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異形人外恋愛系

異星の捕食者は獲物に狩られる



 ある年、宇宙の果てより飛来した高知能怪物により、地球という星は彼らの養殖場あるいは狩猟場へと成り下がった。


 怪物はトカゲじみた形の頭部に四対八つの緑の目を持ち、大きく上下左右の四方に裂ける嘴には鋭いばかりの牙が生え、血管を束にして無理やりに人型に形成したような硬質で灰色の肌と、三つの関節からなる長く厳つい二対四本の腕を有していた。

 また、時には背に目映い青の光の翼を生やして鳥よりもなお速く空を舞う。

 彼らの醜悪な見目を前に、のんきに「宇宙人」などと呼称したがる者はいなかった。


 ただし、そんな高知能怪物の存在によって、人間やその他様々な生き物たちの生態に大きく変化があったという事実はない。

 彼らは多くの獣と同じく、己自身が必要とする量以上の狩りを行うことはなかった。

 エネルギー効率も高いようで、成人一名も食せばその後三ヶ月は活動が可能らしい。

 同様の狩場を複数持つ事実と合わせれば、特に辺境の地球くんだりまで訪れる怪物の数もたかが知れており、世界全体の年間死者数など二万と少々といった具合である。

 日本だけで考えても、自殺者の数の方が余程多いというのは皮肉な現実だ。

 そのため、気まぐれに星を訪れる捕食者らに怯えながらも、人々は従来通りの文化的生活を営んでいたのである。

 実際に不幸と対面した者でもなければ、テレビの向こうの事件事故と同じく、大多数の人間にとって彼らの存在はただの他人事に過ぎなかった。

 敢えて民間の変化を挙げたところで、せいぜい、詐欺の種類が増えたぐらいのものだろう。


 当然ながら、飛来初期に計画された怪物への対策は、ことごとくが無駄に終わった。

 野蛮な狩猟行為を誇りとする怪物だという前提に騙されがちだが、広大な宇宙そらを自在に翔ける程度には高度な科学的技術を有する相手なのである。

 現人類の小賢しい企みの全ては、彼らにとって児戯にも等しかった。



 これは、そんな怪物たちの登場から約三年の時を経て、彼らの脅威もすっかり地球人類の日常の一部となった頃合いのこと。


 日本という名の小さな島国の片隅で、至極密やかに異種間男女の稀有なる邂逅がもたらされていた。


「ねぇ、アンタだいじょぶ?

 スッゲェずぶ濡れじゃん。行く場所ないなら(うち)来る?」

「は?」


 ザアザアと雨の降りしきる中、一人の女子大生が人気(ひとけ)のない路地裏の片隅に小さく蹲る宇宙怪物へ、水玉模様のファンシーな傘を傾けてから、そう告げた。

 彼女の声に反射的に頭部を上げた怪物は、その理解しがたい内容に、八つの瞳を揃って瞬かせながら体を強張らせている。


「なに? 言葉通じるんでしょ?

 確か、生まれてすぐに何ちゃらかんちゃらチップとかいうのを頭に埋め込まれて何語でもペラペラって聞いたよ?

 いやー、便利な話だよねぇ。素直に羨ましいわ」


 彼は語るままに一人頷いている女性を唖然と見つめつつ、尖る嘴を四方に割って、呟く程度の声量で流暢な日本語を紡ぐ。


「……なぜ……怖れない。私は貴方たち人間を食らう化け物だぞ」


 それは、およそ狩猟行為を誇りとする種族の者とは思えない発言だったが、女子大生はそんな怪物の機微には気付いていないかのように、あっけらかんとした態度を貫いていた。


「うわ、想定外のバリトンイケボに戸惑いを隠せない。

 って、違う。今、アンタ狩りが必要なくらいお腹空いてんの?」

「……いや」

「んじゃ、大丈夫じゃん。

 アンタたちって、飢えてなきゃ別にわざわざ襲って来ないんでしょ。

 冒険記者レリオーの突撃取材は有名だもんね」


 自らの知識を誇るかのように、彼女は得意げな笑みを浮かべている。

 この裏路地に至るまで、ことごとく化け物らしい扱いを受けてきた彼からすれば、女のそれは甚だ異常だ。

 宇宙怪物は妙な居心地の悪さを感じて、僅かに身じろぎした。


「その取材とやらについては未知だが、だからといって捕食者に近付きたがる被食対象もいないだろう」

「そーお? 猫ちゃんと一緒にくつろぐ小鳥さんの動画とか見るし、絶対ってこたぁないんじゃん?」


 あまりに暢気が過ぎる言い分に、絶句する怪物。

 隙間なく牙の生えた嘴を無防備に開いたまま呆ける彼に対し、彼女はわざとらしく肩を竦めながら、ため息混じりに偽りなき本音を吐いた。


「あー、まぁ、実際は怖がる人間がほとんどだろうし?

