第二章8話 【逃亡】
メラン達がやってきた日から翌日の、仕事終わり。
太陽が沈み、外が真っ暗になった頃。
地下室にて、俺たち3人は輪になって座り、最終会議を始めていた。
とうとう脱獄の時がやってきたのだ。
「今日は頑張りましょうね……! 」
ふんすっと鼻を鳴らし、気合いの入った様子のシア。
「絶対に生きてここを出るわよ! 」
ソフィアも張り切っている様子。
「お、おう。そうだな」
俺はいまいちノリがわからなかったので、とりあえず生返事した。
「まずはギルを呼び出して説得ね。それでギルを連れ出せたら一番なんだけど……無理なら力づくでギルを押し退けてでも外へ出るわ。それでいいわね? 」
「ああ、大丈夫だ」
ギルには悪いが、仕方ない。これは命懸けの戦いなのだから。
「抜け出した後は私達の鼻を活かして人気の無いルートを通るわ。あと、問題は門の見張りだけど……」
「門の見張り? 」
俺は、初めて聞いた単語に戸惑った。
「そういえばあんた、眠らされてここに運ばれたんだっけ。私達はここに連れて来られた時ずっと起きてたからわかるんだけど、この国ってすっごい高い塀で囲われてて、出入り口は全部門で閉ざされてるのよ」
「なるほど、その門に見張りがいるって事か。で、何人くらい居るんだ? 」
「恐らく4、5人は居るでしょうね」
難しい顔のソフィア。
「おいおい、それ本当にいけるのか……? 」
早速不安になってきた……。
ただでさえ下級魔法しか使えない上に仕事で魔力が減っているんだ。
戦いのプロである見張り4人相手に、果たして俺たち3人で太刀打ち出来るのか?
眉をひそめ首を傾げる俺に対し、ソフィアは強気な姿勢で前のめりになり、
「私のスキルがあれば大丈夫よ! きっとなんとかなるわ! 」
根拠のなさそうな自信を胸に、堂々と言い切った。ソフィアのこういうところは、素直に凄いと思う。
「さて、そろそろギルをーー」
ソフィアが言いかけた瞬間、部屋の扉が開いた。
そこには、仮面を付けて深々とフードを被った男、ギルが立っていた。
「俺がどうしたって? 」
しかし、今日のギルはなんたか様子がいつもと違って見えた。いや寧ろ、いつも通りに接しようとしている感じが伝わってきて、逆にいつもと違った雰囲気に見えるのかもしれない。
ギルは扉を閉め、鍵を掛ける。鍵はそのままポケットにしまった。
俺たち3人は立ち上がり、ギルと対面する。
「聞いてたの? 」
ソフィアが問い詰めるように聞く。
「そりゃあもちろん。奴隷達の盗聴、監視は俺の義務だからな」
「じゃあ話は早いわね。どう? あんたも着いてくる? 」
ソフィアは軽い口調で尋ねた。しかし、目線はしっかりとギルを捉えている。
しかし、ギルは呆れたように嘆息した後、
「前にも言ったがな、脱獄は辞めておけ。お前達じゃあここからは絶対逃げられない」
やはり断られてしまった。薄々わかってはいたが、残念だ。
ソフィアとシアもギルと一緒に逃げたかったのだろう。下を向いて落ち込んでいるように見える。
しかし、シアが諦めない。
「あの、ギルさん。本当にこのままで、いいんですか? 」
潤んだ瞳でギルを見つめるシア。
「ああそうだ、このままでいい。このままでいる限り、これより酷い事にならなくて済むからな」
「一生ですか? 」
「そうだ」
ギルは冷たくシアに断言する。
「お前達に一つ、いいことを教えてやろう。前に本人に直接聞いたんだが、エルメスはこの町全体に探知結界を張っているらしくてな。だから、ボウズ達がこの地下室を飛び出して庭を出たら、直ぐに気付かれる事になる」
