第二章3話 【魔力欠乏症】
シアは冷たい地面の上で苦しみに悶えながら息を荒げ、動かなくなっていた。露出した腕や首からは紫色の痣ができていて、その痣からは緑色の泡のような膿が出ている。
「シア! 」
ソフィアは涙目になりながらシアに駆け寄り、すぐに【ヒール】をかける。
「何ぼさっとしてるの!? あんたも手伝いなさいよ! 」
ソフィアが半目で鋭く俺を睨みつけてきた。
しかし、俺はこの症状に見覚えがあった。そう、ミユリの体に起きていた事と全く同じなのだ。という事は恐らく、【ヒール】では治らないだろう。
「これは……魔力欠乏症だな」
ギルが顎に手を置きながらそうつぶやいた。
「うそ……」
ソフィアが驚いた様子で【ヒール】の手を止めた。
「本当だ、前に見たことがある」
神妙な面持ちでギルは言って、シアを両手で持ち上げた。ソフィアは何かを言いかけてやめ、ギルに抱えられたシアを心配そうに見つめていた。
「とりあえず、早く部屋に戻ろう。ここに長くはいられない」
「今日はご飯、もうないの? 」
「とりあえず後でゴミ漁ってみるけど、あんまり期待するなよ」
悲しげな表情を浮かべるソフィアに対し、優しい口調のギル。
「ほら、行くぞ」
急かすように背を向けるギル。渋々ソフィアが立ち上がり、俺達は部屋から出た。
こうして俺たちは、地下室に戻る事になった。
「魔力欠乏症ってなんだ? 」
道すがら、夜道を歩きながら俺はギルに尋ねる。
「んー」
ギルは少し難しそうな顔をし、
「俺たちが今、こうして生きていられるのはな、その、魔力があるからなんだ。逆に言えば、魔力が尽きると死ぬ。ここまでは分かるか? 」
「まぁ、なんとなく」
「んで、ギリギリまで魔力を消費しちまうと、今のシアみたいになるってわけだ。まぁ普通はここまで魔力をその、使用する前に気を失うんだけどよ、なにせ消費魔力の半端ない、【完全治癒】を使ったからなぁ」
所々詰まりながら説明するギル。相変わらず何かを説明する事に慣れていないらしい。
「とりあえず魔力を補給すればいいって事か? 」
「まぁそういう事だ。だが残念な事に、魔力は飯食って寝る事でしか補充できない」
「マジかよ……」
寝る事はともかく、食事は確保することが難しい。食事と睡眠が魔力の原料となると、シアの回復は相当な時間を有する事になるだろう。
よって、明日は確実にシアを休ませないといけない。
「明日の仕事はどうなるんだ? 」
俺の質問に対し、ギルは一瞬口籠らせた後、
「仕事に休みはねぇよ」
そう言いながら地下へと続く階段を一段一段、ゆっくりと降りてゆくギル。両手には大事そうにシアを抱えている。ギルは仮面を被っているから表情が読めないが、声が明らかに暗い。
ソフィアもさっきから元気が無く、後ろでずっと黙ったままだ。
「もし明日仕事に復帰できなきゃ、街に出される」
「街に出される? どう言う事だ? 」
「今よりひどい事になるってことだ」
真っ直ぐ前を向きながら、ギルは答えた。
今日の仕事を乗り切る事で精一杯だった俺は、ギルの言葉を反芻し、考える。
このままだと、シアは街に出される……。
何をされるのか全く分からないが、シアが恐ろしく酷い目に遭う事は間違いないだろう。かといって食事を用意できるわけでもなく、明日シアが回復するかも分からない。
こんな絶望的な状況で、俺は一体何ができるのだろうか。
……全く分からない。
そもそも自分が生きていく事さえ困難な状況で、誰かを守る事なんて出来るのか?
……いや、無理な話だ。今の俺が、他人を気遣う余裕なんてあるはずがない。
もう何もかもダメなんだよ。俺も腹が減って、限界なんだ。
それなのにシアがピンチとか、冗談じゃない。
……あぁ俺は、最低だ。
黙り込んで下を向きながら歩いていると、嫌なことばかり考えてしまう。
人としての優しさや尊厳が、失われていく。
「シアが街に出されるなら、私を代わりに出してよ」
急にソフィアが走り出して俺達の前に立ち塞がり、そんな事を言い出した。
「それは無理だ」
ギルが即答する。
「なんで!? 」
「代わりにシアが病院で働けないからだ」
「そこは頑張ってなんとかしてよ! 」
シアの代わりにソフィアが街に出されても、病院で働ける人が減るだけで何も解決しないだろう。シアは用済みとして街に出されるのだから。
そんな事情はお構いなしでキツく叫ぶソフィア。そしてがしっと、ソフィアはギルの抱えるシアを奪い取った。
「そもそも、シアは何も悪い事してないじゃない! なのにどうして街に出されなきゃならないの!? 悪いのは全部、この国の奴らでしょ!? 」
ソフィアが、涙ながらに叫んだ。音は長廊下に反響して鳴り響く。
「なんで悪いことしてる奴が笑ってて、悪い事してないシアが苦しい思いしなきゃならないの!? ねぇ答えてよ! 」
ソフィアは激しい感情を抑えきれなくなったのか、シアを左肩で抱き抱えながらドンっと右拳を壁に打ち付けた。
ソフィアはこんな劣悪な環境の中、自分の事よりも先にシアの心配をしていたのだ。
……正直、胸が痛い。
しかし、ギルの返答は無かった。仮面をつけているので分からないが、泣きたい気持ちなのはきっとギルも同じだろう。
そう、みんな同じ気持ちなのだ。
俺もシアを助けたい。まだ出会ったばかりだけど、俺に優しく声をかけてくれた優しい彼女を。
俺は目を瞑り、自分の中にある魔力に意識を集中させた。するとまた不思議な感覚に駆られ、魔力を譲渡するイメージが浮かび上がった。
よし、今度こそ。
「ソフィア」
「なに!? 」
ソフィアが勢いよくこっちを向く。
「部屋に戻ろう。俺がシアを治す」
俺は自信満々にそう言った。