一章 13 『剣聖オルフェウス』
街は、ここ数日とは大違いで、閑散としている。聞こえるのは、地面に落ちているゴミが風に吹かれて、カランカランと鳴っている音だけだ。
メイリーが歩き始めて早々、手を繋ぎたいと言い出したまさかの展開によって、メイリーを挟んで俺と、フェルが手を繋いでいるという理想の送迎が完成したのに、温かい目で見守ってくれる人が一人もいないのは少し残念である。そうは言っても、幸せに変わりはないのだが。
「フーラ ! 」
「「ーーーー ! ! 」」
目の前で時空が歪む。
「もうっ、お姉ちゃん ! エナの無駄使いだわ ! ゴミくらい、いいじゃない」
メイリーが目を細めて、怒っている。悪魔のことを意識すると、エナの温存は当然だろう。
「急に魔法を使うから、悪魔でも出たかと思ったじゃねぇか……」
「ごめん、ごめん、いつもの癖で使っちゃいました」
フェルは、舌を出して謝る。テヘペロってやつだ。何をしてても可愛いのだが、格別だ。なんてフェルに見惚れていると、横から、拳が飛んできた。小さな拳はみぞおちにクリティカルヒットした。
「うぇっ、悪かったメイリー。いやぁ、俺って幸せもんだなぁ。メイリーは子供ポジションになるのかぁ。よしよし、いい子だ」
「ふんっ、年齢的にも訳ありすぎてそんな設定、笑えないわ。そんなことより…………お客さんよ」
前を見て、初めてわかった。目の前にやばいのがいると……
その男は、真紅の鎧を身にまとっていた。紅い瞳は静かに燃えているようで力強く、ワインレッドの長い髪は後ろで綺麗に束ねられている。ハンサムで高身長、頭からつま先まで完璧、そして只者ではないであろう、凄まじい威圧感。目の前にいるだけで、緊張感から体温が上がっているような気がする。メイリーと繋いでいる手が汗ばんでいるのが裏付けだ。
「私の名は、オルフェウス。突然で申し訳ないのだが、君たちの所在を聞かせて欲しい」
「私たちは、『レイン』よ。それ以上は何もないわ」
返事をしたのは、フェルだったが、それはいつもの温かみのある声ではなかった。トモとしては、誰が見てもイケメンで完璧だと思うこの男にフェルの心を奪われるのでは、と思いたくもないが、思ってしまっていたので少し安心したのだが。
それにしても、フェルは、興味がないのか ? いや、こんな態度をとるってことは、怒ってる ? どちらにしろ、ここは慎重に立ち回るべきだろう。
「『レイン』か……噂には聞いていたが、本当に存在したとは。宜しければ、君たちの名も聞かせて欲しい」
「私はフェル、この子はメイリー、その隣がトモよ。『レイン』に興味があるなら寄ってくといいわ。トモ、連れてってあげて。私は、メイリーを届けてくるから」
というわけで、トモとオルフェウスは、きた道を引き返すことになった。戦闘上の心配はないが、やはり、さっきのフェルの態度を踏まえると何かがあるのは確かだ。
「あのー、オルフェウスさんって、剣聖ですよね ? 」
「ああ、そうとも。それと、名を呼ぶときは、オルフェウスでよい。私は、トモと呼んでもいいかな」
剣聖と仲良くなれるのは、大きい。距離を縮める第一歩を相手から踏み出してきたのだから、期待大だ。
「じゃあ、オルフェウス、ジグロさんってどんな人だった ? 」
剣聖でオルフェウス、一度聞いたことがある。確か、剣聖一家、モス・ハーディン家だから。『レイン』を作ったあのジグロさんは、オルフェウスの祖父に当たる。
「ジグロ ? 悪いが、心当たりがないな」
「ん ? オルフェウスは、モス・ハーディン家の出身だろ ? 」
「モス・ハーディン家……存じ上げないな。メイリーという紺色の髪をした少女が向かう学校というのは、ロス・ハーディン伯のところだろう。モス・ハーディンと聞いて思い当たるのはこれくらいしかないのだが……」
おかしい。何故話が食い違ってくる ? 確か、俺に、ジグロさんのことを教えてくれたのはフェルだったはずだ。フェルが嘘をついているのか ? それとも、オルフェウスが家柄を伏せているのか ?
嘘をつく必要なんてあるのか ? どうして齟齬が生まれる ? トモは、この世界に来てからのことを一から回想する。『レイン』と剣聖の食い違い、もう一つの『レイン』……うーん、繋がりそうで繋がらない。単に、オルフェウスが忘れてるだけかもしれないし……いやまて、単にで済ませることじゃない。
「なあ、オルフェウス、記憶失ったりとかしてない ? 」
「そんなことは、ないと思うのだが……小さい頃から今までの記憶は何も欠けてない。何か引っかかるのなら、力になろう。剣聖である私がこんなことを言いたくないのだが、私は、孤児だった。私は、」
「ストップ、オルフェウス。もういい」
孤児だったという時点でわかった。誰も嘘をついていないなら、オルフェウスの記憶は書き換えられている。
悪魔に書き換えられたか ? いや、オルフェウスとエンカウントした悪魔にそんな余裕はあるだろうか。そう考えると、犯人は、オルフェウスの周りにいる誰かになる。もしかすると、メイリーの記憶にも繋がってくるかもしれない。この件については、今後も念頭に置いておこう。
「トモ、さっきから何を考えているんだい ? 私は、あれが『レイン』だと思ったんだが……」
「あっ ! わりぃオルフェウス、あれが『レイン』だ」
トモがあまりに、熟考しすぎたせいで、『レイン』を通り過ぎていた。
扉が心地よい音で軋む。
「外見も店内も素敵だね。街に古風な建物が少ないから、珍しいな。とても落ち着くいい雰囲気だ」
「いらっしゃいませ〜」
「あれっ ? フェル、何でいるんだ ? 」
「ん〜フーラでちょちょっと ! 今日は、あのつよーい剣聖がいるから、エナ、バンバン使っていいかな〜って」
「そうなんだ……」
フェルはバリバリの接客モードに入っている。
「はい、じゃあ、剣聖さんはそこに座って。トモはこっちに来て手伝って。今日は、どうせお客さん来ないし、剣聖さんはゆっくりしてってね〜」
「お言葉に甘えて。少し早い昼休憩とさせてもらうよ」
紅い鎧の騎士がカフェにいる。これこそ、さくらっくま状態だ。見ているだけで、吹き出しそうだ。
「トモ〜紅茶できた ? 」
トモは頼まれていた湯気の立つほどアッツアツの紅茶を差し出す。紅茶は、百度までお湯を沸かしてから煎れるとえぐみが出なくて美味しくなるらしい。最初に比べると、だいぶ上手くなったと思う。
「剣聖さん。ご注文は、アイスティーでいいかしら ? 」
テーブルに湯気の立つ紅茶を置いた瞬間、幾つもの宙に浮いた氷剣の剣先が剣聖に向けられていた。
トモ: 剣聖に楯突くなんて……




