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一章 2 『レイン』

 青い。瞼を閉じているはずなのに、青い。そして、温かい。その光は、包み込むようにトモの身体を癒していく。その心地よさにいつまでも包まれていたいと思ったトモだが、青は次第に薄れていきすっと消えた。その瞬間、暗闇に投げ出された。


 目が開いた。トモは、ぼやける目を擦りながら、辺りを見渡す。


「そうだ、俺は…… ! 」


 トモは、壁にうなだれている少女を発見した。その姿は、捨てられた人形のようにぐったりとしていて起きているときの輝かしさを疑うほどだった。


「おい大丈夫か ! 」


 ……反応はない。


「何で……、違う……違う、違う……違う !

 俺はただ…………」


 一番起きてはいけないことが目の前で起きている。トモはそう察し、頭を抱える。


「起きたんだ、よかった」

「え ? 」


 人形のように動かなかったのに、急に声をかけてきたので驚く。少女は安心したのか、トモを見て微笑んだ。ここまでしてくれるなんて、傍から見ると心を打たれる行為だろう。しかし、トモにとってこれは悲痛でしかなかった。


「ごめん、俺のせいで……」


「ううん、全然大丈夫 ! エナを使いすぎただけだし」

 少女はまた笑顔を送る。暗い路地裏を照らすかのような明るい笑顔。だが、


「何が……何が大丈夫 ? そんな顔で見られても俺が……俺が苦しいだけだ ! 」


「……」


 トモは、拳に力を入れる。伸びきった爪が薄い皮膚を破り、血が流れるが気にしない。辛いのに苦しい顔のひとつも見せず微笑んでくれる少女を見ていると、ただただ情けなかった。息が詰まるように苦しかった。そして、自分のくだらないプライドに負けた。少年は尽くしてくれた少女に対して、感謝より先に彼女の優しさを踏みにじる言葉を自分本位になって吐いてしまったのだ。


「あ、あなたはこの国の人じゃないでしょ。私ね、あなたを初めて見たとき、疑念だけじゃなくて、この人、私の大切な人の一人になるかもって感じたの。危ないとわかっていながら、路地裏に呼んだのは悪かったわ。だけどこうなったのは、私の勝手だから……だから、そんな、苦しいだなんて言わないで」


 少女は、青く美しい瞳を潤わせていた。

 だが……


「わかった。ありがとう。でも俺はその大切な人にはなれない。この国に来たばかりだけど、これから旅に出ようと思う。君のことは忘れない……じゃあ」


 感情が上手くこもらなかった。本心は、この子の傍にいたい。当たり前だ。そのためにここに来たのだ。だが、チャンスはもう潰れてしまった。たった一言。たった一言を喉の奥から零してしまっただけで後戻り出来なくなった。突如現れた自制心がトモを縛り上げ、こんなにも近く、手に入りそうな距離なのに少女に触れられない。目を見ることすらできない。


 ーーこれ以上、この子の優しさに浸るわけにはいかない。ほらさっき戦った悪魔も、「お前には才能があるのにどうして」的なことを言ってたし、ここは旅にでも出て、才能が花を開けば英雄に、開かなければ、現代知識無双なんてのもいいかもしれない。


 葛藤の最中で逃げ道は完成していた。それができてしまえば最初から葛藤なんてなかったのかもしれないと錯覚してしまう。


 助けてくれた少女のいる方向に愛想笑いをしてトモは、歩き始めた。身体が軽いのは、少女の治癒魔法のおかげである。救ってくれたことは感謝しきれない。そして、このまま彼女優しさに浸ったなら、幸せな日々訪れるのかもしれない。だが、振り返ることはできなかった。


 ーーこれでいいんだ、これ以上は駄目なんだ。折角の異世界、上を向いて歩こう。ほかの国で活躍することも、力をつけてまた戻ってくることもできる。この子は、そのときでいい。たとえそのときが来なくとも。