 捕食者だの何だのって理屈より前に、まず見た目がメチャ不気味だしねー。

 でも、だからこそ、お互いの心の平穏のためにも、大雨で目立たない内に家まで来ないかっつってるわけだけど?」

「え」

「もうっ、案外鈍いな。(かくま)ってあげるって言ってんのっ。

 それとも、自分たちより劣る生物に情けをかけられるのは屈辱でダメですかぁー?」


 丁寧語で嫌味らしい言葉を投げかける女は、わざとらしく眉を寄せ頬を膨らませている。

 生物として圧倒的格差のある存在を前にしているというのに、危機感のカケラもない、堂々とした立ち振る舞いを見せるその度胸に、捕食者は舌を巻いた。

 彼の常識からすれば、到底理解に及ぶ行為ではない。


「あ……ぃや、そんなことは……ないが……」

「じゃあ、決まりね。

 ほら、いつまでもそんな地べたに座ってないで、立って立って」


 女子大生はそう言うと、当たり前のように怪物の右腕の一本を掴んで、引っ張り上げようとする。

 自らに容易に触れてくる人間とその軟弱な感触に、彼は驚きと困惑に思考を停滞させながらも、彼女に誘導されるがまま、厳つい巨体をのそりと揺らした。




 その後、敢えて裏道を選んで歩いたこともあり、十と数分ほどで、彼らは無事、人間に遭遇することなく一軒の平屋に到着する。


「気ままな一人暮らしだし、適当に上がってよ」

「あ、あぁ……」


 扉の鍵を回しながらそう告げる女性に、気負う様子は微塵もない。

 これから、いよいよ人食いの怪物と二人きりになろうかというのに、だ。

 そのまま玄関内へ彼を招いた女子大生は、再び扉の上下の鍵とついでにチェーンをかけてから、所在なさげに腰を曲げて佇む捕食者の方へ振り向いて、瞬間、あっと声を上げる。


「何だ?」

「いやほら、ビショ濡れのまま上がられると後が面倒じゃん。

 とりあえず、拭くもの持ってくるから、ちょっとそこで待っててくれない?」

「あ、うむ」

「ほんと、ちょっとだからっ」


 言いつつ、彼女は傘を大きな壺状の傘立てに投げ入れ、靴を乱雑に脱ぎ捨てて、足早に薄暗い廊下の奥へと消えていく。

 それは、まるで彼が無断で去ってしまうことを恐れているかのような慌てぶりで……怪物は、人間が騒々しく駆け戻るまで、その場から一歩も動くことが出来なかった。


「アンタ身体おっきいからバスタオル三枚持ってきたっ」


 手にした物のうち、二枚を素早く異形の手に握らせて、女子大生は最後の一枚を持ったまま彼の背後へと回り込む。


「はいはい、ボーっとしてないで拭いて拭いて。

 濡れたままだと困るのこっちなんだからさー」


 彼女はそう急かしながら、自らは彼の厳つく広い灰色の背に腕を伸ばして、丁寧にぬぐい始めた。

 二メートルと少々程の身の丈を持つ怪物であるので、頭部まではさすがに手が回らないが、肩近くまでならば背伸びもすれば普通に届く。

 関節が三つもある長腕の宇宙怪物からすれば、そのように世話を焼かれずとも何ら問題なく事は済むのだが、わざわざそれを指摘する心持ちにもなれず、彼はただ黙ってされるがままになっていた。

 どこか焦点の合わぬ思考で、二対の腕を動かして頭部と肉体前面を同時に拭き上げる。

 果たしてこれは現実だろうか、都合の良い夢でも見ているのではないかと、捕食者は柔らかな人類と似ても似つかない自身の身体を眺めていた。


「ねー。なんか肌冷たいけど、大丈夫? 寒くない?

