第二章2話 【病院での仕事】
俺たちはギルに連れられ、病院へと移動していた。
移動中、他の監修に連れられて歩く数十人の奴隷が病院内へ入って行くのを見かけた。どうやら女性が多いらしく、それぞれ女2人男1人の三人グループになって移動している。
奴隷達の頬には何かしらの動物の名前が書かれていたが、人と書かれた奴隷はいないみたいだ。
俺達3人は頬に【人】と書いている為か、周りから奇異な目で見られていた。
こうして病院に辿り着いた俺達は、病院内にある六つの部屋の内、一番手前かつ左側の部屋に入れられた。
「なんだここ、何もないな」
8畳程度の部屋の中に、ベットがひとつだけ置いている。それ以外は何もない。
そんなあまりに簡素な室内に、思わずそんな感想が口を突いて出た。
「ボウズはここ立ってろ」
ギルはそう言って俺をベットの目の前に立たせる。そしてベットを挟んだ向こう側にある扉の方角へ向かされた。
「怪我人が来るまではとりあえずここで待機だ。扉に向かってニコニコしときな」
「は? 俺らずっと立ちっぱなしかよ」
「当たり前だろ。まぁあんまり人来ねえし、立ってるのがボウズの仕事みたいなもんだな」
「まじかよ……」
わかってはいたが、俺達は座ることすらできないらしい。
「全く、グチグチうるさいわね」
俺に聞こえるか聞こえないかくらいの声でソフィアが言った。
という事で、怪我人が来るまでの間は扉を見つめて立つ事に。眠たいし空腹だし暇だしで、もしかしたら何かしている時よりしんどいかもしれない。
それでも座ることはせず、ずっと無言で立たされていた。
そしてようやく、1人目の患者が来た。
歳は五十前後だろうか。背の低い老婆が杖を突きながらやってくる。
「おはようございます。どうぞこちらにお掛けください」
シアが笑顔で出迎え、老婆をベットに寝かせようとする。
「汚い手で触るな」
老婆が杖で軽くシアの胸を突いた。
「すみません」
「早く治療しておくれ。急いでる」
「どこが悪いのでしょうか? 」
「腰だよ! 見りゃ分かるだろ! 」
……知らねえよ。
「すみません、すぐに始めます」
そう言ってベットに横になった老婆の腰部に【ヒール】をかけるシア。
俺達も途中から一緒になって老婆の腰部にヒールをかけた。
すると老婆はすぐに立ち上がり、
「もういい」
「左様でございますか」
俺達は老婆から手を引き遠ざかる。
「こんな臭い所、そう長く居られないね」
そう言って、老婆は帰って行った。
「なんだあのババア」
俺は思わず悪態を吐いた。
「あれでも全然マシな方ですよ」
シアが真顔でそう言った。
「今のでか……」
「はい。昨日はもっと散々でした」
「そうか……」
それから、続けて何組かの怪我人がやってきた。
どうやらシアが言っていたことは本当だったようで、それからはさっきの老婆よりも酷い人達であった。
「さっさとしろゴミが! 」
と言って殴ってくる奴なんかはザラで、もっと酷い人だとどこから汲んできたのかわからないような汚水をぶちまけて帰る。
でもなにより一番しんどいのは、なにも食べていないという事だ。
空腹は本当にキツい。何も考えられなくなるし、何もしたくなくなる。
そんな空腹で無気力な状態のうえ、罵詈雑言を浴びながら傍若無人に暴力を受けていると、だんだんと疲労も限界に達してくる。
「死ねゴミクズ! 」
朝の時間帯で最後の怪我人が帰って行った。
「今からちょっとだけ休憩だ。ちょっと待っててくれ」
そう言ってギルは部屋から立ち去った。
「はぁ」
俺たち3人はその場に座り込んで一息ついた。右隣でソフィアとシアも壁にもたれかかって座り、ぐったりしている。
「あー疲れた」
ソフィアが仕事終わりのお父さんみたいに呟いた。
「お疲れ様」
シアが優しく微笑む。
怪我人達を接待していたのはほとんどシアなので、一番疲れているのはシアのはずなのだが。
「なぁ、ギルはどこ行ったんだ? 」
「昼食を取りに行ったんだと思います」
俺の問いにシアが答える。
「昼食……やっと食事が取れるのか」
ようやく昼食が取れる事に喜びを噛み締める。
この世界での初めての食事。一体どんなものが出されるんだろう。モンスターを殺して食べるって言ってたから、肉かな……?