「ねえ、待っててば」


 腕を掴まれる。振り払おうとするが、その細くて綺麗な指と柔らかい手のひらの感触からは想像出来ないくらい力が強い。


「なっ ! 放せって ! 俺はもう行くんだ、これ以上、俺に突っかかってくるな ! 」


「手、怪我してるよ……困ってるんだったら私に……」


 彼女の青い瞳から涙がこぼれた。涙は、薄暗く湿った地面に吸収される。


「ごめん」


 ーーわかっている、俺は最低だ

 トモは緩んだ手を振りほどいて走り出した。


「うがっ」


 走り出した矢先、壁にぶつかった。


「姫……」


 トモは突如現れた壁を見上げようとするも、いや見上げたはずが地面が近くなり、


「バタッ……」




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 目が半分だけ開いた、天井がある。頭上を木で作られたプロペラが静かに回っていて、心地よい、木の香りを届けてくれている。トモは、ソファーに寝かされていた。天井は暗めの色をした木が使われている。木目がバラバラで天然ですって感じがして力強さがある部屋だ。非常に凝っている。


「ここは、どこだ ? 」


「起きたんだな ! 」


「ああ、起きた……って ! この声はもしかして、クマっ ! ? なんでお前がいるんだ ! お前もしかしてあの子と繋がっているのか ! ? 怪しい……お前は誘拐犯か ? 人身売買は御免だ ! 俺は今から交番に行くぞ ! 」


「コーバン ? なんだそれ。頭強く打ちすぎておかしくなったか ? まあ、おいらが殴ったんだけどな」


 トモは、逃げるために丁寧にかけられたタオルケットを払いよけ、立ち上がった。


 クマと目が合う。

「おっ、お前ぇぇ ! ? ……何だよその着ぐるみ」


 そこに立っていたのは、トモを殴ってここに連れてきた張本人。そして、トモの異世界転移に、最も関連していそうなクマ。その容姿は、どこからどう見ても、クマの着ぐるみだった。腕からして、獣人だと思っていたが、どう見ても着ぐるみだ。


 身長はトモとほぼ一緒。全身を覆っている明るい茶色をした体毛はリアルに生えていてアクリルで出来ているとは言い難い。顔は、愛嬌があり、喋らなければ万人受けのマスコットキャラクターだろう。悔しいが、ご当地キャラになれば、上位に食い込んできそうな見た目だ。


「おいらは、着ぐるみでも、ぬいぐるみでもないんだな。街で獣人が歩いてるのを見ただろ、まあそーゆーことなんだな。で、お前は何がしたいんだ ? コーバンってのはこの街にはないんだな。おいらはお前なんかにそこまでしなくてもと思ってる。嫌ならここから逃げ出してもいいんだな。まあ……」


「じゃ、そうさせてもらいます」


 ーー考えることもないだろう。なにしろ俺を気絶させてここまで運んできたんだ。話してみて嫌な感じはしなかったが……


 そう思いながら、トモは、ドアノブを握る。勢いよくドアを開いた瞬間だった!


 圧縮された空気がドアが開くのを今か今かと待ってたかのように、凄まじい音で風が吹き荒れた。風なので色はついていないもののバックドラフト現象のように。

 トモの身体は台風の中を舞う飛翔物ように簡単に飛ばされ、それをふわふわのクマがキャッチする。


「姫……ちょっと荒いんだな」


「ベル ! ちゃんと説明はしたの ? どうせしてないよね ! ? ベルは優しすぎるのよ ! 」


「いや、姫はもっと優しいと思うんだけど……」


「いいわ。私があなたに現実を教えてあげる」

「フーラ ! 」


 クマから姫と呼ばれる金髪のあの美少女に、腕を掴まれたトモは魔法 ? の詠唱とともに時空の歪みから作られた渦の中心に吸い込まれて……




「はっ ! おいっ、いきなり何すんだよ。俺は、もう君の前にはいれないって言ったよね ? 治療費か ? 何だっていうんだ ! それと、ここはどこだ……向こうに大きな街、城があるってことは……」


「そう、ここは『ギルシア王国』郊外よ」


 街の中とは大違いで、緑豊かな草原が広がっている。草の匂いを届ける風がなんだか懐かしい。それにしても、驚くべきは、『ギルシア王国』の広さだ。街の中にいたときは城の大きさには驚いたものの、ここまで街が発展しているとは、思わなかった。