 アレならシャワーとか浴びて温まるー?」

「……シャワーが何かは知らんが、不要だ。

 我々はマイナス百度の環境にも順応可能であり、よって、当該惑星での活動において、なんら支障をきたすものではない」

「へぇーっ、さっすが」


 時折、会話を交えながらも、二人は作業の手を止めない。

 やがて、彼らの緩いやり取りが終わる頃には、水分もすっかりタオル地に吸われ尽くしていた。


 再び小さな手に腕を取られ連れられた先のリビングで、本来二人掛けのソファを巨体でみっしりと占領する怪物。

 ほどなく女性から供された熱いウーロン茶を、彼は躊躇うことなく嘴の先端を浸して啜り上げた。


「ほぉーん、普通に飲んじゃうんだ」

「主に肉を食らい糧とするが、さりとて水分が無用というわけでもないからな」

「あー、そういう意味じゃなかったんだけど……まぁ、いいや」


 人間を狩り喰らう化け物を多くの者は恐れ、また憎んでいる。

 敵対存在として排除を望み、すでに沈黙を選んだ政府を声高らかに糾弾する団体だっていくつもある。

 彼女がそういった類の輩ではないと、油断させたところで怪物を退治してやろうと目論むような輩ではないと、なぜ言えようか。

 特に、毒などは無力な者が上位者をくだす際に最も手軽かつ有用な方法であるというのに、女の前に座す異星者は、自らを驕る感情も浮かべず、また疑いの眼差しも向けずに、当然のように茶を身の内に取り込んだのである。

 彼女は、そんな警戒心のない彼の行動に内心驚いていた。


 正面から互いに見つめ合いながら、全く同時に「無防備なことだ」と呆れていたとは、彼ら自身知る由もない。


 女子大生は、それから、ソファに程近いローテーブルに行儀悪くも腰かけ、無言でマグカップに口をつける。

 彼女が話しかけさえしなければ、怪物が自らそれを行うこともない。


 しばし、二人の間に沈黙が落ちる。

 外部からの雨音だけが、室内に淡々と響いていた。





「ねぇ、聞いていい?」

「何をだ」


 数分後、空になったカップの底に視線を落としたまま、女子大生が小声で問いを投げかける。

 宇宙怪物もすっかり茶を飲み干し終わっているようで、固い手の平四つで白い陶器を満遍なく撫でさすっていた。

 人間の道具が珍しいらしい。


「あんなトコでどうしたの、って」

「あぁ……」


 特に気分を害したような様子も見受けられなかったので、彼女は続けて口を開いた。


「だって、アンタたちって狩るだけ狩って食べるだけ食べたら、大体はすぐ帰ってくでしょ」

「アレらはそうだろうな」


 緑の目を一斉に細めて、怪物はどこか憂鬱そうに呟く。

 セリフの違和感に顔を上げて、女は脳が示したそのままの言葉を彼にぶつけた。


「……仲間のこと自分と別みたいに言うね」


 すると、化け物はマグカップを弄る手を止め、その内の一本で後頭部を数度掻いて、降ろすと同時にこう吐き捨てた。


「肉でありさえすれば食事足り得るというのに、わざわざ文明を築くだけの知能を有す生物を狩るなど、あまりに野蛮ではないか。

 私にはつくづく彼らが理解できない」


 そこに浮かぶ感情は嫌悪だろうか、諦念だろうか。

 ともあれ、今時の女子大生らしい性格の彼女は、彼の(げん)をシリアスに受け止めることもなく、ただ思ったままを奔放に垂れ流すのみである。


「うっわ、変なヤツぅ。

 なんか行き過ぎたタイプの動物愛護者みたい。

 飢饉になれば人間だって人間を食べるってのに、およそ狩猟種族のセリフじゃないね」


 随分と軽率な物言いだが、怪物がそれを咎めることはなかった。

 野性的な食事事情に反して、彼らの本来の気性は非常に穏やかであるのだ。


「……否定はしない。

 母国の常識からすれば、私一人が異質で歪んだ存在なのは確かだ。

 そうでもなければ、強引に辺境の星へ置いていかれはしないだろう」

「えっ」


 反射的に女の口から驚きの声が漏れる。

 ほとんど無意識に身を乗り出して、彼女は眉間に薄く皺を寄せながら、無遠慮に問うた。


「なに、アンタ仲間に嫌われて捨てられたの?」

「いいや?