期待して待っていると、ギルが帰ってきた。
「ほれ」
ギルは腐りかけのカピカピになったパンを持ってきてくれて、それを三等分にして渡してきた。
あれ、パンあるんだ。と感心したが、それよりも見た目がアレな事が気になった。
「もっとマシなのは無いのか? 」
「そんなのねぇよ」
ぶっきらぼうにそう言ってギルは別のパンをかじる。
俺は改めて渡されたパンをよく見た。
パンは手の中に収まるサイズ。所々カビが生えている為、前世なら捨てていたところだ。
しかし、動けなくなるほどの空腹感に襲われているため、そんなことは言ってられない。
俺は頂きますと心で唱え、パンにかぶりついた。
「うっ」
香ばしいカビの風味が口いっぱいに広がり思わず吐きそうになった。でも気合いでなんとか飲み込んだ。
「ギル、水はないのか? 」
「ん? ボウズ水は生成できねぇのか? 」
「ん? 」
隣を見ると、シアとソフィアは自分で水を生成して手の中に集め、それを飲んでいた。
俺もイメージ力をフル活用し、なんとか水を生成する事に成功。パンでは全然腹が膨れなかったので、空腹感を紛らすために沢山水を飲む。
……ハンバーグ食べたい。
俺達はつかの間の休憩をぐったりと過ごした後、ギルの「そろそろ準備しろよ」という呼びかけに応じてすぐに立ち上がった。
その後もまた、午前中と同じく散々な目に遭った。
理不尽に怒鳴られ、理不尽に殴られ、理不尽に蹴られ、時に汚水をぶちまけられる。それでも俺達は嫌悪感などおくびにも出さずに怪我を治さないといけない。
途中で一度ソフィアが患者を睨みつけてしまった事もあったが、シアが上手く誤魔化してくれた。正直、シアがいなければもっと酷い事になっていただろう。
という感じで長い長い勤務時間が過ぎ、ついに最後の患者がやってきた。
最後に来たのは親子3人組。
三十代くらいの父母と、母に抱えられている6歳くらいの少女が1人。
少女は熱にうなされながら苦しそうに眠っていた。なんだかインフルエンザで寝込んでいる小学生みたいな様子だった。
俺は転生者しかいないはずのこの世界で親子がくることに疑問を抱いたが、とりあえず目の前の治療に専念する。
早速シアが少女をベットに寝かせ、【ヒール】をかける。
「お前らもさっさと動けよ! 」
父が俺とソフィアに向かって荒々しく指図してきた。
「すみません……」
渋々といった感じでソフィアが【ヒール】をかける。
俺も続いて治療するが、中々少女の容態が良くならない。
「あなたたち、ほんとに真剣にやってるの!? もしこの子に何かあったら、あなた達の責任よ! 」
中々治らない娘に対し焦燥感に駆られた母は、俺たちを怒鳴りつける。
「うぅ、ママ……」
「大丈夫よマリ。ママが付いてる」
目を瞑り熱にうなされている娘の手を、母はそっと握った。
その間も俺たちは必死に【ヒール】をかける。
しかし俺達もかなり疲労が溜まっていた。なにせ朝早くから夕方まで休まずにずっと【ヒール】を使い続けているのだ。
【ヒール】は集中力をかなり使うし、というかお腹が空いて力が出ないし、しかも今までの罵詈雑言や数々の暴力のせいで心も体もボロボロ。
そんな状態でもこうして【ヒール】が使えるのは、やはり【オートヒール】のおかげであろう。
とはいえ、どれだけ頑張っても治らない。数十分経って、ついに痺れを切らした父が俺の胸ぐらを掴んできた。
「おいゴミいい加減にしろよ。いつになったら良くなるんだ」
俺は手を止めて父を真っ直ぐに見つめた。不思議と怒りや恐怖はなく、「ああ、またなんか怒ってるなぁ」という感じだった。
「わかりません」
「わからないじゃねぇんだよ! ……ちっ、もういい、他を……」
と言って俺から手を離し、部屋を出ようとした父が何か思い出したかのように振り返る。