「ふーん。そうか……わざわざ、ありがとう」


「もう行くの ? 危ないよ……」


「俺を引き止めたいのか、行かせたいのか、どっちなんだ ! 君は何がしたい ! ? 」


「私は…………」


 少女は、口を噤む。トモは、口を噤んだ少女に追い打ちをかける。


「どこが ? 外の世界も平和じゃん。果実が生っていて、畑もあって、向こうには村もあるじゃないか ! これは、スローライフにもってこいだな。いやいや、他国で英雄と崇められるんだった、スローライフは二度とごめんだ。おっ ! 第一村人発見 ! じゃ、お別れだ。ありがとう」


 村の方からお婆さんが歩いてくる。腰が、くの字に曲がっていて、丸ぶち眼鏡をかけている。手にバスケットを持っているあたり、果実でももぎに来たのだろう。


 トモは、取り敢えず、あの村に向かうことにした。お婆さんがいるということで人が住んでいそうだし、そこそこ発展しているように思えたからだ。できれば遠くへ行きたいと思っていたが、地理的なことを知っておかないと旅は厳しいのでここはひとつあの村を第一拠点にすることにした。


「そうね…………ねえ、下位悪魔」


 鈴の音のような美声がチリンと鳴った途端、目の前のお婆さんは忌々しい悪魔へと姿を変えていた。邪悪な爪と牙が路地裏で戦った悪魔を彷彿させる。


 元は、お婆さんだったはずの物体がトモを覆いかぶさるように襲う。


「ひっ」




 黒い爪で切り裂かれるすんでのところで時空が歪んだ。気づいたときには、トモは、木の香りが強い趣深い部屋にいた。棚においてあるマトリョーシカがにんまり笑っている。


「はぁ、はぁ、これが現実よ。言いたいことはわかるよね。ここにいて……」


 少女がふらつき倒れかけたところをクマの着ぐるみが支える。


「姫が固執するのもわかるけど……ジグロさんもいないし……表か裏かって点で……難しい選択なんだな」


「でも、じいが言ってったんでしょ」


「そうだけど……」


「じいは生きる伝説じゃない ! じいの目を信じてあげよう。私も大丈夫だと思うし」



「意味わかんねぇ……」

 隣で繰り広げられる会話が聞こえないほどトモは頭を抱えていた。理想と現実が混ざり合い何を信じればいいのかわからなくなっていた。


 ーーこの世界に召喚された弱っちい俺には、一本のレールしか引かれてないのか ? 異世界ってのは、もっと自由でのびのびと出来るもんだと思っていたのに……

 トモの異世界のイメージが瓦解していく。


 頭の中で描いていたものが薄れていき、真っ白になったせいで彼女の言った「ここにいて」という言葉だけが、トモの頭の中で、何度も、何度も繰り返される。ーーどうすればいいのか、妄想は得意で方針をぱっと決めれるトモだが、軽い混乱状態に陥っていた。その結果、空っぽになったトモは、無意識のままその言葉に縋り無茶苦茶な答えを出してしまった。


「さっきのって、告白 ? 」


 トモは、自分でも何を言っているのかわからなかった。


「えっ ! ? 」

 静かにしていた少年が突飛押しもないことを言ったので少女は驚いた。


 支離滅裂も甚だしいところだったが、

「もっもう、ただここにいて欲しいだけだって」


 返ってきた言葉と態度もなかなかのものだった。悔しいが可愛いと思ってしまった。脈アリってやつだろうか……だが、おかげでトモの中の蟠りが吹っ切れた。この子の傍にいなければならないそう思った。


 ーーこんな冗談も間に受けてしまうなんて本当に馬鹿で可愛い。いくら強くてもほかの部分で損をするタイプだ。目の前にこんな子がいるのに放っておけない ! 救われるんじゃない救うんだ。次は、本当の笑顔を見るために !


