ロンディニウム大学の問題児
王都ロンディニウム再建の象徴――そう願われて建てられた時計塔。
テムズ川のほとりに築かれたそれは、眼下に広がる王立ロンディニウム大学の講義時間を知らせる役割も担っている。
大時計が朝の九時を指すと同時――
「どわぁあああああああ!」
鐘の音に引けを取らない爆音、白煙、絶叫に続いて、学生用の作業室から一人の青年が飛び出して来た。
年の頃は十九か二〇、くすんだ金髪を軽く束ねた線の細い青年は、青い目を見開き必死に手足を振る。
さらにそれを追うように、ぎこちない動きで突進する大柄な影。
こちらは人間ではない。というより生物ですらない。歯車と発条をやかましく鳴らし疾駆するそれは、誰がどう見ても魔導人形――オートマタだ。
簡単な作業を手伝わせるくらいの機能しかない廉価版。講師に限らずともそこそこ懐具合に余裕があれば学生でも手が出せる安物のそれが、明らかにカタログスペックを振り切った馬力でもって青年を追い回す。
その背中には間違いなく後付されたであろう奇妙な箱。時々規則的に音を立てながら白煙を――蒸気を吐き出している。
奇妙な鬼ごっこを目撃した学生たちは「またか」といった風な顔で道を譲っている。規模こそ大小の違いはあるが、半年の間で週に二、三回は起きるこの手の騒動に慣れっこになっていた。
「と、ま、れ、ってばぁあああああああ!」
主人(?)の命令も、暴走するオートマタは聞く耳を持たない。インドア派な体躯に見合わない素晴らしい脚力とフェイントによる攪乱で撒こうとする青年だったが、単純に出力差があり過ぎた。
五分ほど走ったところで、その無機質な手が背中に――
「……ん?」
もはや絶体絶命。そう覚悟し頭を抱えてしゃがんだ青年は、しかし何もないことに疑問を抱き振り返る。
見上げれば、腕を伸ばした姿勢そのままで人形は停止していた。
「……ふぅ。なんとか止まって、く、れ……」
安堵の溜め息――を吐いたのもつかの間。視線を背中の箱に移したところで青年の顔が蒼白になる。
排気口からの蒸気の排出が止まっている。そして箱が不自然に膨らんで――
「って、やば――」
ロンディニウム大学始まって以来の問題児ことチャーリーの悲鳴染みた言葉は、再びの爆発によってかき消されたのだった。
◇◆◇
「酷い目に遭った……」
「朝から何をやってるんだね、キミは」
二時間後、学生街のカフェテリア。
オープンテラスでテーブルに突っ伏すチャーリーを、向かいに座る眼鏡の青年が呆れ顔で見下ろした。
「いやぁ、オートマタを動かす魔導機関に蒸気機関を接続する実験をしてたんだけどね」
「既に完成しているものに後付けで? 相変わらず無茶をするな」
「理論上は上手くいくと思ったんだよ、フランツ」
フランツと呼ばれた恰幅のいい青年がコーヒーを口に含み渋い顔をする。大陸出身の彼にとって王国のコーヒーは薄かったり雑だったりで、はっきり言えば舌に合わない。
それでも頑なに紅茶でなくコーヒーを選ぶのは帝国民としての彼なりの流儀なのだろう。
「理論上は上手くいく。その言葉を聞くのもこれで八十三回目だったと思うが?」
「手厳しいねぇ。ていうか、え? 回数覚えてるの?」
そんな下らない話をしていると実験の失敗による損失――オートマタ喪失と、修繕費の弁償と、それから反省文の提出――に重くなった気も晴れてきた。
「カール。友人としてキミが頑張っているのを見ている以上、その努力と根性は素直に評価する」
「ありがと。けどいい加減カールって呼び方はやめてほしいんだけどなぁ」
他の友人が青年をチャーリーという愛称で呼ぶのに対し、彼は帝国風にカールと呼ぶ。何度訂正を求めても治らないので最近はもう諦めているが。
「しかしこれはあくまで一般論としてだが、いい加減蒸気機関に傾倒するのは――」
「やめないよ」
フランツが言い切るよりも先にぴしゃりと言うチャーリー。
「蒸気機関がもっと普及すれば、みんなの生活が今よりもっと楽になるんだ。それはフランツもわかるだろ?」