 むしろ、親切のつもりだろうさ。アレらはな」

「……どゆこと?」


 首を傾げる人間へ、異星者は親切にも詳細を語って述べる。

 不躾な質問をいくつも重ねられながら、こうも温厚であり続けられるのは、種族の特性によるものか、彼個人の性格によるものか。


「こうして独り狩場に残せば、いずれは飢餓状態に陥り本能が理性にまさって人間を食らう流れになるはずだと。

 一度でも経験すれば、私も正常に狩りを行えるようになるだろうと、そういうことらしい」


 化け物は、嘴を奇妙に曲げ、苦々しげに牙を覗かせている。

 そこから、地球に置き去りにされた現状に対する彼の不満が窺えた。


「なるほどねぇ、愛ゆえの荒療治ってわけかぁ。

 本人的にはありがた迷惑だけど、相手は善行のつもりだから全力で突っぱねるのも憚られる系みたいな?

 そっちの世界も複雑だぁね」


 何を連想してか、妙に訳知り顔で頷いてみせる女。


「あ、お茶のおかわりいる?」

「いや、もう十分だ」

「ほいほい」


 ここで、話が一区切りついたと見た彼女は、捕食者の答えを受けてカップを回収し、おもむろに隣室の台所へと消えていく。

 間もなく聞こえてきた雨とは別の流水音に耳穴を揺らしつつ、怪物は角張る肩を頭部と共に深く沈ませた。




「しかし、アレだね。

 迎えが来たところで、アンタに変化がなきゃ肩身は狭いままだし、また同じ様な余計な親切を繰り返されること請け合いだよね。

 だからって、現地生物に嫌われてる地球や他の惑星に移住したって、故郷より更に居場所なんかあるワケないし。

 そりゃ、私がこのまま匿ってあげるんでもいいけど、絶対いつかどっかでバレて破綻はたんするっしょ。

 ずっと家に閉じ込められ続けるとか不自由すぎだし、対象が知的生物だからウダウダ言ってるだけで、アンタも狩り自体は否定してない辺り、そうそう我慢ばっかさせらんないよね。

 で、人狩りに手を染めるのも嫌、仲間の意識を変えるのはほぼ不可能、一人でスローライフする場所もないってなると……。

 うーん。いやー、こりゃ見事な八方塞がりだねぇ」


 洗い物を終え、捲った袖を戻しつつリビングに姿を現した人間は、歩きながらに開口一番、ズケズケと失礼の上塗りをするようなセリフを連打する。


「そう言ってくれるな……」


 対して、事実を正面から突きつけられた怪物は、気落ちしたように一対の腕を膝に乗せ、もう一対の腕で頭部を覆った。

 それに何を思ったのか、女はソファに掛ける彼の足のすぐ目の前の床に体育座りして、緑の眼球を覗き込むように首を伸ばして視線を天に向ける。


「それに、野蛮だとかディスってるけど、当の仲間と敵対して被食者を守ろうって気もないんでしょ?」

「…………その発想はなかった」


 ハッと顔面を揺らす化け物に、女子大生は大げさに手を振って、自らの発想を強く否定した。


「いーのいーの。そんなこと始めたところで、誰も得しないから。

 アンタも、アンタの仲間も、私も、狩られる人たちも、皆で傷つくだけだって。

 カシオミニ賭けてもいいよ」

「かしおみに?」


 不思議そうに瞼を瞬かせる怪物を無視する形で、彼女は彼の足の皮膚に並ぶ血管の束にも似た筋に華奢な指先を一本滑らせる。


「いっそさぁ、狩られてあげようか、私」

「何だって?」


 届いた呟きに、思わずといった体で上半身を起こした捕食者は、膝に置いていた腕をソファの縁に移し、もう一対でソファの背もたれ上部を掴んで、僅かに腰を浮かばせた。

 彼女は己の指を追って床近くを眺めており、いと高き怪物の視界では、その表情を窺うことはできない。


「唯一の血縁のお偉いお父ー様ぁは、義務と世間体とでお金は送ってくれるけど、愛も興味も全く持ってくれてないしー。

 恋人とかー友達とかー、こう、すっごい大事ーって人もいないしー。

 別に、この歳になってまで独りぼっちごっこに浸っちゃう気はないけどさぁ。

 正直、生きるのどうでもいいっていうか、面倒っていうか、まだ六十年とか続くって思うとウンザリ、みたいな?」


 語りながら、女は彼の足に這わせる指を二本に増やす。

 宇宙怪物は戦慄した。

 自らの死を望むような生物を彼は目にした経験がなかった。

 生きたいという根源の欲求は、誰しもが当たり前に持ち得るものだと信じて疑ったことはなかった。

 彼女の話は、異星出身の化け物からして、あまりに常軌を逸している。


「有り得ない、貴方は何を言っている」

「一人でも人間を食べられたらさー、お仲間さんもやれば出来るんだって納得して、案外あとは個人の趣味の範疇ってことで好きにさせてくれるかもしれないよ?