「姫が言っているのは、外に行ったら死んじゃうから、憐れんでのここにいてってことだな」


「水を差しやがって、それはごもっとも、重々承知だって。じゃあ、なんか悪いんだけどよろしく。現実を考えると、ここにお世話になるしかないわ……で二人の名前は ? やっぱり聞いとかないと。クマの方はベルとか呼ばれてたからベルックマとか ? ああ、まずは俺からか、俺の名前は……ん ? なんか急に寒く……」


「えっ……………………何で……」


 殺意を感じ、背筋が凍りつく。


 鋭く尖った無数の氷がトモのことを囲んでいた。



『名のない怪物』……





 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ある所に少年がいました。彼は名前のない、出身不明の孤児でした。ですがある日、貧民街で国王の目に触れます。当時の国王は国の建国者で人徳があり、カリスマ性に溢れていたそうです。「この子は強い目をしている」国王は少年のことが気に入りました。少年に興味があった国王は臣下に彼のことを調べさせますが、彼については何もわかりません。しかし、彼の将来性を捨てきれなかった国王は彼に国からの支援を与えることにしました。


 少年は同年代の子と共に教育を受けました。読み、書きが全くできなかった少年ですが、彼は誰よりも努力家でした。当時、少年は空気のように存在が薄かったことから、周りの子に「エア」と呼ばれます。いじめにも発展しましたが少年は名前をつけてもらえたことを嬉しく思い、自分でもそのように名乗るようになりました。そして、一年が経った頃には同世代の中で成績がトップになっていました。


 この国には、十歳になった男子は剣を握るという教育方針がありました。この頃は、商業だけではやっていけない他国との争いが絶えない時代でした。

 エアは、文才はなかったものの、剣に関しては先天的なものがあったようで、その才能を開花させます。


 十二歳でエアは、国王軍として国王に仕えます。国王とエアのには、立場的に距離がありましたが、国王は影からずっとエアのことを見守り続けていました。国王はエアの成長が楽しみでした。


 十四歳でエアはその頃、顔を出し始めた悪魔と遠征の最中に相対します。中位悪魔でした。部隊は壊滅、しかしエアだけが生き残り、悪魔の首を持って王都へ帰ってきました。


 このこともあってエアは、王の次期剣聖として王の隣にまで来ました。歴代、剣聖というのは一人だけで、歴史ある剣聖一家から排出されるという決まりでしたが、国王は、エアの居場所を作るために「次期剣聖はあなたの息子とこの少年の二人にする」と剣聖に告げました。剣聖はもちろん反対でしたが、国王には逆らえません。しかも、国王は剣においてエアの面倒を見てほしいとお願いしました。剣聖はエアのことをいい風には思いませんでしたが、面倒を見るうちに自分の息子と同じ態度で接するようになりました。


 エアは人の鏡のようでした。国王にはエアと同じくらいの長女そして、双子の次女、長男がいて、エアとも仲良くしていました。とくに長男とは、歳が少しばかり離れていたものの、男同士ということもあって傍から見ると、兄弟のような深い信頼を築いていました。


 二人の次期剣聖が十五歳のとき王国に上位悪魔が現れました。上位悪魔は圧倒的な力で剣聖でも深手を負わせるのがやっとでした。ですが、剣聖が亡くなった頃には既に勝負がついていました。上位悪魔については、剣聖の愛弟子たちが敵討ちに成功したという美談で片付けられ、二人の新たな剣聖が誕生しました。ですが、この頃からエアの様子がおかしくなり始めました。上位悪魔との戦いの中で悪魔に「お前は名のない怪物だ」と言われたことがエアが自分を知ってしまうきっかけとなったのです。「名のない怪物」それこそがエアの本当の名前で、それだけが自分を証明する鍵だったのです。エアは極力誰にも会わないようにしました。自分は怪物、国を消滅させるために生み出された怪物だと心に住む何かが言ってくるのです。国王に会うと自然と殺意が芽生えてきました。


 耐え切れなくなったエアは逃げ出しました。何度も自殺を図りましたが呪われの身らしく死ねません。そして、気づいたときにはエア、いや「名のない怪物」は人ではなく、悪魔に慕われていました。

 エアは魔王となって、いつか必ず訪れる国王を殺す日を深淵で待つのでした。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 少女は、目を瞑り落ち着きのある声で『名のない怪物』について説明した。何度かクマの着ぐるみが少女の話を止めさせようとしていたが、少女は、何も言わず首を振った。部屋は静まり返った。