「そういえば、この中に【完全治癒】が使える奴いたよな? 」
俺だけが理解していないらしいその【完全治癒】という言葉を聞いて、ソフィア、シア、ギルの空気が変わった。
「待ってください。それは流石にダメです」
珍しく口を開いたギルが止めに入る。
「あ? お前はすっこんでろよ」
「そういう訳にはいきません。そのスキルは死亡するリスクがある為、エルメス様に使用を控えるよう仰せ使っております」
「黙れよ仮面を被った化け物が。こっちは大事な娘の命がかかってるんだ」
「ですが……」
【完全治癒】を使わせようとする父を必死に説得しようとするギル。
そんなにも危険なスキルなんだろうかと、俺も危機感を覚えた。
「まぁいい、どうせこの銀髪の女だろ? 」
そう言って父はシアの髪を掴んで持ち上げる。
「ほら、早く使えよ」
父はシアに顔を近づけて【完全治癒】の使用を強要した。シアは涙目で俯いたまま動かない。
隣を見ると、ソフィアが今にも殴りかかりそうなほどに父を睨みつけ、拳を震わせている。
「ちょっと、まーー」
「まってください」
ソフィアが言いかけるのを遮り、俺は前に出た。
「少し、時間をいただけませんか? 」
「あぁ? 」
「お願いします」
俺は深々と頭を下げた。
「わ、わたしからもお願いします」
はっとした様子で俺の横に来て、ソフィアも頭を下げた。
「ちっ、早くしろよ」
「ありがとうございます」
そう言って俺はもう一度お辞儀をした後、少女に向き合った。
実は俺は、不思議と治せるような気がしていた。これは、初めて魔法を使えるような気がした時と同じ感覚だ。
少女のお腹に手を当て、体の中に神経を集中させる。少女の全身のデータが俺の頭の中を駆け巡る。
体の中に有害なウイルスを検出。治療魔法の構築に成功。直ちにウイルス排除処理を実行ーー
ーー失敗。
「え……? 」
納得のいかない結果に、思わず声が漏れてしまう。
「おい、どうした」
父が不機嫌そうに俺を睨み、重苦しい空気が流れる。
「もういいだろ」
「待ってください! 」
「いい加減にしろ! いつまで待たせんだよ! 」
父が俺の髪を引っ張り、地面に投げつけた。
「うっ」
俺はゴンッと鈍い音を立てて頭を地面にぶつけ、悲痛な声を漏らす。
「今もマリは苦しんでるんだよ! 」
そう言って、俺の顔を踏んづける父。
「おい銀髪、早く【完全治癒】を使え! 」
「ですからそれは……」
ギルが止めに入る。
「お前らの命なんかマリの命に比べれば安いもんだろ! それに、こいつが死んでも治癒魔法使える奴なんてまた探せばいい! 違うか! 」
「ですが……」
「もういいですギルさん」
シアが俯いたまま暗い声でギルを止める。
「私、やります」
「ちっ、初めからそう言えよ」
シアは父の悪態など気にも留めず、スタスタと少女の前に立った。
そして、迷う事なくスキルを行使する。
「【完全治癒】」
シアが詠唱を唱えると少女は眩い光に包まれた。そして光が消えた頃にはなんと、あれだけ治らなかった病気が完治していた。
少女は起き上がり、目をぱちくりさせる。
「あれ、ここどこ? 」
「マリ! 」
がばっとマリに抱きつき、涙を流しながら娘の回復を喜ぶ母。
「おぉ、マリ! 」
父も涙目でマリと母を抱きしめ、喜びを噛み締める。
「もう、パパもママも苦しいよ」
「あぁ、そうか。良かった、良かったなぁ」
さらに強く抱きしめて笑う父。
「だから苦しいってば! 」
マリは頬を膨らませて怒った。
「ははっ、そうか」
「むぅ……でもパパ、ママ、マリの病気治してくれて、ありがとう」
マリは拗ねたように見せた後、笑顔で両親に感謝を伝えた。
そして3人は楽しそうに笑いながら、この部屋から立ち去っていったのだった。
……シアが倒れてる事にも気づかずに。