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一章 1 『田んぼの下は異世界でした』

「ほう、これは……また、わしの前に現れるとはなぁ……さぁて久しぶりに動くとするか」



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ーーん ? 明るくて、地面が硬い。これは石畳か ? どうしてだ ? 俺は田んぼに沈んで死んだはずじゃ……


 商人の叩き売り、乗り物の車輪、無数の足音、あらゆる音が耳に入ってくる。


 ーーこんな賑やかさ、小学生のときにテーマパークへ行ったのが最後だ。パークチケットを持っていないのに、意気揚々とエントランスにレジャーシートを敷いて並んだことは忘れられない。せっかく、朝早くについたのに、すべてが水の泡になったのだから。

 だが、今思えば楽しかった。親子揃って、田舎者の恥を知ったが、一家揃って奮闘していたことを思い出すと笑えてくる。


「カタカタ、カタカタ」


 木製の車輪が、石畳の上を転がり、軽快な音を立てている。


 ーーどうやらここは、そういう場所ではないようだ。冥土の土産的なものを開封するのはもうやめよう。


 聴覚がここは天国ではないと教えてくれている。これ以上開いたところで心が痛むだけだから大人しく聴覚に賛成することにした。


「お前こんな場所で倒れていて大丈夫か ? おいらが、てー貸してやるんだな、ほら」

 トモは、声を拾った。


 掠れた目で、伸ばされた腕を見る。ふわふわとした茶色い毛の腕、手には弾力のありそうな肉球、そして獰猛さを隠しきれない鋭いかぎ爪が目の前にあった。


「ひ、ひとじゃない ? この手は、クマっ ! ? 」


 その手を見るや否や、考える前に行動しろ ! と本能が訴えてくる。


 トモは、うつ伏せから瞬時に低い姿勢を保ったまま後ろを向き、走り出す。


「せっかく声掛けてやったのに、変わったヤツなんだな。店に帰って、ジグロさんと姫に連絡だな。それと、爪伸ばしすぎてたんだな」


 クマは、そう呟くと、スっと立ち上がり、二足歩行でトモが走っていったのとは逆方向の人混みの中に消えていった。


 彼は、うつ伏せや仰向けから、ダッシュする体育とかでやるあの競技が得意だ。大自然の中でスクスクと育ったせいか、運動は出来るほうだった。そのため完璧なスタートダッシュがきれたのだが、人が多く急ブレーキ。人の数が想像以上だったのだ。

 街にひとつの流れがあって、人々はそれに乗るようにして歩いている。自称アリ観察マニアとしては上空から見てみたいものであったが、


「今はそれどころじゃねえ」


 彼は、すみませんと何度も謝りながら小走りで間縫うように抜けてゆく。後ろを確認してみるが、流石に追ってきてはいないようだった。


 暫く走った彼は、安心して足取りを緩めた。


 ーーぶつかったことで、少々睨まれたのはいいとして、ここまででわかったことがある。腕からして、あのクマもそうだと思うが、人々のなかに、獣人がいるということだ。人間と、獣人が半々といったところだろうか。


 もうひとつ、街並みがお馴染みの中世みたいで、正面に壮麗な城がそびえ立っていることだ。位置的にここがメインストリートになるだろう。


 ここまでをふまえての結論はそう、あれしかない。


「ここは、異・世・界 ! ? 」




 ーー都会での生活には憧れていたがまさか、異世界とは……田舎を抜け出せたのはいいけど、こんな形になるとは思ってもいなかった。やはり、タノシタ・トモという名前だろうか。田んぼの下は、異世界でしたって……


 服装は家を出たときと変わらない。ポケットの中は空っぽ。ケータイがなければ、お金もない。日本円が使えそうな街並みではないのだが……


「これで追い剥ぎにあったら、本当の裸一貫だな……さあっ、来い ! 」


 四股を踏んで構えるも無反応。どうやらフラグ回収率は今のところそこまで高くないらしい。万一回収されると、被害者ながら犯罪者になってしまう危ない賭けだった。


「そもそも何で服が汚れてないんだ ? 口の中もジャリジャリしてないし。俺は確か、熊に襲われて、田んぼに突っ込んだはず……って異世界ものでこんな死因あります ! ? 普通トラックだろ ! あ、ご近所田舎過ぎてトラック通んないんだったわ。兎も角だ。神様かなにか知らないけど、タノシタ・トモの『異世界』フラグの回収お疲れさまです ! 一応聞いときますけど、名前で選んだりしてません ? まさかぁ、そんなことはないですよね。まあ、俺が、この世界の救世主に相応しいから連れてきたってことで」


