占した。
運良く――後になって思い返せば、運悪くと言っていいのだが――、半世紀近く大氾濫が起こらなかった時代であった。
ファトゥースの人々は、いつしか氾濫を忘れ、迷宮の周りに巨大都市を建設し、皇族貴族はこぞって移住し、迷宮の富による繁栄を謳歌した。
だが迷宮に遷都した後、一度の大氾濫で、全てが塵のように吹き飛んだ。
迷宮から大小さまざまな魔物が溢れると、たちまち壁を乗り越え、破壊し、平和慣れした人々に襲い掛かった。
迷宮で異能の力を得た騎士たちは、数の暴力には無力だった。
人々は、建物を破壊しながら溢れる魔物の洪水から逃げ惑い、嬲り殺され、喰われ、城門では数万の人間が圧死した。
死人で城門が塞がれ、逃れられない人々、油断しきっていた貴族は残らず魔物の餌食となった。
幸運にも、城から外へ逃がれられたのは人口の一割に満たない。そしてそのほとんどは、城壁を乗り越えて溢れた魔物に追いつかれて殺された。
そのような過ちが、その後も、二度ほど繰り返されたが、古カラム王国の学者、ハーラースによって、大氾濫の間隔と迷宮内の魔物の討伐数には相関関係があると分かり、それが実証されると、世界の情勢は一変した。
迷宮内で魔物を狩り続ければ、大氾濫は起きないのである。
試行錯誤を続け、大陸の国々は、ある組織を設立した。
それが、「迷宮管理協会」である。
第一の目的は、「大氾濫の防止」である。
戦争や国際情勢、災害などに拘らずに、魔物狩りを継続すること。
第二の目的は、「迷宮産物の公平なる分配」である。
迷宮の資源、宝物を、一国が独占することなく、市場、オークションなどにより公平に得る機会を設けることである。
魔物狩りは、命がけの仕事であったが、それにも拘わらず、多くの人間が大陸中から挙って迷宮に集まった。
根っからの冒険者や探検家、戦争や飢饉による移民、貴族や商家の次男や三男……。
あるものは一攫千金、あるものは人としての生活を求めた。
いつしか、迷宮周辺の廃墟は修復され、頑強な防御壁が築かれ、インフラが整備され、食料供給体制が整い、どの帝都や王都にも負けない一大都市となった。
現在では、人々は、その都市を「ラビリンセントラム」と呼ぶようになった。
いつしか魔物を狩る人は、「ヴェネイトル」と呼ばれ、近衛騎士にも並ぶ、憧れの職業となった。