 そしたら、無駄にダラダラ生きるより、私も産まれた意味あったなーって感じじゃん」


 喘ぐように落とした言の葉を、女のソレがズタズタに切り裂いていく。

 大した理由もなく命を投げ捨てようとする未知の生物に、怪物は背筋を凍らせる他なかった。

 何もかもが彼らに劣る脆弱な人間が、今、緑の眼球群に酷く不気味な得体の知れぬ存在の如くに映っていた。


「限りなくゼロに等しい可能性のためにソレを実行することに、どれほどの意味が生まれようか。

 容易く自らを滅ぼしたがるなど……そのように摂理に(もと)る生き物が、一体この世のどこにいるというのだ。

 総ての生命への冒涜ではないか」

「いや、私だって率先して死にたいわけじゃないって。

 痛いの普通に嫌だし」

「当たり前だッ」


 ここに来て初めて激高してみせた化け物だが、その声は僅かに震えていた。

 論じるまでもないことわりを、わざわざ口にしてみせなければならない状況が、そのいびつさが、彼には我慢ならなかった。

 天井に頭をぶつけそうな怪物を見上げて、女がヘラヘラと締まりのない苦笑いを向ける。


「やだなぁ、怒んないでよぉ。

 地球の、特に日本じゃ、私みたいな考えのヤツって、珍しくもないからね?

 そもそもが、唯一自殺をする生き物って言われてんだよー、人間ってのはさぁ」

「何だ……それは……甚だ理解に苦しむ」


 知らず内に浮いていた腰を再びソファに落として、捕食者は俯きがちに額へ手を当てる。

 沈む精神につられて、肉体にまで疲労が及んでいるように彼には感じられた。


「いいんじゃん?

 それだけアンタの故郷が正常ってことでしょ?」


 慰めのつもりか、彼女は彼のスネに当たる部分を右手で軽く叩いている。

 人間であればため息でも吐いていたであろう億劫そうな面持ちで、怪物は改めて足下の女に視線をやった。


「貴方は自らの種を異常と称すのか?」

「ははっ。

 自分らの住む星の寿命を平気で削りまくる種族が異常でなくて何なのー。

 いつだって目先のことばっかりで、地球環境は破壊の一途、すでに絶滅させた生き物も今後させる予定の生き物も数知れず?