 彼は、皮肉めいた独り言をほざきながら、ふらふらとメインストリートと思われる道を歩く。都会に出たいと思っていた傍らで、密かに憧れていた理想郷「異世界」に来てしまったことを自覚し、ハイテンションになっていた。


「そんで、神様、あなたは、私に何を授けましたか ? もちろん最強にしてくれてますよね。サブ向け能力とか死に戻りなんてのは、辞めてくださいよ。これまで地味に生きてきた分、華を咲かせたいんで。やっぱ、サクッと世界を救って、チヤホヤされたいですからねー」


 彼は、神への皮肉を尚続ける。異世界への期待とともに、段々エスカレートしていく独り言を街の人は聞こえていないふりをしながら通り過ぎる。


 身の回りで起こっていることを全く気にしない彼は、道の真ん中で立ち止まり、考える。ふと思いついたことは、ーー異世界に来たってことは、俺、魔法使えるんじゃね !

 彼は、ゲームによって蓄積された知識の中にある魔法をすべて唱えた。が、これといって成功した魔法はなかった。


 すると、

「なあ、お前、医者に診てもらったらどうだ ? 」


 いつの間にか、彼の目の前に金色のたてがみをゆらゆらと風に靡かせる獣人が立っていた。どうやら、彼のエキセントリック、奇怪極まりない行動に心配してくれたようだ。


 咎められて彼は我に返る。


「すみません、何でもないです ! 」


 そう言い、彼は、また走り出す。走っている途中、見えた景色には、蔑むような白い目が映っていた。



 後ろからの恐怖に怯えながら懸命に逃げるように、前のめりになって走った。上体だけが先走り、非効率的な走り方だ。そんなことくらいわかっていた。だが、頭は前に、下に向かっていく。人に何度もぶつかった。挙げ句の果てには、足が絡まり転んだ。顔を上げると、何をしてんだと言わんばかりの冷たい視線。彼は、逃げ道を探した。


 八百屋の隣に人気のない路地があった。彼は、路地の入口で腰を下ろした。


「どいつもこいつも俺のことを白い目で見やがって。何なんだよ……もう帰りたい」


 彼は、体育座りで頭を抱え、嘆いた。どの世界でも自分は非難される。そう思った。

 しかし、どれだけ嘆いても、脳裏にこびりついた、あの白い目は、消えることがなかった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 彼は、暗い路地から流れてくる、冷たく湿った空気を感じながら、未だ座っていた。


 そんな彼を気にかけて

「なあ、あんちゃん。もう随分と、下向いてっけど、どうしたんだよ」と


 八百屋の店主だと思われる人物が声をかけてきた。誰とも関わりたくなかった彼は、身を固くしたが、


「ああ、あんちゃん。難しい年頃だもんな。わかるぜ、若い頃は俺もそうだった。ほら、これでも食って元気だせって」


 懐かしい匂いがした。その匂いに惹かれて彼は、顔を上げた。


 目の前にあったのは、真っ赤に熟れたトマトだった。


「あんちゃんよそ者だろ ? これはなあ、トメトって言ってな、この国でしかならないんだぜ。またの名を太陽の野菜って言ってな、野菜とは思えないほど甘いんだぜ」


 トマトをこんなにも、PRしてくる八百屋の気持ちを少しは汲み取って、彼は、渋々トマトを口に運んだ。

「なんだこれっ ! ? 」


 無言を貫くつもりだったが、驚きのあまり声が出た。


「すまん、口に合わなかったか ? 」


 八百屋の問いかけには応じず、彼は、夢中になって、トマトーこの世界ではトメトを食べ進める。


「あんちゃん、ちょっとこっちに来い」


「今の、あんちゃんいい顔してるぜ。前向いて、歩けよ、な ? 」


 彼は八百屋のおっちゃんに連れてこられ、野菜を冷やすために置かれた、水瓶の前に立たされた。


 そこに映ったのは、カラフルな髪の異世界住民のなかで、一際目立つ、黒髪、黒目の少年だった。蛙を潰してきたことで立っていたであろう人外ーフロッグフラグは回避している。


「俺だ……」


 そう、そこに映ったのは、身長、百七十五センチ。黒髪、黒目。イケメンではない。日本人の平均身長より少し背が高いだけの特に特徴のない田舎育ちの少年タノシタ・トモだった。


