真夜中の闖入者
――検索、開始
――検索、完了
――候補、十七件
――内、適合個体、三件
――最適化、開始
――未知の異常を確認、作業は続行
――最適化、完了。引き続き挿入、開始
◇◆◇
「ん……寒っ」
フランツに計算機の図面を見せた、その日の夜。
目を覚ましたチャーリーは暗がりの中壁掛け時計を見る。ぼんやりと見える短針は夜中の十一時を指していた。
だが、目を覚ましたのは寒さだけが原因ではない。
「今、音がしたような……?」
それなりに裕福な実家に頼んで借りた、学生寮の中でも広めのチャーリーの部屋。といってもそこに住むのは一人だけ。
二つある部屋のうち、片方は今いる寝室。もう片方は簡単な防塵処置を施し作業室として利用している。
犬猫も飼っていないため、夜中に音がすることなどはまず有り得ない。
ついでに言えば作業室も今日は特にきっちりと片付けたのを何度も確認したので、何かが落ちたということも考えられない。
となると――
「まさか、泥棒?」
王立というだけあってかロンディニウム大学は警護も他の大学に比べて高水準である。が、それでも強盗などの事件が全くないわけではない。
そしてその手の事件で標的になるのは、まさに今チャーリーが使っているような中級階層以上の子弟が借りる部屋なのだ。
「………」
息を殺して耳を澄ます。だがそこにあるのは耳が痛いほどの静寂。
なるべく無音でベッドを抜けると寝室を見渡し、武器になりそうなものを探す。しかしもともと物の少ない寝室では、生憎役に立ちそうなものは見つからない。
仕方がなしに精神防御の護符だけ取り出しポケットに入れる。金属片に刻まれた呪式に微量の架空燃素を注ぎ込むことで、精神系の干渉に対する簡易結界を張る仕組みになっている。
猫のように足音を潜め、ゆっくりとドアを開ける。この家は玄関に入ってすぐダイニングになっており、そこから二つの部屋に繋がる構造になっている。だがそこは寝る前と同じ。物取りらしい気配もない。
やはり勘違いだったのだろうか。そういえば目覚める直前まで奇妙な夢を見ていたような――
――ごとっ。
「!?」
声を上げそうになったのをすんでのところで堪える。
音がしたのは隣の作業室。それも道具などではなく、数十キロはありそうな物体が落下したような音。
その瞬間、チャーリーの中で恐怖心を上回る何かが膨れ上がった。
フランツに見せた計算機の図面。それは完成すれば数十メートルの幅を持つ巨大な機械であり、個人で製作出来る代物ではない。
だが、これはフランツにも言っていないことだが実のところチャーリーは動作確認用のミニチュアを八割がた完成させていた。そしてそれは、まさしく目の前の作業室に置いてあり、重量も一〇キロは軽く越える。
大事な発明品がどこの誰ともわからない輩に弄られている。そう考えた瞬間にチャーリーの頭は侵入者への怒りで埋め尽くされた。
ドアノブに手を掛ける。一度だけ深呼吸をし、そして――
「誰だ!」
勢いよくドアを押し開け、壁に刻まれた刻印に触れる。すると天井の灯石がぱっと光を放つ。
「っ」
暗がりに慣れた目が焼かれ、一瞬視力が奪われる。
だが、次の瞬間。チャーリーは違う理由で視覚を奪われた。
「キ、ミは……」
確かに、予想通り作業室には見ず知らずの人影があった。だがそれは想像していたような覆面の男など、物取りのイメージからは――いや、そもそもからして現実から大きく乖離していた。
「………」
無言で振り返る闖入者。
灯石の輝きを反射する、桃銀色の長髪。
じっと部屋の主を見つめ返す、葡萄酒色の瞳。
極上の絹糸を連想させる、新雪色の肌。
こんな彫像置いただろうか――一瞬そんな疑問が浮かぶほど、これまで見たどんな女性よりも美しい、至高の芸術品のような少女が、惜しげもなくその裸身を晒して佇立していた。
その姿にチャーリーが感じたのは、驚愕でも恐怖でも、ましてや猛る獣性でもなく――
(きれい、だ……)
――恍惚。ただ、その美しさに見惚れていた。
それに、どうしてかその少女には親しみのような、知っているような感覚を抱いた。
「――ぁ」
一瞬か、一分か、それとも一時間か。
時間の感覚すら曖昧になるチャーリーの意識を引き戻したのは、それまで無言だった少女が口を開いたから。
だが、その口から零れ出たのは。
「―――――、―――。―――――――――」
「っ――!」
反射的に手で耳を塞ぐ。少女が紡いだのは今までに聞いたことのない言語。いや、そもそも言語であったかすらも怪しい、情報そのものとさえ表現出来る音の奔流。
(あ、これやばいやつだ)
意味こそ理解出来なかったが、その音声に魅了の性質が付与されていることに気付いたチャーリーは慌てて護符に架空燃素を流し込む。
僅かに揺らいだ意識がそれで少しばかり楽になる。それでも少女の『声』は、手の隙間から漏れ聞こえるだけでも意識を刈り取られそうになる。
「―――?」
やがて、少女は発声をやめて首を傾げた。
その事にチャーリーがほっと息を吐く――次の瞬間。
「な――」
少女の足元に広がる影が、まるで蛇のように伸び上がるとチャーリーの身体を雁字搦めに拘束した。
「くそ! これ、硬い……っ!」
必死に抜け出そうともがくが、影はびくともしない。
この異常事態、間違いなく原因は少女にある。だが、その理屈がわからない。影に質量を与えて操る魔術など聞いたことがないし、そもそもの話として魔術の発動を知覚出来なかった。
(もしかして……)
と、考えている間に少女がチャーリーに歩み寄る。這って逃げることさえ考えたが脚の力を抜いても影によってその場に張り付けられ、立ったまま完全に身動きが取れない。
少女の顔が目と鼻の先に来た時、ようやくチャーリーはある疑念を抱いた。
(きれいだ……だけど、きれいすぎないか?)
白い肌には染みどころか黒子の一つさえなく、艶やかな髪は不自然なほど光を反射して輝いている。
いっそ人形と言われた方がまだ納得がいくほどに整った容姿。生命を与えられるほどに作りこまれたヒトガタの極致。
そんな現実逃避をするチャーリーの額に、少女は自らの額を軽く押し付けた。
その行動の意味を思案するよりも早く――
「―――――!」
脳内に押し寄せる膨大な情報。耐えきれず、あらん限りの力であげた悲鳴はもはや可聴音域すら超えていた。
情報の中身を認識するよりも先に次の情報が現れる。時に映像、時に音声、五感以外の未知の感覚によるものとしか言い表せないようなものに、五感全てを同時に叩き潰すようなものまで。
情報、情報、情報――濁流のような圧に一〇秒と保たず、チャーリーの意識は深い闇の底へと溶けていった。