 これで万物の霊長とか言って気取ってんだから、ホント笑わせてくれるよねー」


 嘲笑に顔を歪める彼女へ、化け物は尖る嘴を開いては閉じ、言葉を探す。

 が、それが明確に意味を紡ぐよりも早く、女子大生の話が先に進んだ。


「だからってのも何だけど、私はアンタもアンタの仲間も嫌いじゃないよ。

 動物的本能と高度な知性がいい具合に両立してるっていうかさ。

 少なくとも、人間よりはずっと生物として正しい進化をしたんだろうなって思う」


 二つの黒眼と八つの緑眼が互いのガラスに色を移している。

 見つめ合う人間と異星者の間に、束の間、静寂が訪れた。

 すでに表の雨は上がったようで、夕陽の赤い光がカーテンの隙間から室内に差し込んでいる。


「……それで、貴方は私のような者へ危険も顧みず声をかけたと?」


 やがて、沈黙を破ったのは、珍しくも怪物の問いかけによるものだった。


「いや? ソコはもっと自己中な理由だけど?」


 首を曲げ、女はあっさりそう告げる。


「じこちゅう?」

「うん。匿ってる内は生き甲斐が出来るかと思って」

「いきがい?」

「私しか頼る身のないアンタを守ってあげなきゃって、こう、日常に張り合いとか緊張感とか生まれそうじゃん」


 彼女の言い様に、捕食者は頭上に分かりやすく疑問符を浮かべている。


「まもる?」

「うん」

「貴方が?」

「うん」

「私を?」

「そう」


 頷く女の表情に、冗談の色は含まれない。

 この星の人間に彼を害せるだけの力がない以上、その表現は不適切だと怪物は思った。

 迎えを待つ期間、現地民に騒がれ続けることは煩わしいが、それを避けるのに効果的だという意味で、匿うという単語を使うのならば、まだしも分かる。

 だが、完全なる弱者である彼女が強き異星者を守るなどという認識を持つに至るには、彼の有する知識からではどう筋道立てても辿り着かない。


「…………理解不能だ」


 十数秒後、ついに思考を放棄した化け物は、全身から力を抜き、ソファの縁に寄りかかる形で体勢を斜めに崩した。


「そんないちいち考え込んじゃって真面目だねぇ。

 アンタの国のヤツって皆そうなの?」

「私の事情ではない、貴方がたの生態があまりに不可解すぎるのだ」

「言えてる」


 わはは、とわざとらしく声を立てて笑いながら、女子大生は友人にふざけて絡むかのように、捕食者の足を大胆に叩く。

 温厚らしいその怪物が多少の無礼を働いた所で憤ることもないと、人間らしい卑しさで学習をしたのだ。

 彼女は現在、もっぱら興味の対象である世にも珍しい異星の異性と物理的接触の度合いを高めていくことに熱中している。


「べっつに、アレコレ難しく考えないでさ、便利に使えるモンあったら使っちゃえばいいんじゃん?

 私は楽しいし、アンタは仲間が来るまで安全に隠れてられるし、お互いに損しない話でしょ?

 居場所を提供する代わりに、ごっこ遊びに付き合うとでも思ってさ」


 床から立ち上がり、女子大生は愉快顔で怪物の凶器的な指先をひとつ取って、自身の両手の平で包み込んだ。

 彼女の行動を明らかに訝しんでいる様子の捕食者だったが、ひ弱な人間の肉体を慮ってか、渋々といった雰囲気を醸し出しながらも大概されるがままになっている。


「……一体何ごっこだと言うつもりだ」

「んー。しいて言えば、同棲ごっこ?」

「はっ? どうせ……ッ!?」

「禁断の異種間恋愛ごっこでもいいよ?」

「れっ……バッ、ななな何をバカな!」


 途端、それまでの知性的振る舞いをかなぐり捨てて、異星者は悲鳴のような声を発しながら、女に捉まれている指の位置はそのままに、巨体を必死に後方へ仰け反らせ始めた。

 幾ばくも経たず、それなりに重量のあるはずのソファが倒れて、フローリングの床に鈍い音が響く。

 女子大生が思わず手を離せば、今度は宇宙怪物本体が騒がしくも背面から地に転がっていった。


「え……いや、動揺しすぎでしょ。

 アンタ的に原始人レベルの地球人と恋とか有り得ないって分かってっし、ちょっと落ち着きなよ。

 そりゃ、面白いからマジでそうなっちゃっても、こっちは全然いいけどさぁ」


 呆れ顔で側頭部を掻く女に対し、無様にフローリングに倒れた姿勢から上半身だけを起こして、怪物が緑の八つ目を極限まで見開いた状態で叫ぶ。


「面白っなっバッ! はじっ恥を知りたまえ!

 遠き異種族であるとはいえ、仮にも繁殖年齢に達する乙女が猛き雄を前に何たるフシダラなッ!」

「は? 昭和のオッサンか」


 肩を竦めながらも、彼の過剰な反応に、どうやら恋愛観に大きく差異があるらしいと察した仮にも乙女。

 よくよく事情を尋ねてみれば、遥か彼方の星では、愛し愛され伴侶となる者は生涯において一人が基本で、たとえ早々に死別したとして、もはや誰にもそういった感情を抱くことは不可能になるのだという。

 脳の恋情を司る部分が相手専用に作り替わるらしい。

 だからこそ、彼らは皆ツガイ選びには慎重で、かつ、全員が確実に童貞処女であるが故に、揃って恋に夢見がちな存在となるようだ。

 個人差はあれど、ゆりかごから墓場まで常時惚れた腫れたと多情な人類とは根本から造りが異なるようである。


「くっ、何という破廉恥な種族だッ」


 互いの情報を交換し終わった後、怪物は四本の腕で後頭部を覆い、床に小さく蹲った。


「だからぁ、悪かったって。

 後で本気で好きになっちゃったら分かんないけど、とりま、そういう方面のアレは仕掛けないようにするからさぁ」

「全く安心要素がない」


 ペチペチと岩のような肩を叩きながら謝意を示す人間に、太ましい腕の隙間から視線をやって、彼は閉じた嘴の中で牙を擦り警戒音を鳴らす。


「てか、こっちが戯れに秋波送ったところで、そっちが反応しなきゃ問題なくない?