 トモの頬を涙がつたる。


「どうしたんだよ、急に泣き出して。男らしくねえぞ」


 トモは、泣きたくて泣いているわけではなかった。男として、泣くなんてダサい。自分ではそう思っている。涙なんてここ何年も流していないのに、溢れ出てくるのだ。


「困ったやつだな……店に置いてあるもんは好きなだけ食っていいから」


 トモは泣きじゃくりながら、トマトや、キュウリを齧った。


 朝から何も食べていなかった腹は、満たされ、涙は止まり、トモは、落ち着いた。


「おっちゃんありがとう、元気出た……悪いんだけど俺、無一文……」


「金か。そんなことは、気にすんな ! ほら、元気になったなら、とっとと歩き出せ ! こっちは商売してんだ、ほら行った行った。」


 商売の邪魔になっている少年をどかそうとするも、少年は熱い眼差しで、

「なあ、おっちゃん。聞きたいことがあるんだけど」


 そんな眼差しに観念したらしく、

「はぁ、全く、仕方ねえなあ。情報料は、出世払いな」


「サンキュー、おっちゃん ! 俺、この世界を救うとまでは言わないけど、誰かの役に立てるよう頑張っから ! 」


「おっ、おう。すっかり元気になったな……頑張れよ少年。そんで、何が聞きたい ? 」


「先ずは……」



 涙を見せることを羞じらう気持ちもあったが正直になれた。少しは前進した。会話については、さすがは八百屋とでも言っておこう。野菜の話では、トモを超える情報量だった。(野菜の名前が少しずれているが)パクチーをバクチーと言い、熱く語っていたときは、吹き出しそうだった。

 そして、この国のことも聞き出せた。話によると、城には王女がいるらしい。だが容姿は不明だとのこと。謎のプリンセスである。

 あと、最近よからぬことがあちこちで起きているという噂を聞くから、気をつけろとのことだ。


 トモは、心の折れかけていた自分を救ってくれた八百屋に感謝を告げ、また路地の入口に向かった。今度は、今後の方針について考えるためだ。


 ーーさて、どうする……城にでも向かうか ? どんなゲームやラノベでも、城にいる人は、だいたいが、主要人物だし。それと、やっぱり大事なのは『人』との関わりだよな。十数年間もろくに喋らず生きてきたのが悔やまれるぜ……っていうか、ド田舎に生まれたことが悔やまれるわ ! あーあ、全員八百屋だったら、やりやすいのにな……ほら、コミュニケーションスキルに天気の話をするってあるじゃん、相手が八百屋だとそれが、野菜の話になって、……


 取り敢えず、周りの目を気にしながら城へ道なりに進むことにした。物珍しそうな目はあったが、白い目はなかった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「はぁそんなうまくはいかねぇか……まだ序盤だしな」


 重量感のある門の前でトモは、腕を組む。


 城についたが、「入れてくれ」と頼んでも、話が通じず、門番に突き返される始末にため息が出る。ここまで歩いてきた労力との釣り合いのなさにもだ。


 突き返されて、少し落胆したトモは、ふと思い返す。


 ーー八百屋のおっちゃんの異世界でよからぬことが起きているという発言がその通りなら、それで困っている人がいて、その人を助けるために、俺が呼ばれたのではないかと


「呼ばれた ? 待てよ、俺がこの世界に来たのは、桜狩りに行くときにエンカウントしたあの熊のせい……となると、最初に声をかけてきたクマ怪しすぎじゃね。てか、絶対あいつだ。次、見かけたら問い詰めてやる」


「それよりも今はこれからの方針だな、城は違うか……クマを探すか ? いや、異世界に来てまで、クマにお世話になることはないな」


 人混みから外れ、ちょいと座って考えるが二秒で答えは出た。妄想するだけで胸が踊る。


「決めたっ ! 人助けだ ! 助けるのは、勿論、美少女 ! どっかで困ってる美少女いねぇーかな ? ああっ ! ! あのクマのせいで、俺を呼んだ人が、美少女フラグが薄れてるんだが ! それにしてもこの国、見た感じ治安良さそうなんだよな、太陽の当たる場所で人助けイベントが起こる気がしないし。となると、路地裏とかか ? 石を裏返すと、大抵何かがいる。みたいな感じでこの国の良からぬものが集まるはずだ。俺は、それを叩きのめして功績を挙げてやる ! 将来は、英雄って呼ばれたりして……」


 スイッチが入った !


