幕開け
001
平凡とは言えない人生だった。
それでも私は知らなかった。
日本で生きたあの15年がどれほど恵まれていて、幸せなことだったのか、私は知らなかった。
―――――――伊藤優香。
それが私の前世の名前だ。
前世、と聞いて分かるかもしれないが私は転生者である。
とは言え、交通事故で死んだとか、神様女神さまにあってチートを貰ったとか、そういうことは無かった。
もちろん15年というように老衰したわけでも無い。
普通より少し裕福な家庭に生まれ、5歳の時までは活発な普通の幼少を送り、家族とも楽しく暮らしていた。
転機が訪れたのは6歳になったすぐの事だ。
その日も幼稚園で何時もと同じように、何時もと同じ場所を走り回っていた。
―――――――突然の転倒。
意識を失ったのが先なのか、転倒の衝撃で意識を奪われたのか。
今思い出しても判然としない。
ただ、それから情報を聞く中で先に意識を失ったのだな~、と結論付けるようになった。
―――――気が付いた時には病院のベッドの上で寝かされていた。
病院の、と判ったのは体中に管やテープなどが付けられていると自覚できたからだ。
6歳。大した見識の無かった私だが自分がとても不味い状態にあることは分かったと思う。
目を開ける。
母親と二歳年上のお兄ちゃんが頬を濡らして泣き崩れていた。お父さんはそれを必死で耐えているようだった。
―――――大丈夫。
そう口に出そうとしたがマスクが邪魔でうまく話せない。
何とか笑顔を作り、安心させようとしたが、すぐに後悔した。
気丈にふるまっていたお父さんまで、悲痛に顔を歪ませ、泣いてしまったから。
その顔を見ていられなくて私は眠るふりをして目を閉じた。
それから一週間後、看護師さんの会話から自分が不治の病だと知ることになる。
ストンと納得してしまったことを今でも覚えている。
その日から、私は何も知らない自分を演じ続けた。
――――――9年。
お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、一日も休むことなく会いに来てくれた。
自由とは言えなくても、それなりに楽しい人生だったと思う。
家族に看取られ、そう思って死んだことまで鮮明に覚えている。
だから、初め自分が置かれた状況に理解が追い付かなかった。
気が付けば見覚えのない場所に立っていた。映画やアニメで場面が変わるように、突然別の場所にいる。
(え?・・・ええ?・・・これなんて夢?)
全く見覚えのない場所だ。
優香が200人は寝れるんじゃないかという無駄に広いベッドに、それが小さく見えるほどの広すぎる部屋。天井には特大のシャンデリアが吊るされ、部屋の至るところには一目で目が飛び出るほどのタッカソーナ家具・装飾品が散りばめられており、ベッドは王様とか寝てるようなベージュのカーテンの付いたフッサフサな羽毛入りであった。
(え?・・・ええ?・・・・えええ?・・・・)
何だこの無駄に金のかかった部屋は。無駄遣いにも程があるぞ。
そこでふと気づく。
自分の体にあるはずの物がない。
ペタペタと顔身体を触ってみるがやはりない。
(あれ?・・・あれ?・・・・管も針もテープも無い。・・・それに何より・・・)
―――――体が動く。
腕も、足も、首も、腰も。
私は久々に動かす体の感覚に楽しくなった。そりゃもう、年甲斐も無く我を忘れるほどに。
ベッドの上でピョンピョン撥ねる。トランプリンのように撥ねる。
フッサフサな上に憎らしいほど弾力が最高なので、どんどん調子に乗った。
ぽよ~ん、ぽよ~ん、ぽよ~ん、ぽよ~ん、ぽよ~ん、ぽよ~ん、ぽよ~ん、ぽよ~ん、ぽよ~ん、ぽよ~ん、
「エ、エリザベータ様がまた乱心なされたぞ~!!」
大変失礼な言葉だ。
てか、エリザベータって誰やねん。様が付いてる当たりかなり身分が高い、いわゆるヒステリック貴族令嬢みたいな人なのだと予測はつく。
私は大変だな~、と他人ごとのように思いながら、流石にトランプリン不味いんじゃね?と思い始める。
しかし、他人ごとのように思うと同時に、何か馴染みのある、不思議な気分も感じていた。
何かが、喉の奥につっかえているような不快な感覚。それが何なのかと言葉に出そうとするとたちどころに靄のように消えていくのだ。
何なんだ?