 説明中もずっと銃口を向けられたような状態だったトモは、緊張からか話があまり頭に入ってこなかった。


「名前……それはその人を証明するものの一つよ……」


 そう言ったのは、トモを取り巻く氷を生成した張本人だ。


「姫……エナからしても、姫の言いたいことはわかるんだな。でもよーおいらはこいつを『名のない怪物』思わないんだな。だってそこらの下位に負けるくらいだろ。まあ、悪魔に化けたら困るから、今すぐにでも殺せるように構えとくんだな」


 この着ぐるみグマは、本気で殺しにかかるらしい。もしトモが悪魔に化けたなら。


「今、しれっとディスったな」


 未だ、鋭い氷に囲まれているトモは、震える声で指摘する。


「そうね、私もそう思いたい。これは、保険。万が一のことがあれば死んでもらう、自分勝手でごめんね……あなたにはわかんないかもしれないけど、許して……」


「『名のない怪物』か……エアがどうのこうのとかは、あまり入ってこなかったけど、話の意図は一応わかった。つまりあれだろ、よからぬものに感染した仲間を、苦渋の決断で殺すっていう、涙腺崩壊シーン。いやなもんだね、いざ殺されるかもしれない側にたってみると。仲間になったばかりの俺の場合違うか……っていうか、お二人さん ! なんか、静かに、速やかに殺そうとしてない ! ? そもそも俺、心当たりゼロなんですけど……名前も生まれたときに付けられたものだし、生まれ変わっているって説は普通に考えたらないですし……って言っても駄目か。クマに撲殺ってのは嫌だけど、君みたいな美少女になら殺されてもいいかな……うん。本望。あ、でも痛いのは嫌だから、一発でお願い」


 ーー俺は、国外に出ても死ぬだけだ。この世界で名のない怪物として転生させられたならここを切り抜けたとしても、どうせ蔑んだ目で見られる。俺はどこにも居場所のない弱者、それならとっとと運命を受け入れて死に……だけどやっぱり……死にたくない ! どうすればいいんだよ、何なんだよ……


「ふふっ……涙出てるよ……痛いのは嫌なんだね。わかった、そのときはそっと凍らせてあげる」


 少女は、トモのジョークに微笑する。こんなに憎い状況だが、笑うと尚可愛い。寧ろ、そう思ってしまう自分が憎い。


 気温、そして、冷たいはずなのに温かい言葉と共にトモの溜飲は下がってしまった。


 殺す側にも相当な覚悟がいるに違いない。この微笑みは、その覚悟なのだろうそう思うことで、トモは意を決した。


 周りを囲んでいた氷は空気中に霧散して消えていった。トモは、弾けるように散り霧散していく氷に目をとらわれていると、少女に抱擁された。


 少女の抱擁によって、トモの頬は意図せず紅潮するが、今のトモにあるのは、少女の体温といい匂いを感じれないくらいの緊張感だった。


 心臓の鼓動が頭の中で鳴り響く。


「あなたの名前は ? 」

 小さく、そっと囁かれたその言葉が耳に刺さる。初対面から感動のシーンにまで取り入れられることのあるこのフレーズが死に繋がるかもしれないとは、残念で仕方がない。



 トモは、大口を開けて叫んだ、


「俺の名前は………………………………田下 共 。 俺はタノシタ トモだぁーー ! ! 」


 ーーはあ、こんな名前だから異世界に飛ばされたと言っても過言ではないだろう。死んだら末裔までこの名字と名前をつけた親を憎んでやる。あっ末裔は俺だった……


 トモは泣きながら笑っていた……



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「そう、あなたはトモ。期待してる」

 トモは心の中で誰かが呟いたような気がした。



「トモ……素敵な名前だけど凄く近所迷惑。ごめんね、『名のない怪物』なんてどうかしてた……私の名前はフェル、ただのフェル」


「そろそろ、この理不尽の渦から抜け出したいんですけど……」


「まあ、仕方のないことなんだな。ん ? 名前 ? おいらはベルセルク。我ながらいい名前なんだな。っていうか、いつまで抱き合ってんだな……」


「何で伝説上の戦士みたいな名前なん……」


 落胆、恐怖、幸せ、悲しみ、いろんな感情を刹那で味わってトモは疲労困憊。ベルセルクから注意を受け、フェルが解放すると、トモはそのままパタリと倒れてしまった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 風が心地よい。そして、木の香り。トモは、ソファーの上に寝かされて丁寧にタオルケットがかけられていた。異世界二日目の朝だった。


「んー眩しい、朝日 ? 俺は寝てしまったのか。確か、フェルとベルセルクだったな……親切にしてくれるのはわかるけど。あーもう ! これからどう接すればいいんだよ……相手が、美少女と着ぐるみだし」


 クマに殺されたかと思えば、異世界。悪魔に殺さえれかけ、フェルに助けられ、殺されかけた。この世界のどこに自分の居場所があるのだろうか……

 ここでいいのだろうか ?