 なんでソコまで必死こいて焦るわけ?

 実は、私のこと有り寄りの有りなの? 恋しちゃいそうなの?」

「止めろ!

 我々が特殊な出会いや状況に運命を感じ易い独身者と知っての狼藉か!」

「あっ、こいつチョロいぞ」

「止めろ止めろ!」




 と、まぁ、そんなこんなで多少の紆余曲折がありつつも、そのまま同居を始めた一人と一体。

 やはりと言うべきか、そう時を置かずして、人間は常に穏やかで紳士な態度を貫く化け物を愛し、異星者もまた彼女の健気なアプローチに絆され、彼らは捕食者と被食者という立場を超えて親密な関係を築いていった。

 二ヶ月を過ぎる頃には、怪物の母星から家族や友人といった者が揃って迎えに訪れたが、獲物である人類を伴侶とした同種に困惑し、誤った選択で当人の未来を完全に狂わせてしまった事実を嘆き、もはや捨て置けと地球に骨を埋める覚悟を決めた様子の、かつて仲間であったはずの男の言を受けて、彼らは絶望を背負い帰郷していった。


 その後、一人と一体は住み慣れた平屋を離れ、とある山中に一軒家を建て引っ越し、そこで日々を過ごすようになる。

 当該の山のふもとには、かつて大層な賑わいを見せていた工場群があり、その際に越してきた社員一家に向けて多くの住宅が乱立していた。

 やがて、工場の大元である会社がバブル崩壊の煽りを受け潰れたことで、細道や急な坂ばかりの不便な道路事情のみを残して、ほとんどの企業が撤退し、元社員の次代である子や孫は必然的に職を探して故郷を離れ行くこととなる。

 なおもこの場にしがみついているのは、精々当時を謳歌した七十も八十も(よわい)を重ねた老人ばかり。

 当然、加齢による死亡、持病による入院、また養護ホームへ入居等といった流れで空き家は増え、現在ではゴーストタウンのごとき様相を呈している一帯もある。

 そんな中でも最奥の開発地と見られる山の中腹辺りにある住宅跡地へ、元女子大生は自ら運転するワゴン車に怪物を積み、意気揚々と越してきたのだった。

 近隣住民はすでにおらず、観光用のハイキングコースなども完全にルートを外れているため、余程のことがない限り二人の存在が人目に晒されることはない。

 山にはイノシシなど害獣の類も多く生息しており、天を徘徊する衛星にのみ気を付ければ、怪物が狩猟種族としての本能を最低限満たすことも出来る。

 流通の不便さや虫の多さは仕方なしとして、一分一秒でも長く愛しい化け物と暮らしていられるようにと女が少ない知恵を絞りひり出した結論だった。


 それでも、いつかは平穏を破られる日が来るはずだと、警戒を怠らない一人と一体だったが、大方の予想に反して、人間がその本来の寿命を全うする最期の時まで、本当に運良く、彼らの愛の巣に割り入る存在は現れなかったという。

 そうして、何十年と連れ添った最愛の伴侶との別離を経た怪物は、飽きもせず地球人を狩りに飛来していた同種と交渉し、彼女の髪の一房を手に故郷へと舞い戻った。

 帰還を果たしたかつての仲間を、家族や友人は喜び迎え入れたが、その後にいくら説得を繰り返しても、彼が人類やそれに準ずる存在を啄ばむことは、ついぞなかったのだという。







 異星の被食者に心を狩られた、とある一人の男の話。




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― 新着の感想 ―
[一言] エネルギー効率良いって事は代謝も穏やかだろうし、そりゃ寿命も違うか。 ところで2人はおせっせしたんですかい?
[良い点] こういう展開KONOMI [一言] 寿命はどの程度なのでしょうか...。
[一言] 純愛ですね~。最高です! とても楽しく読ませていただきました。 ブクマ決定です(笑)
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