 トモは、拳を天に突き出し、立ち上がった。興奮気味で声が大きすぎたのだろうか、視線を感じる。だがやることは決まっている。今はただまっすぐ進むだけだ!


 力強い一歩目を踏み出したときだった。


「ねえ、そんなに張り切っちゃって何をする気なの ? 叩きのめして功績を挙げるってどういうこと 〜 ? 」




 天使のような美声が響いた。


 足が止まる。声と共に世界まで止まってしまったのではないかと錯覚した。そんな世界で少女だけが動いていた。


 フードつきの真っ白なローブが目の前の人混みを縫ってこっちに向かってくる。横からは流水のように押し寄せる通行人。只者ではない、そう思って身構えたトモだったが、ふと気付いたときには目の前にフードがあった。フードを深くかぶっていて、今のところ、小柄なことくらいしかわからない。ローブについては、宝石類が散りばめられているわけではないし、金や銀の装飾もない。純白ではあるが、庶民よりのものだろうと伺える。


 少女はフードを外した。真ん中でわけられた美しく長いブロンドヘアーがやさしい風でサラサラと靡く。まるで黄金がさらさらと流れる川のようだ。そして、サファイアのように深い青をした瞳がトモを見つめている。可愛い ! シンプルにそう思ったトモの目の前で美少女は微笑んでから口を開いた。


「何を企んでいるの ? 」


「お、俺はただ……ろ、路地裏に行って……」


 突然の美少女に言葉が詰まった。急に美少女と出会って話しかけられるなんて、妄想はできても、実際に起こってしまうと困ってしまう。完全に不意をつかれた状況。頭をフル回転させ、次の言葉を探していると、


「えっ ! ? あなたは、どっち側なの ? 」


 少女は、唇に人差し指をあて、首を傾げる。一つ一つの動作も可愛く映るが、可愛く映るのと同時にトモの頭にはクエスチョンマークが浮かび上がる。少女に「どっち側 ? 」と聞かれたがそれには、対比するものがなかった。「どっち側 ? 」というのは、軽く言い換えると「どっち派 ? 」であって、答えようによっては、対立に繋がるかもしれないのだ。山と里のように。そして、それは美少女イベを初っ端失敗させることを意味する。


「えーーっと、俺は、この国を脅かす存在が許せない」


 考えても質問の意味がわからなかったトモだが、ファンタジーの世界につきものの「正義と悪」という観点から、身の潔白を証明するためにそう言った。言ったあとに恥じらいを感じてトモは頬を紅潮させるが、そんなことを気にする気配もなく少女は即答で、


「あなたもわかるんだ ! ちょうどよかった。じゃあ、挟み撃ちね ! すぐ向かって ! 」


「はっ、はい……」


 トモの返事を確認する前に、少女は、クルリと背を向ける。美しく長いブロンドヘアーがスーっと流れ、甘い香りを残していった。


「ええっと、俺は、路地裏に向かえばいいんだよな……」


 トモは、夢見気分でポカーンとしていた。同い年くらいの、女の子と話したのだ。しかも、美少女。夢でももったいないくらいなのに。

 頬をつねって確認。何度も何度もつねる。


「夢じゃない……ってやば、どこ行ったんだよ、金髪美少女 ! すぐ向かってって言ってたよな、何処の路地裏か聞いてなかった ! 路地なんてめっちゃあるよな……折角の美少女イベを逃すのか俺」


 そう呟いて、トモは、ダッシュで八百屋の隣の路地裏に向かった。直感的にだ。それが、あまりにも軽率な行動だったと後悔することも知らずに。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「おう、あんちゃんそんなに息切らしてどうしたんだ ? 腹が減ったとか言われても、今日はもうやれないぜ」


 走ってきたトモに八百屋のおっちゃんが話しかけた。


「イベント、イベント、田舎育ちの俺に二つ目の転機が訪れたっていうか、腹は満ちてて最高。じゃ、急いでるから」


 そう言ってトモは、意気揚々と路地に入っていった。おっちゃんが「裏には、行かねーほうが」なんて言ったのは、トモには、聞こえていなかった。


 路地に入り、道なりに進む。薄暗い。それに雨上がりのような湿気が纏わりつくようで気持ち悪い。しばらく進むと、曲がり角が見えてきた。この路地はL字になっていて、右にしか曲がれないような構造になっている。トモは、角からそっと先を覗いた。