 誰を信じればいいのだろうか ?

 これで合っているのだろうか ?

 自分はどう生きていけば良いのだろうか ?

 トモは、一人、疑心暗鬼になっていた。


 だがトモは、彼女を許した。許さなければ進めなかった、許すほかなかった。


 そんなトモの元に、


「おはよー ! ぐっすり眠れた ? 昨日はごめんね。気分悪い ? 」


 ドアから勢いよく入ってきたのは金髪美少女のフェルだ。昨日と違って、ダークブラウンを基調としたエプロンとバンダナを身にまとっていた。地味っちゃ地味だがフェルの元々の明るく煌びやかなところとうまく調和し、いい具合にまとまっていてより可愛い。後ろで結ばれた大きなリボンもチャーミングだ。


「おはよ、元気、元気 ! それよりどうしたのその格好」


「よかった〜。これは仕事用だよ ! 」


 不格好な笑顔でとにかく元気だということをアピールするも、トモは、服装を褒め忘れたことに気づき、頬の筋肉が緩む。


 これで、異世界の二日目を迎えたわけだが精神面はズタボロだった。これまでの人生で経験したことのないような重圧。人の波に揉まれ、巻き込まれ、荒い渦の中で心が擦り切れていくようだった。だが、男である以上、美少女を前に弱音を吐くような真似はできなかった。


「私たちはここの下でカフェテリアをやってるの。『レイン』って店。じーがこの店を作ったんだけど、今は長期休暇中。昨日、調べ物をしてくるとか言ってどっかに行っちゃったらしいの。じーが居ないと、この店が苦しいからトモも今日から手伝って ! 」


「カフェテリアって洒落た言葉が出てきたな。まさか異世界カフェテリアが俺の初カフェテリアになるとは……」


「ん ? トモの故郷には、カフェテリアがなかったの ? 」


 フェルは、不思議そうな顔をしている。

 トモもトモで異世界の飲食店の王道は酒場だろうと思い疑問を抱いていた。


「なかったよ。それより、じーってのがめっちゃ気になるんだけど。絶対強いでしょ」


 トモは、強がりでも「あった ! 」と答えたかったが、身内 ? 同じ釜の飯を食うであろうフェルには、今後、齟齬が生じないようにするためにも正直に話した。田舎生まれということは、言わなかった。というより言いたくなかった。故郷にカフェテリアがないということで、時既に悟られているかもしれないが。


 そしてこれは、話を切り替えるという巧妙なテクニックだ。ここで凄いのが、トモは、本当に切り替え先が物凄く気になっていて自然と発動したということだ。元々トモに、上手に話を切り替えるという技術はない。言い逃れは出来ないタイプだ。


 トモは、めっちゃ強いおじいちゃんキャラが大好きな類の人種だ。男のロマンというか、背中で語るというか、言葉では言い表せないくらいの渋みというか……

 たまに畑にでて、せかせかと働くアリに向かって言っていたものだ、そりゃ悪手だろ。蟻んコと。まあこれだけではないが……とにかく数多のジジイから感動をもらってきた。


 なんだか幸せそうな顔をしているトモを前にして、フェルは得意げに、


「うん、強いよ。だって元々剣聖だったもん。ギルシアには剣聖が二人いるの……オルフェウス・モス・ハーディンとプラト。じーはオルフェウスの祖父、ジグロ・モス・ハーディンよ」


「えぇーー ! ! 元剣聖がカフェテリアってどんなロマンチストだよ ! 剣振れて、お茶を入れれるって絶対紳士でダンディーじゃん ! 俺、ギャップ萌えしちゃうかも ! この部屋が凝ってるのもわかるわ ! 昨日かぁ、くっそー、すれ違い通信かよ ! あ、働く件は勿論オッケー」