ギルは、まるで前から用意していたかのように、スラスラと話し始める。
「しかも、エルメスだけじゃない。この国は、各村から招集した選りすぐりの戦士が集まっているんだ。お前らはそんな奴らを相手にできるか? 」
威圧感のある声で言うギル。俺はそんなギルに圧倒され、縮こまってしまっていた。
「それでも、私達は……」
ソフィアは弱々しく反抗する。
「なぁソフィア。お前のスキル一つで、本当に二人を守れるのか? 」
「……」
ソフィア何も言い返すことが出来ず、俯いたまま押し黙ってしまう。
「無理だろ? だったらそんな甘い考えで、脱獄なんか考えるんじゃねぇ」
ギルは大袈裟に溜息を吐き、腕組みをした。
「わかったもういい……帰って」
珍しく諦めたような口調で、ソフィアがボソッと言った。
「……ああ」
怒っているような悲しんでいるような声でそう言って、その場を去ろうとするギル。
ポケットから鍵を取り出して扉の鍵を開ける。ギルは一度俺たちの方に振り返って何か言おうとしたが、何も言わずにまた前を向き、そのまま扉を開けた。
その時だった。
「硬化」
「おぉっ!? 」
不意に、ソフィアがギルに向かって詠唱を唱えた。魔法は効果を発揮し、ギルはドアを開けたまま動けなくなった。
その瞬間、ソフィアはギルの脇を素早く抜け、さらにはシアまで続いて部屋を出ていく。
「何してるの! 早く行くわよ! 」
「行きましょう久也くん! 」
「え、あ、えぇ!? 」
突然の事にポカンとしてしまったが、気を取り直して俺もソフィア達に続く。
こうして部屋を出られた俺たちは、全力疾走で長い廊下を駆け抜けていく。
「合図くらいくれよ! 」
「敵を騙す時は、まず味方からよ! 」
息を切らして走りながら、興奮気味に言い合う俺とソフィア。
「はぁ、はぁ」
シアが肩で息をしながら辛そうにしている。あまり走り慣れていないのかな?
「大丈夫かシア! 捕まれ! 」
俺は手を伸ばし、シアの手を掴んだ。そしてそのまま手を引いて走っていると、階段を登った先に出入り口が見えた。
「よしっ、もう少しだ! 」
二段飛ばしで階段を登り、外へとーー
「あたっ!? 」
後一歩ふみ出せば外へ出られるという所で見えない壁にぶち当たり、尻もちをついて倒れるソフィア。
先にぶつかってくれたソフィアのお陰で、俺とシアはなんとかギリギリのところで立ち止まる事ができた。
「これは、結界!? 」
シアはこの見えない壁に驚いた。
と、そのとき。
後ろから、追手が一人。
「もう逃げられねぇぞ」
ギルは黒いオーラを放ちながら、ゆっくりと近づいてくる。まだ距離はあるようだ。
しかし、追いつかれるのも時間の問題だろう。俺は無駄だとわかっていながらも、見えない壁を叩く。
「これ、なんとかして破れないのか? 」
「無理ですね、なにせ上級魔法ですから……ですが、3分しか効果は持続しないはずです」
3分もあれば直ぐに追いつかれることだろう。周りに隠れる場所もない。こうなったら、戦うしかなさそうだ。
「私がギルを引きつけるわ。シアは裏に回って援護して」
ソフィアが冷静な声で指示を出す。
「うん、気をつけてね」
「俺はどうすればいい? 」
「あんたは遠くから私達の援護ね。くれぐれも私達に魔法を当てないように注意しなさい」
「わかった」
「じゃあ、行くわよ」
ソフィアが静かな声で合図を出しすと、俺たち3人は素早く階段を駆け降り、ギルの前で止まる。
「おいおい、いい加減にしろよお前ら」
ギルの怒気を孕んだ声色が、廊下に響き渡る。
「あんたに何言われたって、私達はここから出るんだから」
「だからそんなの無理だって言ってるだろ! 」
