第一章6話 【蘇る過去】
暗闇の階段を登って地上に出た。
この辺は既に真っ暗になっていたのだが、出入り口付近に松明をもっている人がうっすら見えていた。
僕とメランは気付かれないように明かりも持たずに村を歩き回った。メランは土地勘が良いのか迷わず歩き出したので、僕がメランの袖を持ちながら着いていくこと数十分。ミユリがいる部屋へとたどり着いた。
メランは部屋の前で立ち止まり、こっそりと鍵を開けて中へと入る。
中が暗闇で何も見えない。メランが出入口のすぐ側の壁にある部屋のスイッチを押すと、術式のようなものが発動し、部屋の明かりが付いた。
恐らく、スイッチに魔力を注ぎ込むことによって魔法が発動したのだろう。まだ魔法を上手く使いこなしていないらしいメランにも、スイッチに魔力を注ぎ込むくらいのことは出来るらしい。
部屋に入ると、苦しみに悶え息を荒くしている女の子がベッドで寝ていた。恐らくミユリだろう。
布団越しに見ても小さな体に痩せ細くなった手や足。顔は幼い美少女といった感じであるが、げっそりしているため悍ましい見た目になってしまっている。
「ごほっごほっ」
ミユリが激しく咳き込んだ。
「大丈夫!? 」
メランはミユリに駆け寄り、心配そうに見つめる。
「メラン? 」
ミユリが弱々しくメランの手を握った。
「うん、私だよ。もう大丈夫だからね」
メランはそう言ってミユリの手を握り返す。
「久也、お願いできる? 」
「う、うん」
メランが涙目で僕を見つめる。
胸が苦しくなるほどの緊張感に圧倒され、手の震えが止まらない。
これで治せなかったら、メランになんて謝れば良いのだろうか。どんな顔をして、メランと顔を合わせれば良いのだろうか。わからない。
ごくりと生唾を飲み込み、僕はミユリの手を握った。
全神経を集中させ、メランの傷を治した時のイメージを思い出す。
すると、手に光が集まってきた。
「よしっ」
僕は治癒魔法の発動が成功したことに嬉しく思った。
しかし、ミユリの顔色は一向に良くならない。
集中力が限界に達したところで、僕は手を離した。
「ごほっごほっ」
ミユリが激しく咳き込む。
するとメランはミユリにかけてあった布団をそっとめくり、襟元をまくって肩を出した。
ミユリの肩には紫色の痣があり、その痣からは緑色の泡のような膿が溢れ出ていた。
僕は思わず吐きそうになったがなんとか抑える。
「今度はここにお願い」
「わかった」
今度は直接肩に治癒魔法をかけてみる。しかし、効果は見られない。
それから、20分ほど経った。
僕が何度治癒魔法をかけても痣は消えず、顔色が良くなる様子もない。
メランはミユリの手を握ったまましゃがんでベッドに顔を疼くめていた。泣いているのか、諦めているのか、さっきからピタリとも動かない。
僕は相変わらず治癒魔法をミユリにかけていた。休み休みではあるが、初めて使う魔法を20分も使用しているのでかなりしんどい。
でも、メランは牢屋から出してくれた、命の恩人だ。ここは頑張らないと。
そして、これが終わったら……
「久也……」
不意に、メランに名前を呼ばれた。
「どうしたの? 」
「もう、いいよ」
弱々しく、メランが言う。
「僕、まだ大丈夫だよ」
「ううん、いいの」
そう言って、メランは立ち上がった。
「久也、手貸して」
「う、うん」
僕は頭にハテナを浮かべながらも、右手をメランに差し出した。
その時だった。
なんと、メランは僕の指に噛みついてきたのだ。
「痛っ! 」
必死にメランを引き剥がそうと腕を振るが、噛み付いて離れない。
「痛いよメラン! 」
指が引きちぎれそうな痛みに、思わずメランを殴ってしまった。
メランは手から離れ、後ろにふらつく。
「いったいなぁ」
メランが小声で呟く。
「どうしちゃったの? 僕何かした? 」
「うるさい、人間」
初めて会った時の、おっとりとした表情の彼女も、「にっしっし」 と無邪気に笑う彼女も、もう面影すら残っていない。
メランはまるで死んだ人間を見るような目で僕を見ていた。