「あぁ。しかしな、それはあくまで大衆の側の意見だ。特権階級は――魔術師は、そうは考えないぞ」
魔術。己の意思によって奇跡を起こす超常の技術。
その理論は自然界に偏在するマナと呼ばれる霊的エネルギーを体内に取り込み、架空燃素に加工、そこから各種エネルギーに変換・精製することで行われる。
太古から連綿と続く研究によって、人間の命もまた架空燃素の一種であることがわかっている。つまり、あらゆる人間には本来魔術を使う素養が備わっている。
だが、魔術を使えない人間も一定数存在する。それはマナの吸収やエネルギーの変換効率が生まれ持った体質に大きく依存しているためだ。
そのため、個人で強大な魔術を振るえる選ばれた存在は古来より支配階級に重宝され、貴族と同等かそれ以上の特権を得るのが常なのだ。
王国もその例に漏れず――というよりも、他の国よりも積極的に魔術師を登用する傾向にある。
「確かに大きな力を得られる蒸気機関は素晴らしい。それは門外漢の俺でもわかる。しかしな、それで魔術師が自分たちの領分に踏み込まれたと思ったら……ただの学生に過ぎないキミくらい、軽く潰されるぞ」
「それは……まぁ、わかってるつもりさ」
「わかっていて、それでもやめないんだな」
「そういう性分なもので」
一度気になったものは、原因や発端を突き止めるまで止まらない。これはもう本能というか生まれ持った生態のようなものだ。
それに、とチャーリーは思う。
未だ一般市民には手の届くものではなく運行本数も少ないが、既に蒸気の力で動く列車は実用化されている。いつかは大衆化もされるだろう。
ならば、ちょっと自分がその普及を早めても、バチは当たらないのではないだろうか。
「実は今、新しい発明を考えててね」
「蒸気で動く煙幕装置か?」
今朝の事故を皮肉るフランツに苦笑いで応える。
「違うよ。簡単な設計図だけど、こんな感じ」
テーブルに図面を広げる。ざっと目を通したフランツは「ほぅ」と感嘆を溢す。
「これは……計算機か」
「うん。ほら、今の計算って人手も必要なのにミスが多いでしょ?」
数表の作成など大掛かりな計算が必要な時、二桁を超える計算手が流れ作業的に計算をするのが現状だ。一人ひとりの作業を少なくすることでリスクを分散しているものの、それでもミスは発生する。
チャーリーの示す図面は、その人手が必要な大掛かりな計算を、蒸気機関で歯車を動かし自動で行う装置だった。
「なるほど……これならミスもなく、人手に頼ることなく計算が出来る。それに計算自体も早い」
だが、とフランツはその発想を認めたうえで釘を刺す。
「計算というのはそれこそ魔術師の領分だ。魔術なしでは膨大な計算が必要だからこそ一般人の手に余った神秘の領域を、この機械は暴き立てることになる」
「………」
「この設計図、他人には見せない方がいい。もちろん俺もすぐ忘れることにする」
「うん……そうだね」
僅かの落胆と、認めてもらえた嬉しさの混じったなんとも微妙な表情で、チャーリーは図面を懐にしまった。
◇◆◇
(……それにしても)
それぞれの講義があるため友人と別れ、道すがらフランツは思う。
確かにチャーリーの実験は失敗だった。暴走したうえに爆発まで引き起こしたのだから誰だってそう思う。
しかし、それには前提として『オートマタが動いた』という事実がある。
(架空燃素で起動する構造のオートマタを、蒸気の力で問題なく動かす。本人は気付いていないようだが……)
それは言うなれば、魚に翼を取り付けて飛ばすようなものだ。普通はまず飛ぶことすらままならない。
だが、あのオートマタは少なくとも蒸気を動力とし、またチャーリーを主人と認識して追いかけるなど機能そのものは過不足なく働いていた。
自分以外は誰も気付いていないようだが、あの青年――チャールズ・バベッジはいつか、それこそ社会を革新するものを生み出すのではないか。そういう期待を抱かせる不思議な魅力がある。
「気乗りしない留学ではあったが、まぁ卒業まではそれなりに楽しめそうだ」
そう言って、フランツ・シューベルトは下がってきていた眼鏡を正した。