赤色の奉仕者
「うぅ……」
窓から差し込む光に目を開く。もともと寝起きがいい方ではないが、今日はことさら気怠い。
「なんか……変な夢を見たような……」
背伸びしながら夢の内容を思い出す。見慣れた作業室に見慣れぬ芸術品のような裸身の少女。なんだそれは、溜まってるとでもいうのか。確かに年齢イコール彼女いない歴は事実だが。
そんな益体もないことを考えるチャーリーの後ろで。
「おはようございます、マスター」
鈴のように澄んだ聞き覚えのない声に、びくりと肩を震わせた。
恐る恐る振り返る。
「……おはようございます、マスター」
まったく同じ平坦な声。
それを発したのは、夢に出てきた少女であった。
「…………おはようございます、マス――」
「あーそれはもういいから。聞こえてるから」
三度繰り返そうとする少女に手を伸ばして制止する。そうですか、と少女は機械的に頷いた。
ちらり、と少女を見る。間違いなく昨夜の少女だ。
違いがあるとすれば、今の彼女は全裸ではなく、瞳と同じ濃い葡萄酒色のワンピースを纏い、その上に白いエプロンを付けている。
長い桃銀色のの髪は左右と後ろの三ヶ所で結わえ、スリーサイドアップとでもいうような髪型。
全体的にやけに赤いということを除けば、その姿はチャーリーの実家で雇われていた家政婦のそれであった。
色々と思うところはあったものの、まず最初に訊くべきはこれだろうと思い、口を開く。
「ところでキミ、誰?」
◇◆◇
「うわ、なにこれ美味しい」
狐色の焼き目の付いたトーストにカリカリのベーコン、ゆで卵を添えたレタスとトマトのサラダ。
テーブルに並ぶのはごく普通の朝食。だが普段自分が作るものより遥かに繊細なその味に驚きを隠せない。
「お口に合ったようで何より。おかわりは必要ですか?」
「あ、それはいいよ。朝食は軽め派なんだ」
「……まぁ、だと思ったので用意してないんですが」
「ならなんで訊いた!?」
説明を求めたところ、朝食の用意が出来ているので冷める前にと勧められたチャーリーだったが、素直に従ってよかったと感じる。
一瞬毒物でも入っているのではとも考えたが、そもそも現時点で生きていて、拘束もされていないことから少なくとも害意はないと判断しての上だ。決してキッチンから流れてきた香ばしい匂いに負けたとかそういうことではない。そう、決して。
それに、間違いなく初対面のはずのこの少女に対して、まるで数年来の親友のような、あるいは親戚のような親近感を感じていたというのもある。
濃い目に淹れた紅茶に砂糖を二つ。チャーリーの好みそのままのお茶が差し出される。それを一口。やはり王国民の朝に紅茶は必須だ。
「……ふぅ。で、改めて訊くけど」
こくり、と少女は頷くと向かいの席に座る。改めて眺めてみると、見惚れてしまうほど美しい。気合を入れるように背筋を伸ばす。
「キミ、何者?」
「それに答えるには、定義が曖昧だと判断します」
返ってきた言葉の意味が理解出来ず首を傾げる。
「えーっと。それじゃあ、キミの名前は?」
「………」
少し考えるような挙動。そして三秒ほど置いて。
「……メアリー。メアリー・ブラッドクインとお呼び下さい」
「ふぅん。わかったよ、メアリー」
おそらく本名ではないだろう。が、チャーリーは特に追求しなかった。
それにしても『メアリー』で『血塗られた女王』とは、なかなか穏やかではない。
「どこから来たの?」
「最初からいたとも言えますし、今もまだ来ていないとも言えます」
「……家族は?」
「一人もいませんし、あらゆるものが家族です」
「…………好きなものとか嫌いなものとかは?」
「全てが好きで、全てが嫌いです」
――駄目だ、何言ってるのか全っ然わからん。
哲学の講義も受講しておくべきだったか、などと遠い目で考えながら、ある意味で最も重要なことを訊いていないことに気付く。
「えっと、それじゃ……何しにここへ?」
「………」
それまで即答だったメアリーが、その問いには名前以上に思案しているようで。
「……の」
「ん?」
「マスターの、役に立つために」
と、それだけ答えた。
「さっきから気になってたんだけど」
「はい」
「マスターって、もしかして僕?」
「はい」
「マジで?」
「マジです」
「マジですかー」
天井を仰いで深く深く溜め息。いやそんな気はしていたのだ。だってこの家には自分の他に誰もいないし。ただ認めたくなかっただけで。
「言っておくけど、僕にそんな価値ないよ? 実家はまぁ裕福といえば裕福だけど、仕送りはほとんど実験と弁償とで消えるから毎月かつかつだし、成績は同級生でも下から数えた方が早いし、とりあえず生きてられればいいかーってくらい炊事洗濯掃除も最低限しかやらない駄目人間だし」
「……よくそこまで自己評価を低くできますね」
無表情で無感動なメアリーだが、その視線と声音が微妙に呆れている。ちょっと泣きたくなった。
「ですが」
両手を合わせるメアリー。変わらない表情に、僅かながら興奮が混じっている、ような気がする。
「私を作ったその技巧、その手腕、その才覚。それはこの世界、この時代において片手で数えられるほどにしか存在しないものだと断言します」
「んー……?」
二重の意味を持って聞こえた声に頭を捻る。
作った……製作……発明……
「あ!」
そこであることに思い至り、椅子をひっくり返すのも構わず立ち上がり作業室に駆け込む。
真ん中に置かれた作業台。道具を入れた棚。封印した窓。
だがそこにあるべきモノがなかった。
「ない! ない! 僕の大事な発明が! ない!」
そう、昨日まで作業台の中央に鎮座していた計算機のミニチュアが、影も形も見当たらなかった。
そこで記憶を手繰り寄せると、昨夜の邂逅の時点でもう存在していなかったことを思い出す。
「キミ! ここにあったなんか馬鹿でかい機械の箱知らな、い、か……」
ダイニングに戻ったチャーリーは、そこで言葉を失った。
作業室の入り口、そのすぐ目の前に立って待っていたメアリーが、エプロンの肩紐を下げ、胸元を大きくはだけさせていた。
滑らかなシルクのような肌。大きくはないが決して小ぶりでもない形のよい双丘が、淡い桃色の先端まで露わになる。
だが、チャーリーが目を見開き凝視したのはそこではなく。
「ですので、私の半分は最初からここにいました。いえ、厳密に言えばマスターがここで作り出したのです」
恥ずかしがることもなく淡々と胸元を見せつけるメアリー。
胸の膨らみの中心。そこが不自然に口を開き――
「ゆえに私はマスターのもの。マスターの役に立つことこそが私の存在意義なのです」
――歯車と、発条と、円筒と――その他大小無数にして無機質な機械仕掛が、美しい少女の中で忙しなく音を立て蠢いていた。