メランは僕に手をかざし、
「縛伏! 」
詠唱を唱えた。
しかし、なにも起こらない。
「ちっ」
メランが、殺意のこもった目で僕を見ていた。
「訳がわからないよ。どうしちゃったの? 」
僕の言葉など無視して、メランは再度襲いかかってきた。
両肩を掴まれ、地面に押し倒される。
そして、メランは僕の右側の首元に噛み付いた。
「あぁぁぁぁ!!! 」
あまりの激痛に、ただただ叫んだ。
僕は全力で抵抗するが、メランの押さえつけが強すぎて引き剥がせない。しかもメランは顎の筋肉が発達しているのか、噛む力がめちゃくちゃ強いのだ。
そのままメランは僕の首元を噛みちぎり、押さえつけたまま起き上がって僕を見つめる。
メランは僕の肩の肉を咥えて、ニヤリと笑った。
肩が、燃えるように痛い。
右手が痙攣して、動かない。
なんで、こんなことになったのかなぁ。
こんな世界に飛ばされて、
いきなり牢屋に入れられ、
助かったと思ったらこのありさま。
きっとこのまま、僕は死ぬのだろう。
最後に、なにかできる事はないかな。
そうだ。僕は、君に聞きたいことがあったんだった。
「ねぇ、最後に一つだけ聞いてもいいかな? 」
メランは無表情で僕を見つめていた。
「悟は、僕に気付いたの? 」
ピクッと、メランの眉が動いた。
メランは咥えていた肉を落とし、
「やっぱりお前が私を……」
歯を食いしばり、僕を睨みつけた。
なんだ、メランは気づいてなかったんだ。と、僕は笑いそうになった。
そして次の瞬間、メランは僕の首を両手で締め付けた。
「絶対許さない! 死ね! 死ね! 死ね! 」
何度も何度も叫びながら、メランは両手に力を入れる。
僕は「ぐぅぅぅ」 と言いながら顎を上にあげた。
もはや、抵抗する気すら起きなかった。
決して、悟の手で殺されるのなら仕方ないかなとか、そんな罪滅ぼしのために生きる事を諦めたのではない。
きっと、僕は何をしてもダメだから。
こんな、どう足掻いても辛い事しかないような人生に、終止符を打てるのなら。
どんなに苦しくても、受け入れよう。
さよなら。
……
…
徐々に意識が遠のく。
かなりの時間首を締め付けられているのに、中々死ぬことができない。
どうやら強制的に治癒魔法を自分にかけてしまう、【オートヒール】が作用しているみたいだ。
意識が無くなれば楽なのだが、中々無くならない。
苦しい。
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。
「うぐぅぅ」
「死ねよ! ほら早く! 」
僕は終わることのない苦しみの中、プツンと何かが吹っ切れる音がした。
「かっ……ぐぐっ」
俺はメランの両手を掴み、首からゆっくりと引き剥がす。
「うぉぉあぁ! 」
ドンっ
メランは必死に抵抗するが、俺の力に負けてしまい、後ろに飛ばされてしまう。硬い木でできた地面に、メランは頭を打ちつけた。
「ふざけんじゃねぇ」
苦しみの中でこの世の全てにさよならを告げたはずの久也は、純然たる怒りを持って立ち上がる。
そして天井を見上げ、さっき死のうとしていた自分のバカらしさに笑いそうになった。
そもそも、どうして俺がこんな目に遭わなきゃならない?
俺が何をした? 俺は何も悪くないだろ。
自分が弱いから死んでも仕方ないだと?
ふざけるなよ。
こんな目に遭ったんだぞ。俺には幸せになる権利があるだろ。
弱気になってどうすんだよ、俺。
俺はゆっくり頭を下ろし、メランを直視した。
死ぬことすら許されないような、こんなクソみたいな世界だ。
強く生きようじゃないか。
「結局、弱い奴は死ぬんだよ。なぁ、悟? 」
ギリッと歯軋りのような音が聞こえた。
「絶対殺す! 」
メランは殺意のこもった目で僕を睨みつけ、全速力で襲いかかってきた。
俺に魔力が集まってくるのがわかる。
身体が火照り、顔が熱くなって燃えているようだ。
俺は手をかざし、
「縛伏」
メランが反射的に足をとめた。
無数の鎖がメランに襲いかかった。
「さぁ、殺し合おうか」