究極の選択
地下へと続く階段はすんなり見つかった。見つかることを想定していなかったのか、あるいは見つかることさえ計算の内か。
しかしチャーリーにとってはどちらでも関係ない。ただひたすらに、所々壁に嵌められた灯石の光を頼りに果ての見えない階段を駆け下りていく。
そして――
「ここは……」
ようやく平らな地面に出たと思えば、そこは巨大な地下空洞だった。
おそらくは古代の地下墓地だろう。墓石らしき列石の間には照明として篝火が焚かれている。
それは同時に現在もここを利用する者がいるということに他ならない。
「ようこそ、我が隠れ家へ」
洞窟内に反響する声。
入口から見て反対側の奥、祭壇のように他よりも高さがあるそこに、男の影。
「もう顔は隠さないんですか、ドルイト先生?」
見慣れた黒いぼろぼろのローブ。しかしそれを纏うドルイトは今までフードで秘していた顔を堂々と晒している。
「大学講師は廃業したのでね。もう身分を隠す必要もない」
そう言って右手を掲げる。
肘から先、モルドレッドの剣によって修復出来ない傷を負っていたその腕が、今は傷一つない綺麗な腕になっている。
――白に限りなく近い銀灰色で、篝火を反射してぬらぬら輝いているという異常を除けば、だが。
「さて、どうやってここを探し当てたかはわからないが、重要なのは過程でなく結果だ。そして、どうにも仲間になってくれそうなわけでもない。そこで、だ」
右手の指をパチンと鳴らす。新たに灯る火によって、影になっていた右側の奥が浮かび上がる。
「サナエさん!」
そこにいたのは、鎖で手足を壁に固定された女学生。
気絶しているのか頭はだらりと下がっているが、死んではいないようだ。
「彼女を解放するチャンスをあげよう。今から五分、私は何も手出ししない」
「……どういうつもり?」
「なに、ちょっとした『究極の選択』というやつだそして――」
再び指を鳴らす。
それを合図に、墓石から無数の白い影が涌き出るように現れた。
【ドーバーの悪魔】、人造の怪物はしかし全てがその場に踞ると、四肢が溶け球状に変化した。
まるで卵、あるいは蛹であるかのように。
「五分後、この百個の『繭』は成長を遂げ、真の姿を現す。無防備な今なら破壊も容易いだろうが、壊そうとしたその瞬間、私は彼女を殺す」
「賭けになってないと思うけど? それが出て来たらどのみち殺されるじゃん」
「いや。君は殺さない。死ぬのはこのロンディニウムの住人だ」
拳を握った左手を突き出し、二本の指を上げるドルイト。
「顔も知らないロンディニウム市民を犠牲に彼女を助けるか、それとも彼女を犠牲に市民を救うか、さぁ――選ぶがいい!」
「そんなの――」
チャーリーは走った。
「決められないに決まってるだろ!」
繭を無視して、捕らわれのサナエの下に。
「まずサナエさんを助ける! それから繭も破壊する! それで僕らの勝ちだ!」
「よろしい、ならばやってみるがいい」
駆け寄ってその手足を縛る鎖を確かめる。材質はおそらく鋼、物理的に破壊は困難。
魔術的に破壊なり分解なりしようにも、結界が仕込まれている。カダスによる改変にも対応がされているあたり周到だ。
「なら、結界に干渉して……」
結界を守る結界、さらにそれを守る結界と入れ子構造になっているそれを、表層から干渉。一つ一つ丁寧に解除していく。
たまに解除すると逆に式の構成を変化させる罠が紛れているので、最大限急ぎながらも慎重に。
「……ほう」
四つの鎖のうち、ようやく一つを守る結界が消える。すぐさま鎖にカダスを流し込み、腐食したかのように脆く改変したそれを引き千切る。
「さすがに早いな。だがもう二分経つぞ?」
左手の人差し指と中指を突き立てての挑発。
「わかってる……っ!」
二つ目に取り掛かる。全体的な構造は同じで、罠が少し違う程度の差しかないそれはあっさり解除出来た。あと一分四〇秒。
三つ目はさらに手早く。あと五十二秒。
そして、四つ目――
「間に合え――!」
四本目の鎖を砕く。
残り時間は――わずかに四秒。
支えを失ったサナエの身体を受け止めると、チャーリーはそっと足元に寝かせる。
「おめでとう、だが、時間切れだ」
ドルイトが言うが早いか、繭に亀裂が走る。
内側から殻を砕くように突き出された拳。その色は白でなく、闇夜の如き黒一色。
「さぁ、再誕まれよ忠実なる我が僕――怪異ならぬ神話生物、【夜鬼】!」
――グオォオオオオオオオ!
目も耳も口もない怪物が咆哮する。一体の叫びに隣の【夜鬼】が倣い、次々と伝播し鬨の声を挙げる軍勢の様を示す。
身長はゆうに二メートル。細く頼りなかった四肢は丸太のように太く、アンバランスだった頭と身体は人間のそれと変わりなく、背中には禍々しい翼を備えている。
無貌で人型であるということを除けば、【ドーバーの悪魔】とは似ても似つかない。
「う……」
「サナエさん、気が付いた?」
その騒乱の中、サナエがうっすらと目を開く。
「バベッジさん……あなたが、私を……?」
「はい。ただ、ちょっと面倒なことになりましたけど」
サナエを庇うように立つ。殺さないとは言ったものの、どこまで信用出来たものかわかったものじゃない。
「そう……私を」
音もなく立ち上がるサナエ。その手には一枚の紙が握られていた。
「ありがとう、バベッジさん」
その紙が、一本のナイフに変化したかと思えば、
「思った通り、無駄骨を折ってくれて」
チャーリーの心臓目掛け、躊躇いなく突き出された。