 薄らと煙が上がっている。地面に落ちているキセルからだ。緑色の水たまりが横にあった。そして、壁にもたれているカエルの獣人を二人組が取り囲んでいる。カエルの獣人は、息も絶え絶えながら、懸命に身体全体で肺呼吸をしている。


 トモの頭の中で、緑色のドロっとした液体とカエルが繋がった瞬間、吐き気がトモを襲った。元の世界で蛙を潰したときの生臭さを思い出す。声を出してはいけないと悟ったトモは、口を抑え、壁を背にして、座り込む。


 二人組の声が聞こえた。


「何も知らないか……」

「言ったじゃないどうせ何も知らないって」

「それで、こいつはどうする ? 」

「用無しね」


 ーーまずい、吐き気が一瞬で引いていくほどまずい。このままではあのカエルの獣人が殺される。だが……どんなゲームよりもリアルを帯びているこの状況、軽んじて突っ込むと痛い目を見るだけでは済まないかもしれない。


 トモは、物音を立てないようにそっと立ち上がり、覗き見る。


 一人がカエルの獣人の首を掴み、持ち上げ、壁に押し付ける。細い手足がだらりと垂れ下がる。


 ーーカエルを潰してきた身ではあるが、動かなければ……俺は、あの子に宣言したんだ、この国を脅かす存在が許せないと ! 注意を引きつけるだけだ。無理だったら逃げればいい。距離も十分にある。さあ、一歩を踏み出すんだ、俺。折角のチャンスを逃すな、俺。ここで踵を返して何になる !


「うおぉぉーーやめろぉーー ! 」

「「ーーッッ ! ! 」」


 トモが叫びながら出ると同時に、二人の顔が向く。薄暗くわかりにくいが、普通の人間の男と女だった。歳は、三十歳から四十歳くらいで街の人と変わりない。両者の動きが硬直する。そして、沈黙と緊張が訪れた。


 そんな中、沈黙を破ったのはトモだった。

「何をしている ! 」


 牽制かつ時間稼ぎのために、トモは、叫んだ。実力者風に。トモのできる限りのイケボが狭い路地裏を木霊する。


 第一声とのギャップは置いておくとして、ふざけているわけではない、何事でも初見というのは慎重になるものだ、という人間の性質に漬け込んだトモの策だ。慎重にならなくてはというのは、トモ自身がこの世界に来て一番最初に思い知らされたことからの教訓である。相対しているのは、いい歳こいた大人。そこら辺は心得ているに違いない。


 色眼鏡をつけていないので、こちらの能力が暴かれることはないだろう。そう信じたい。


「とんでもないのにあってしまったね」


「でもあいつ、気づいてないみたい。ここは街の人を装うわ、私に任せて」


 二人組は、小声で話し合う。その怪しさといったら計り知れない。その後、一定距離を保ちながら女の方がトモに対して訴えかけてきた。


「ねえ、あなた。私たちに容疑をかけるのはやめてくれない ? この道は私たちの家までの近道なの。たまたまこのカエルさんが倒れているのを見つけて、応急処置をしているところなんだけど。あなたは、表に出て助けを呼んでもらえる ? 私たち治癒魔法が得意じゃないの」


 口実にはなっているが、本心とは思えないような冷たさが声の裏にある。そもそも角からそっと話を聞いていたトモには、響くものなどあるわけなかった。


「全部聞いていた、お前達は、何者なんだ ! 」


 足の震えを殺しながらも、一歩踏み出して強い口調。


「わかったわ。信じてもらえないなら私たちが呼んでくるわ」


「せいぜい死なないように治癒魔法でもかけておくんだね」


 そう言って、二人組はトモのいる方とは反対方向に走り出した。


「いやいや、逃げるんかい」と言いかけたトモだったが、心では安心していた。カエルの獣人を助けに行こうと一歩目を踏み出したとき、少女が到着した。


「全部、嘘でしょ、下位悪魔 ! 」


「「ーーーーッッ ! 」」


 美声が木霊する。奥に少女が立っていた。明るいブロンズヘアーだけが薄暗い中でもはっきりと見える。


 二人組の足が止まる。そして、眼が赤く光り出す。薄暗い中の赤い光は不気味で恐怖心を駆り立てる。


「挟み撃ちかやられたね、俺はこの女にするよ」

「じゃあ私はあっちの男ね、さようなら」


 少女が言っていたように挟み撃ちは成功した。しかし、女だった方が発光している赤い眼が線になるほどの速度でこっちに向かってきている。トモは、完全に逃げる機会を失った。そして、足が竦む。


