閉幕~屍の王の末路~
「ぐ……」
力なく地を這いながら、黒羊歯蛹依は憤怒に眼を輝かせた。
ここはロンディニウム地下の墓地ではない。蛹依が王都の外れに用意した隠れ家だ。
「死を克服した私が……あんな若造に……こんな、ことが……」
肉体的に死んだとはいえ、今回はクルーシュチャ方程式による強制はなかった。
しかし、分身代わりの死体ではなく本体と定義した身体を殺されたことで架空燃素、魂は限りなく消耗していた。それでもこうしてまだ生きているのは、もはや蛹依に真実の肉体が存在しないためだ。
自身の体質と屍喰鬼研究の果てに、蛹依はある条件下で人格ごと魂を他の身体に転移する術を作り出した。
死体を加工し、本来の自分に似せて作った肉体のストックさえあれば無限に蘇生する。もはやどのストックが本来の肉体だったかも忘れてしまった。
その在り方は既に人間を辞めた、怪異の一種と呼べるだろう。
「……しかし、ここは一度本国に戻るか……」
あの学生に二度も敗れたという事実は腹立たしいが、それに縛られて冷静な判断が出来ていなかったと省みる。
貴重な魔術の素養がある死体と、通りのいい社会的地位を喪ったのはカダスの使い手、その極意を見謝った結果だ。断じて負け惜しみなどではない。
「この王都に張り巡らした領域を手放すのは惜しいが、しかし現状でも充分な成果は出た。態勢を建て直し――」
「おっと、悪いがそりゃ無理だ」
どす、と。
鈍い音を立てて、五本のナイフが蛹依の背中と両手足に刺さった。
「……貴様」
見上げれば、いつの間にか鎧と礼服の中間のような服装の男が立っていた。
どこか気の抜けたその姿は、しかし緩めているからこそ隙が見当たらない。
「『王都周辺の墓地を繋ぐ霊脈を辿って、奇妙にはみ出したところに隠れ家があるはず』……あの少年の直感がこうも当たるとはなぁ」
その言葉に蛹依は男がチャーリーの差し金だと悟る。
「……円卓か」
「おう。散々暴れてくれたお前さんも、ここでお縄ってわけだ」
油断なく警戒しながらも勝ち誇る騎士に、くっくっと含み笑いで返す。
「馬鹿め、霊脈を伝って転移出来る私が、こんなところで捕まると――ッ!」
言いかけて、蛹依は自分の中で太い血管が切れるような激痛に苛まれた。
「貴様、何を――」
「大したこっちゃない。ウチの相方がお前さん自慢の霊脈を断った。それだけだ」
「な……」
こともなげに言う男に、蛹依はここにきてようやく危機感を覚える。
蛹依の死体転移の絡繰は、自分の魂を浸透させた土地を繋ぐ霊脈を幹として、そこから枝を伸ばすようなものだ。人格が常に枝の一つに出なければならない欠点はあるが、幹――土地さえ無事なら無限に再生する。
だがこの男はその繋がりから人格の宿る『本体』を切り離したという。
「冗談も休み休み言え。ただの簡易術式ならまだしも、数年かけて刻んだ、私の魂の一部だぞ? それを――」
「……反逆の騎士モルドレッド」
蛹依の言葉を遮る。
「俺ら円卓はな、偉大な初代様方の名前を拝命する時に、その逸話と自分の気質を組み合わせた固有技能を授かるんだよ」
「それがどうした……」
「んで相方……モルは『反逆』。奴さんの剣は『元に戻ろうとする性質』を問答無用でぶったぎる。不死殺しとかお前さんの相性は最悪だな」
それを聞いて、ドルイト講師の死体が受けた腕の傷が蘇生しなかった理由を把握した。
「しかし残念だな。確かに安定した転移は封じられたが、ならば肉体を放棄するだけだ」
それはある種の奥の手、失敗すれば魂が消失する賭けだったが、言葉にすることでまだ詰んではいないと自分を鼓舞する。
しかし、その賭けはベットすらさせて貰えなかった。
「ばーろー、俺も円卓だってこと忘れてないか?」
「ふん。どんな能力だろうと先に逃げればいいだけよ」
そう言って死体を抜け出ようとして、
「……『トリスタンとイズー』の話、知ってるか?」
肉の袋から出られないことに気付いた。
「馬鹿、な――」
「ま、ざっくり説明すると騎士の駆け落ち話なんだがよ。最後で死の間際の初代トリスタンは旗の色で想い人がいるか知らせてくれと頼むんだ」
左手首に刺さったナイフを見る。持ち手から刃に至るまで、それは黒一色に染められていた。
「『開閉』、それが円卓の交渉・調査部門『聖盾』のリーダーたる俺の固有技能だ。黒のナイフは全てを閉じ、白のナイフは全てを開く。お前さんはもう、肉体から出られねーよ」
言葉に偽りはなく、ナイフで物理的に四肢を封じられた蛹依に脱出する術はない。
「こんな、ところで……」
「反省でも自害でも構わんが、知ってること全部吐いてからするんだな。ウチの尋問はキッツいから覚悟しとけ」
完全に力尽きたと項垂れる蛹依を、円卓の騎士トリスタンは淡々と拘束したのだった。