「私達ならできるんだから! 」
子供みたいに希望的観測を叫ぶソフィアに対し、ギルは大袈裟に呆れたような仕草をした後、
「だったら証明してみろよ」
ギルはかかってこいよと言わんばかりに指をくいっと曲げ、俺たちを挑発してきた。
「やってやろうじゃない」
ソフィアからギリっと歯軋りのような音が聞こえた。すると「身体能力向上」と誰にも聞こえないような小さな声で詠唱を唱え、一気にソフィアはギルまで距離を詰める。
「てぇやぁぁあ! 」
いつの間にか生成していた刃渡り10センチほどのナイフでギルに斬りかかるソフィア。しかし、ギルは簡単に回避する。
ソフィアは何度も何度もナイフを振り翳すが、全てギルには届かずに空を切った。
その間、俺は下級魔法である身体能力向上を使い、暗視と盗聴で視野を広げて音を拾い、ギルに狙いを定めて【縛伏】を仕掛けようと試みる。しかし、なかなか狙いが定まらない。
というかギルを縛り付けるって、なんか抵抗があるんだよな……。
「今よ! 」
ソフィアが俺、ではなくシアに合図を送る。
シアはギルに手をかざし「氷球」と詠唱を唱えた。シアの手から美しい氷の球が飛び出し、ギルを襲う。しかし、それも全て回避される。
肩で息をしながら攻撃が当たらない事に落胆しているソフィアとシア。
そんな2人に見せつけるように、
「身体能力強化」
ギルが、わざとらしく詠唱を唱えた。
ギルも身体能力強化を使えるのか。まずいな……。
「縛伏! 」
俺は咄嗟に詠唱を唱えた。
鉄の鎖がギルを襲う。しかし、ギルは軽々とその鎖を鷲掴みにして引きちぎってしまう。
「てやぁ! 」
隙を見て襲い掛かるソフィア。続いてシアも再び【氷球】を繰り返す。しかし、
「甘い! 」
ギルがソフィアの手を引っ張り、シアの攻撃から守る盾にした。
「きゃあ! 」
氷の球が身体中に当たり、悲鳴を上げるソフィア。
「ソフィア! 」
目を見開いて叫ぶシア。
「心配してる場合じゃねぇぜ」
ギルはソフィアを担ぎ上げ、そのままシアに投げつけた。
シアは飛んでくるソフィアをなんとかキャッチする。凄い反射神経と身体能力だ。
しかし、ギルの攻撃は終わらない。
「水弾」
ギルが唱えると、無数に生成された水の球が物凄いスピードでシア達に降り注ぐ。
シア達は絶望的に高らかな声で叫びながら、後ろに吹き飛ばされた。そして、
「スリープ」
ギルがそう唱えると、シアとソフィアは安らかな眠りについた。
俺は過ぎ去るように起きたこの一連の流れを、ただ眺める事しかできなかった。いや、身体能力強化を使ったギルが早すぎて、目で追うのが精一杯だったのだ。
手に力が入らない。膝がもつれて言う事を聞かない。しかしこれは、恐怖によるものではない。
敗北だ。ギルの言う通り、俺たちは考えが甘かったのだ。
ギルは、今の俺たちでは到底敵わない相手だと思い知らされ、俺は絶望した。
重力に抵抗せず、だらんと手をぶら下げてぼーっとしながら眠っているソフィア達を眺めていると、ギルが俺の直ぐそばまでやってきた。
「まだやるか? ボウズ」
「いや、いい。俺達の負けだ」
俺は素直に負けを認めた。
「なぁボウズ、これでわかっただろ? お前達は個人も弱ければ、連携も取れていない。脱獄なんて絶対に不可能だってことが」
「あぁ」
悔しいが、ギルの言う通りだ。何も言い返せない。
「わかったらこいつら引っ張ってとっとと戻れ。明日も早いからな」
そう言ってギルは、自分の部屋へと帰っていった。
俺は、ここから逃げ出せるかもしれないという淡い期待を打ち砕かれたショックに、暫くの間動けなかった。