 トモは、吃驚仰天だ。なんたって、元とはいえ、剣と魔法のファンタジーの「剣」の頂点を示す称号を一度手にしているジグロの店で働けるのだ。


 トモは、ここまでの立ち回りに自分自身でマイナス評価をつけていたが、実は、これこそが正しいルートで、自分の行いは正しかったのだと自らを自負しだす

 。最良のルートは、昨日、クマを探してジグロさんと会うことだったかもしれないが……


「下はもっと素敵よ」


 フェルに招かれ階下に降りると……鼻の奥まで突き抜けてくる茶葉の心地よい香り、綺麗に整頓されたショーケースの中のティーカップ、アンティークな店内、タキシードを着たクマが待っていた。


「なんでクマがタキシードを着てんだよ ! 」

 トモは、キレのよいツッコミを入れる。


「おっ、起きたんだな、おいらは、ベルセルクだぞ。くまじゃないんだな。んー、くま人間 ? いや、やっぱ人間なんだな。あと、このタキシードはジグロさんの嗜好なんだな。まあ、おいらが作ったんだけどな」


「ジ、ジグロさんの ! すみません。ベルセルク様、私が未熟でしたー」


「ジグロ・モス・ハーディン。又の名を生きる伝説」


 ベルセルクは誇らしげな顔をしている。どうやら上での会話に聞き耳を立てていたようだ。


「いっ、生きる伝説 ! ? どういうことですか、ベルセルク様」


 短い腕を組みフムフムという調子で話し出そうとしたベルセルクに対してフェルが水を差す。


「強いってことだよー。タキシードだけど、トモのもあるよ。はいっ、じーが着てたやつ。置いてったみたい。身長同じくらいだし、伸縮性もすごいからたぶん大丈夫。じゃあ着替えてきてー」


 次々と出てくる情報に圧倒され、新しい方、新しい方へと流される。タキシードは仕事ーカフェテリアの正装だそうだ。


「伸縮性……えっ、じゃあ、ジグロさんは俺に着せるために置いてったってこと ? 」


「まあ、そういうことなんだな」


「めちゃくちゃ、嬉しいんだけど ! 俺、期待されちゃってる ? 」


「うん ! 私も期待してるからじーの分まで頑張ってね」


「……あの、フェルさん、フェルさん ? 二つ残念なことがあるんですけど。一つ目は、会えなかったことで、二つ目は……さっきからジグロさんのことをじーって呼んでますけど、俺どうしてもGに聞こえるんですよね。素早さ全振りで黒光りするやつ。人類の天敵ともいえる」


「全振り ? 黒光り ? 人類の天敵 ? もしかして悪魔のこと ? 」


「悪魔的最恐生物かな。ああ、それと火星に連れていくのは禁物」


 フェルがポカンとしているので、Gについては、前言撤回しておいた。この世界にGは存在しないのかもしれない。そもそも、ジグロさんとGを並べるなんて、愚か極まりない行為だった。


 タキシードを着てみると、ぴたっと身体にフィットした。タキシードを着たのは初めてで、キチッしてと動きずらそうなイメージがあったが屈伸もラクラクだ。ーーこれも、異世界タキシードだからだろうが……


「着替えたねー。うん、似合ってるよ。」


「初タキシードなんだけど似合ってる ? 嬉しいなー。よーし、わたくしトモは身を粉にするほどの勢いで、掃除、買い出し、洗濯物、風呂掃除あ、これは掃除に属するか……とにかく何でもします ! 今日からどうぞよろしくお願いしまーす ! 」


 ーー美少女のフェル、憧れのじじキャラ元剣聖ジグロのタキシード。揃いに揃って大満足だった。昨日のことはショックだったけど、居場所がある。そして、この二人は自分と共に生きてゆくかけがえのない人になっていくのだろう。そう思えた。


「じゃあまずは表の看板をオープンにしてきて、それが終わったら紅茶を煎れる練習ね」


「わかりました ! タノシタ・トモ行きます ! 」


 トモは大袈裟に敬礼をして扉に向かった。


「トモったら、張り切りすぎ」


「そこは、タキシードなんだし、お辞儀なんだな」


 トモの『レイン』での生活が始まった。


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