――――――ドタドタドタドタ
その思考を遮るタイミングで、荒々しい足音とともに、蹴破るように扉が開かれる。
入ってきたのは騎士風の優男だ。男はフランス人風のイケメン顔を緊張に強張らせ、右手にはレイピアのような細剣が握られている。その切っ先が向くのは・・・
「エリザベータ様!御無事ですか!」
御無事じゃないよ!今まさに御無事じゃなくなったよ!
そんな馬鹿な思考が出来ないほど、今優香の脳内は文字通り大変なことになっていた。
―――――――熱い、熱い、熱い、
この騎士風の男を見た瞬間、脳を焼き尽くすほどの情報が脳内に流れ込んだのだ。
痛さを熱さと勘違いするほどの苦痛。前世で幾度となく味わった痛みと比べても間違いなく一番強い痛みだ。その上、痛み止めなどという便利なものは今持っていない。
―――――――熱い、熱い、熱い、熱い、
その苦痛から逃れるように優香の意識に白煙立ち込めるように霞みがかる。
ぐらりと視界が揺れ、遅れて感じる鋭い鼻の痛みに自分が倒れたのだと理解した。
「エリザベータ様!」
慌てて自分を抱き上げる騎士風のイケメン・・・もうイケメンでいいな。
このイケメンは「っく!暗殺者か!」などと言っているが、トランプリンしてただけである。
怒られるんだろうな~、そんな思考を最後に優香は意識を失う。
002
エリザベータ・A・アルバート。
アルバート辺境伯の一人娘である。
美形の両親の間に生まれ、大層優れた美容を持ち、アルバート伯爵に甘やかされて育ったエリザベータは貴族の令嬢を絵でかいたような、傲慢な娘になった。気に入らないことがあれば癇癪を起こし、自分が世界の中心だと言わんばかりの傲慢さで、屋敷の者に当たり散らすのも日常茶飯事。とうとう婚約者のレオナルドにも見切りを付けられ、婚約破棄を言い渡されたのが、つい先日の事だ。
これが私が思い出したエリザベータ・A・アルバートの15年である。
そこはかとなく薄い人生である。そして、最悪の状況で前世の記憶を思い出したものだとほとほとため息が出る。これならば何も知らないまま、傲慢に過ごしていた方がまだ幸せだっただろう。
けど、一番の問題はそこじゃない。
何より問題なのは――――――――
「これって、やっぱガン・ガン・ソードの世界だよね。」
ガン・ガン・ソード。
10年前発売開始されたアクションアプリゲームである。
「銃と剣を使い、犯罪はびこる街で成り上がれ!」というキャッチコピーの通り、犯罪都市ルルカナで主人公アルフォンスが成り上がるゲームである。エリザベータは本作と全く関係しないモブであるが、エリザベータの16年を見るあたり、この世界がガン・ガン・ソードの世界であることは疑いようはないだろう。
ないわ~。
百歩譲って、これが悪役令嬢転生ならまだ分かる。
いや、それも好き好んでなりたいものではないが、少なくとも風穴を開けられるようなことは無いだろう。せいぜいが陰湿な嫌がらせや、皆の前で赤っ恥をかく程度である。
ガン・ガン・ソードの世界ではそれは日常の風景だ。ネット上で「こいつ絶対ニートだろ」の称号を手に入れた私が言ってるんだ、間違いない。
その称号の通り、無課金で高ランクプレーヤーにまで上り詰めた私であるが、現実の戦闘経験はゼロ。
そして、このアルバート家というのがまた悪い。記憶が正しければ、この屋敷は本作三作目で舞台の一つとなる場所なのだ。
ないわ~。
それりゃ、異世界転生とか、俺TUEEEとか、考えたことはあるが、本気でそんなもんに直面したら腰引く以外の何が出来るというのか。妄想は妄想のままでよかった、本当にそう思う。
(これからどうしよう・・・・)
一人部屋の中でうずくまり、これからの事を考える。
先ず絶対前提として、私が死なないこと。そのために何をするか。
自分の戦力増強、仲間を増やす、防犯体制の強化、いろいろ浮かぶが私はこの世界についてもう少し詳しく知らなきゃいけない。
そもそも本当にこの世界はガン・ガン・ソードの世界なのか?