「ちょ待て、あの子のはコイツらのこと悪魔って呼んでたし……」


 何より速い、だがそれはあまりに直線的で闇雲に突っ込んで来ているようだった。


 トモは、縮こまった身体が少しでも動くよう自らを鼓舞しながらも集中力を高め打開策を捻り出す。


 ーーL字に曲がった道の折れているところに俺は立っている。もう背を向けて逃げるスキはないが、後ろには壁がある。これだけのスピードでぶつかったら……


 ーー躱せるか ! ?


 トモは、左足に体重を込め、フェイントを入れてから瞬時に右足を軸にして四分の一回転。女はスピードを殺すこともなくそのまま後ろの壁に大激突。


 終わったかと思われたが、女は全身から血を流しながら立ち上がる。


「なんで立ち上がるんだよ……」


 これだけの速度で壁に衝突したら、腐ったトマトのように飛沫をあげ潰れてくれると思っていたトモには誤算だった。いや、普通の人なら、そうなるに違いなかった。普通の人間が出せる速度ではないが……

 近くで見て初めてわかったが、下位悪魔と呼ばれていたこの女の顔色は灰色がかっていて、黒く長い爪が伸びている。そして、薄暗い中、気味が悪いくらい眼が赤く発光している。人のかたちをしているが、人ではない。


「なぜ避けた、なぜ魔法を使わない、なぜ殺さない、そんなに恵まれているのに……なぜ、なぜ、なぜ、なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜぇぇ」


 女が発狂しながら、間髪をいれず爪で切り裂こうとして向かってくる。


 トモは、バックステップでそれを間一髪のところで躱していく。


 ーー大振りで尚且つ速い、右腕を振り切ったと思ったら左腕が来て、また右腕。バックステップだけでは、避けきれてあと数回だ……だが女の方も壁への激突が相当効いたようで、足の動きが鈍いように感じる。そして顔ばかりを狙う単調な攻撃。


「これで……」


 女の左手が振るわれたときにトモは、それを身を屈めることで下方向に躱し、そのまま地面を転がり爪を回避しつつ裏を取る。


「どうだぁーーー ! 」


 完全に裏を取ったトモは、左足を軸にし、回転の力で右足を振るう。回し蹴りだ。都会に進出したときの防衛術として密かに練習していたその技は、まるで鞭のようにしなって振り返った悪魔の顔に向かってゆく。参考文献は、父の昭和感漂うマンガである。あとは、格ゲー。文献ではないが。


 捉えた !


 つもりが、悪魔はしゃがんでこれを回避。回し蹴りを躱されたトモは一回転してよろめく。その隙に鱗で覆われたような灰色の手が首に伸びていた。


「くっ……ッ ! ! 」


「甘いわぁーーお前、悪魔を舐めすぎなんだよ。爪で喉笛を切り裂くのもいいけど、お前が遊んでくれたように私もじわじわと首を絞めて殺してやるわ」


 トモは、首を絞められたまま宙に浮いていた。頭の中が沸騰するように熱い。空気を求め、苦しそうに空中でジタバタと懸命に四肢を動かすが、硬い手の拘束が解けることはなかった。


 明らかな力不足だった。舐めていたと言われても仕方が無い。彼らにふっかけたのはトモだった。自業自得だ。異世界に来たことで強くなったわけではない。ここにいるのは、等身大の少年だ。


 路地裏に入ったことが悔やまれる苦い始まりの日、そして終わりの日となるのだろう。理想は遥か遠く、光は点になって手に届きそうにない。その代わりに詰みというものが見えた。


 ーーそんなことより少女は大丈夫なのだろうか ? 自分よりも小柄な少女がこんな怪物を前に何が出来る ? あの子には、死んでほしくない。


 脳の酸素濃度が足りていないせいか、思考能力も薄れてきていた。瞼が重くなり、トモはゆっくりと目を閉じた。閉じる前に何かが……

 ーー光 ?


「フーラ ! 」


 トモは、首の圧迫がなくなったのと同時に、強い衝撃を横から受けた。空中で何かに抱えられ、そのまま地面を転がる。思考が追いつく前に、首の皮一枚で繋がっていた意識が遠のいて……飛んだ。





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