反撃
「ふふ、ふふふふふ……」
「……メアリー?」
円卓とチャーリーの協力関係が成立して。
それを見ていたメアリーが、口元を抑えて笑い始めた。
「すみません、マスター。ですが、ここまで都合よく事態が動いているのがおかしくて……」
「都合よくって……」
しかし、そこでチャーリーも気付く。
この無表情メイドが笑っているということの意味に。
主人ほどではないが二人の騎士も訝しむ。
「では、種明かしをしましょう」
そう言い、スカートの両端をつまみ上げて一礼。
すると――
――ヴゥウウウウウウウン!
「うわっ!? 何なに!?」
「これは……虫、か?」
「むぅ。うまく、斬れない」
メアリーの足元から、大量の羽虫が沸き上がった。
よく見ると、メアリーの影が虫の量に反比例して小さく、薄くなっている。
「――異界“式”機構・歪曲多面機関、参號【八命陣】。この虫たちは私の目であり耳。たとえ一匹だろうと、どれだけ離れていようと、私の『目』からは逃れられません」
「い、いつの間に起動してたのさ」
「この部屋を訪れる前、マスターが準備をしている間に」
「主人と呼んでくれるなら、そういうのは事前に言って欲しかったかなぁ?」
「敵を欺くにはまず味方からと言いますし、マスター顔に出るじゃないですか、そういう腹芸」
「あー、つまりだ」
痴話喧嘩になりそうな二人の間に割り込むトリスタン。
「メイドの嬢ちゃんには、あいつが逃げた先がわかるってことか?」
「えぇ。今も人混みに紛れて移動中みたいです」
それを聞いて、トリスタンはぐっと拳を握る。
「ぃよし! お手柄だ嬢ちゃん、なら早速取っ捕まえに――」
「ち、ちょっと待ってください!」
部屋を出ようとする騎士の腕を掴んで引き留める。
「あん? どうしたよ少年」
「実は……」
そうして、チャーリーはある考えを述べた。
◇◆◇
「ここか……」
市街の大通りを外れ、裏道を歩くこと幾筋。
メアリーが案内したのは、営業しているのが信じられないほど古ぼけた酒場だった。
その前に立つのはチャーリーとメアリー。トリスタンたちとは別行動だ。
「間違いありません。ここの奥から地下に向かったようです」
「……よし」
軽く両頬を張って踏み込もうとするチャーリー。
その歩みを、従者の少女は軽く裾を摘まむことで引き止めた。
「マスター、作戦は何度も確認しました。ですが、それでも不安要素はゼロではありません」
――だから、絶対の安全を求めるならここで引き返すべきだ。
そう語る深紅の瞳を見つめて、従者としていじらしく警告する指に軽く手を重ねる。
「向こうから接触してきた。つまり逃げることは出来ないってことだろうね。それに――」
「それに?」
「……いや、なんでもない」
うちのメアリーが泣く原因を作ったやつが許せない、という言葉は恥ずかしさから引っ込めた。
「それじゃ、いくよ」
「お供致します、マイマスター」
酒場の入口を潜る。
ただでさえ日当たりの悪い立地に、窓の少ない室内はかろうじて灯りに頼らずとも歩ける程度の暗さだった。
乱雑に置かれた椅子とテーブル。見渡せば二〇人ほどの男たちが酒を呷り、あるいは賭けトランプに興じている。
「あん? ……なんだ小僧、ここぁてめえみたいなボンボンの来る場所じゃねぇぞ。帰んな」
最も入口に近い席に座っていた中年男が、場に似合わない来客を睨む。
「が、そっちの上玉は別だ。小僧みたいなもやしにゃ出来ねぇ『お愉しみ』ってやつを教えてやろうじゃねぇか、ゆっくりとな」
そう、立ち上がってメアリーに向かって伸ばされた腕は、
「生憎と、私のマスターはもやしっ子ですが大変鬼畜でいらっしゃって」
メアリーに触れるより先に、
「貴方様程度の下衆に教えられるより先に、もう身も心もドロドロに溶かされておりますので」
自分の胴体に、別れを告げることになった。
「出来れば早々に立ち去って頂ければ幸いです」
「あ、あぁあああああああああああああ!」
血を吹き出す腕の断面を抑えて踞る中年男。
だが、メアリーはそれを冷徹に一瞥する。
「わざとらしい演技はやめなさい。痛みなんて感じない身体でしょうに」
その言葉に中年男は叫ぶのをやめ、その顔から感情が消え去る。
眺めていた他の客も、それぞれに得物を取り出して構える。視点の定まらないその様子が、全員が動く死体だと如実に語っている。
「マスター、地下への入口はあのカウンターの奥です」
「わかった……気を付けて」
走り出すチャーリー。当然その行く手を遮ろうとする男たちだったが、
「下がりなさい」
「がはっ!」
メアリーが振るう影の刃に成す術なく斬り伏せられた。
「不本意ではありますが、マスターの邪魔をされても困ります。僭越ながら、ここは私がお相手致しましょう」
陽炎の如く揺らめく影を羽衣のように纏わせて。
血よりなお赤いメイドは、冷たく微笑んだ。