近しい何かであることは確かだが、完璧に同じなのか?
そうで無いことを願う。もしそうだとすると、エリザベータの生死は主人公の出来不出来で決まるのだ。
そんなのはごめんだ。
たとえ主人公がヘタレなデブでも生き残る。その準備をしよう。
そう結論付けたその時、ふと異変に気付く。
(なんだ?妙に騒がしい。・・・)
気のせいかもしれない。これが普通の生活音というものなのか?病院に長年い続けたせいで、優香にはそれが異常なのか否か判別が出来なかった。
ただ、漠然とした不安が鼓動を速くし、頬に一滴の汗が流れる。
それが緊張故ではないと気づかぬまま、優香は生じた不安を脳の片隅に追いやり、再び布団に着こうとした。
その時だ――――――――
ガンガンガンガン
扉の叩く音がする。
使用人にしては随分荒っぽく、もしかして家族のだれかだろうか?と、思い至り、
「はいはいはい、ちょっと待ってください。」
ゆっくりと扉を開けた。
003
―――――――――――ぐちゃり、ぐちょ、ぐちゃり。
水分を多量に含んだ柔らかい物質が、強い圧力を受け押しつぶされる音が響く。それが何なのか、薄暗い室内を目を凝らしてみると、その正体に気付くだろう。
それは肉塊だ。元は人の一部だったのだろうそれは、赤黒く無数に切り刻まれ、
その量から見るに、一人二人という程度ではない。
数十人・・・・
少なくとも20は下らぬ人間が、まるでままごとの延長のように殺されたのだ。
「クスクスクス。」
血なまぐさい、鼻を突く異臭の中、まだ幼い・・・
およそこんな惨状とは結び付かないあどけなさの残る、男の子供の笑い声が響く。
声の主は金髪・青眼の少年だ。年にして10歳にも満たない程の幼く小さい様相で、その手には身の半分ほどある大斧が握られていった。
異常。異常な光景である。
この部屋にいる、もう一人の生者。そして、この屋敷の主でもある壮年の男は未だこの状況に理解が追い付かなかった。
時間にして数十秒。
圧倒的な個人技により、この場にいた28人の執事・メイドが惨殺されたのだ。それも殺されたのは只のメイドや執事ではない。数多の苛酷な修練を積んできた精鋭である。
――――――――理解できない、受け入れられない。
男は歯をガチガチと震わせ、ありうべかるぬ現実に、怒りと悲しみと恐怖と不安が濁流のごとく咽び上がる。
しかし、次の少年の言葉に男は強制的な理解を迫られることとなる。
「ねえ?死ぬってどんな気持ちなの?ねえ?君も殺せばわかるのかな~?」
「ま、待て!私を誰だ―――――ひゅっ―――」
声に出そうとした言葉を最後まで言うことなく、男は命を失った。
首根元から真っ二つに割られた男の頭部は、首の上に立つ力を失い、血吹雪を上げながら空を落ちる。その血吹雪には滑りとした温かみがあり、先の先まで生きていたことを叙実に語っていた。
少年はゆっくりと身を屈め、今なお血を流し続ける頭を胸にそっと抱きしめた。そこには何の罪悪感も、忌避感も無く。むしろ、恋人を抱擁するように。孫を可愛がるように。愛する子供を抱きとめるように。慈しみ、可愛がり、愛おしみ、
しかし、紡がれる言葉は何処までも残忍で、共感など何一つできない理解不能なものだ。
「ああ、やっぱり分からなかったな~。でもこれは無駄死にじゃないよ♪君を殺しても分からないという事実を僕は知れたんだ。嬉しいかい?そうか、嬉しいよね。」
狂気しか映さぬ空色の瞳が二階へと続く階段へとむけられた。
「もう一人殺せば分かるのかな。」